Fahrenheit -華氏- Ⅲ



♥ Ruka ♥


―――『愛してる』


彼は唐突に言い出した。


『何ですか、急に』


あたしは色鮮やかなパプリカを洗っている最中だった。


啓はフライパンを器用に操り、その中で野菜やお肉が踊っていた。


その野菜たちを炒めながら真剣に、ただ視線はあたしの方を向いていなかった。


『野菜炒めを?』


あたしは聞いた。


啓はコンロの火を止めて、それをお皿に移しかえしながら


『何かね~、突然言いたくなったのヨ』とにひひ、とはにかみながら言う。


照れ隠しなのだろか、キャベツの一かけらをつまんであたしに向けて


『味見して?』と聞いてきた。


あたしはパプリカを洗いながら口を開くと啓の痛めたキャベツを口に含んだ。


お醤油の味が香ばしい。


『おいしい』


流れる水流にかき消されないようハッキリ言うと


啓はまた顔をほころばせた。


『結婚したらさ~、毎日こんな生活なのかな』


ふとあたしの後ろに回った啓があたしの腰にきゅっと巻き付き、あたしの頭の上に顎を乗せる。


『さぁ?』


あたしははぐらかせた。


一度結婚して失敗してる身だから、『そうですね』なんて安易に答えられない。


『そこは『そうだね』って答えて欲しいな~』


啓が口を尖らせるのが分かった。


ふふっ


あたしは小さく笑った。


『啓、子供みたいですよ』


結婚に夢を見ている―――子供。


でもあたしも以前はそうだった。


失敗するまでは。


『子供でもいい。夢ぐらい見たっていいだろ?』啓は笑いながらあたしに抱き付いたまま首筋にキス。


くすぐったくて、あたしが身をよじると啓の手があたしの顎を捉え痛くない程度に上に向かされ、そっと口づけ。


パプリカがあたしの手から転げ落ち、シンクの中に落ちた。


啓はあたしにキスをしたままレバー式の蛇口を上に向かせ水を止めた。


『これで集中できる?』と悪戯っ子のように微笑まれ


『料理が冷めちゃいます』と言いながらも彼の口づけを受け入れる。


あのときのあたしの心は―――出来上がったばかりの野菜炒めより暖かった。



―――


―――――



ふと、目が覚めた。


目を開くと冷たいものが頬を伝っていることに気付いた。


―――涙……?


自分が泣いていたと言うことに気付くのに数秒を要した。


ソファの上、啓が残していったシャツに身を包みいつの間にか眠っていたようだ。


彼がくれたピヨコを抱きしめて。


ピヨコを見て


………


「いつの間に髪が生えた?」と目をぱちぱち。ピヨコの頭に長い栗色の髪が掛かっていて、


いや、これあたしの髪がピヨコに掛かっただけね、とふふっと小さく笑った。


笑いながら


―――泣いていた。



寂しい、悲しい―――……


どうしてあなたは―――ここに居ないの。


夢で逢えるだけで幸せ。


ずっと眠っていたかった。ずっと夢の中、啓と笑い合っていたかった。


目が覚めなければいい。




それでも朝はやってくる。