逃げられるものならお好きにどうぞ。



「あの、私は頼んでいませんが……」

「こちらのお客様からですよ」



微笑を湛えたバーテンダーに告げられる。その視線の先には、ニコニコと笑っている失礼な男の子の姿があって。



「どーぞ。甘くて飲みやすいと思うよ」

「……」



数秒ほど逡巡した結果、これを一杯飲んでから帰ることに決めた。


頼んでないからと男の子に突っぱねようとも思ったけど、此処へ来てから結局一杯しか飲んでいないことに気づいたからだ。奢ってくれるというなら遠慮なく飲んでやる。



グイっとグラスを傾ければ「おぉ、いい飲みっぷり」と抑揚の感じられない男の子の声が届いた。




それから――どれくらい飲んだのだろうか。

一杯だけで帰るつもりだったのに、生意気だと思っていた男の子との会話が、思ったよりも弾んだのだ。



初めは互いの好きなアーティストの話で盛り上がり、そこからは最近観た映画の話をしたり、美味しいランチのお店を教えてもらったりした。


彼が聞き上手だったからというのもあったのだろう。

 
職場の上司の些細な愚痴なんかも「そっか。お姉さんは頑張ってるんだね」なんて労うような言葉を掛けてくれて。優し気に細められた瞳に、私の頬はアルコールとは違う熱でじわりと火照っていく。



それから、男の子が注文してくれるままに三杯、四杯とカクテルを飲み干して――そこで、私の記憶は途切れた。