Fahrenheit -華氏- Ⅲ


言葉通りあたしは帰路につくとすぐにバスタブに湯を張り、長めのバスタイムを満喫した。


入浴剤の香りで満たされたお風呂に入っていると、いっとき色んな事が忘れられる―――気がしたが、あくまで気がするだけであの優しくて美しい瑞野さんの笑顔を思い出すと、視界から……いいえ、頭の中から消えて欲しいと願い頭からお湯に浸かった。


お湯の中、吐く息が小さな泡になって上へ上へと立ち上っては消える。


この息のようにあたしの汚い感情が消えてしまったら、楽なのに。


長い風呂から上がりスキンケアをして髪を乾かしリビングに向かった。


お気に入りのシルク素材の淡いラベンダー色のキャミスリップに同じ素材の薄いガウンだけでも火照った体にはちょうどいい。


喉が渇いた。冷たいビールでも飲もうとソファを横切るとスマホがお報せランプが点滅していた。設定した色からして誰からか着信があったようだ。


画面をスライドさせて、今日何度目かになる…そして一番大きなため息が口から洩れた。





着信:M




掛けなおす気にもなれないし、そもそも掛けなおす義理もない。


無視することに決めたあたしは冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出しプルタブを開け口にすると


TRRRRR……


電話の着信音が鳴り、あたしはビールを持ったままリビングに逆戻り。ローテーブルに乗せたスマホが音を鳴らしてその画面いっぱいに


着信:M


の文字を見て再びため息を吐いた。無視をするつもりが…


「Hi」


短く、そっけなく、そして不機嫌さを隠さず電話に出ると


「Hey,It's me.How have you been? (やぁ俺だよ。元気にしてた?)」といつ聞いても腹が立つ重低音が耳朶を震わせ「What do you want?(用件は何?)」と普段なら聞くはずだが、何故かあたしは


「はは……」と笑い声を漏らしていた。


電話越しにマックスが首を捻るのが想像できる。


しかし笑い声は止まらなかった。


「ははははは!」


狂ったように笑い続けるあたしに「What?Did you have a good day?(どうした?いいことでもあったのか?)」とマックスが怪訝そうに聞いてきた。


トン


あたしはビールの缶をローテーブルに置くと






「I shook off the annoying little fly with my own hands.(目ざわりなコバエをこの手で振り払ってやったわ)」




と低く笑った。


言うまでもなくマナミさんに寄生するあの薄汚い自称伊藤と言う男をこの手で葬ってやったことだ。