Fahrenheit -華氏- Ⅲ


どれぐらい時間が経っていたのだろうか、カフェがディナータイムに入ろうとしていて店員さんたちが照明を切り替えていた。


ほんのり明るかった室内がトーンダウンし、灯一つだけでも随分違った印象になった店に驚きを覚える。


そっか……お店が変わったんだ、あれは夢だったんだ、なんて現実逃避をしたくなったけれど、でも現実はあたしから遠のくことがない。


いつまでも暗い影を背負い、いつまでもあたしの後ろを尾け回す。


「……お会計…」


一口も口を付けていないコーヒーだけを置き去りに、私は無意識のうちに伝票が置かれてたであろう場所に手を這わせていたが、


ああ、そっか……啓が払っていってくれたんだ…


そんなことも覚えてないなんて…


どうかしている。


店を出ても雨はやんでいなかった。


「降水確率って外れるんですね。傘お貸ししましょうか?」と親切な店員さんが申し出てくれて、


「いえ、折りたたみ傘を持ち歩いていますので」とお断りをした。


嘘だった。


折りたたみ傘なんて持っていない。


借りてしまったら、またこのお店に返しにこなければいけない。


そうしたら、さっきの光景が蘇りそうで…



怖かった。