遺書の内容に王宮中がざわめいた。その期間中は王妃が王の代行をなせといういうことである。
慣例により女王は立てられないが王の不在時は王妃が代わりに政務を取り仕切れる、これは王法の記述通りである。
理由が書かれていないために様々な憶測が飛び交った。あの取り組んでいた領土問題にもしも問題が起こった際は王妃に直接解決して貰いたいからではないかと。
そうかもしれない。何かがあれば一切を当事者の一人だった自分がやれば問題なくできるが、そんなことは息子たちに任せればいいのではないのか?
条約見直しはその年に予定されており、その条約改正の完遂をもって王妃の功績とさせたかったのではないか?
そうかもしれない。けれどもそんなことで最後の大仕事である後継者指名を先伸ばすのか? 王家にとって後継者問題よりも大事なことがあってはならない。王妃が候補者を産み王が指名する、これが私たちの仕事でありその総決算であるはずだったのに。
分からない、どうして三年であるのか。
だいたいそうもったいぶることはななく後継者は長男と次男のどちらかなのだ。どちらを選んでもそんなに問題はない。あの三男はやる気がないのか降りているしあの子にお鉢が回ることは無いし。
そうであるからこの期間は準備ということにしてもまぁ問題はないが。懸念は選ばれなかった方の動向となる。そこは母である私が調停すればいい話であろう。
候補者に困らないということにも悩ましい問題があるということ。頭を使うのはそこだけだというのに……まだ気になって仕方がない。
あんな人のことをこれ以上考えてもしょうがないというのに。王はもういないじゃないの……などとうそぶいても気になってしまう。いったいぜんたいに私は何を見落としているというのだろうか……
そして三年が経ち約束の日が近づいているというのに私は死を意識する日々の中にいた。流行病に倒れてから心臓に持病を持つ身となり身体も弱り切っている。
一度倒れた際は一命はとりとめたものの主治医から次の発作の際は……と言われたからもう駄目なのだろう。あとは天命を待つしかないが、それでもやることはやったはずだ。
自分は後世では稀代の名君として王妃の誉れとして語り継がれるのだ。ジタバタするのはやめて死すらも超然とした態度で受け入れたとこの生の終わりを結ぶとしよう。
かつて父からお前は立派な王妃になれる才能を持っていると言われた。その結果がこれだ、この功績。歴代の王妃の中で際立っているではないか。お父様、あなたは間違えてはいなかったと私は身を以て証明いたしました。
立つ鳥跡を濁さずというもの、おやすみなさい……願わくば眠っているかのような最期を……とはならずに目が冴えるのが生きる辛さか。
気になることは息子のどちらが王となるかだ。二人の前では自分はいつもどちらでもいい顔を努めてしていたが、もちろん、違う。
この三年の内ではっきりと分かった、どちらが王に相応しいのかが。正直なところ次男が王になる方が良い。世評では長男であるがあの子は少し考えが足りない。
人には好かれるし頼られるが弱いところが多々ある。王の性格の良くないところが目立つ。
いいやそここそが王となるものとしての素質ではないのか? この人のために頑張ろうという気持ちを奮い立たせるのが王の重要な徳ではありませんか? こういう反論は正しいし私も首肯しよう。長男は王の徳は確かにある。
凡君もまた名君という言葉があるとしたらあの子はきっとそういう王となれる。
ただしそれはあの次男がいないという前提だ。
最近ようやく分かってきたがあれは私に似ている。うすうす感じてはいたが歳をとるごとにそこがさらに際立ってきた。世間では凡人扱いされているがとんでもない、私を男にしたようなものだ。
もしもあれが女で妹であったら兄を支える頼もしい参謀となってくれただろう。この自分のような王のパートナーとなれたはずだ。
だがあれは男で弟、しかもライバルでもある。はたしてあれがそういう下に就く地位にずっと甘んじてくれるのか? たとえば私が第二王妃という地位に我慢できるか? いいやできない、我慢ならぬで陰謀を企てるやもしれぬ。
私の目が黒いうちは今のように大人しくしているだろう、だがこのまま私が逝ってしまったら? 私が長生きできないこととあれが人生を諦めるにはまだ若すぎる年齢。そして長男だけでは次男を抑えつけることはできないとしたら……
政変または内乱といったお家騒動が勃発するかもしれぬ。そんな不安を抱きながら死ぬのは不本意だ。どちらかは確率は二分の一で後継者が次男なら問題は無しだ。
長男は次男に心理的に圧倒されている。王になれなかったら悔しがるだろうが逆らうという選択肢は取らないはず。文句を言いながらも次男に従ってくれるし心のどこかで安心するのではないのか?
プレッシャーから解放されてと。今後の国の安定を求めるのなら次男を後継者であってほしいのだが……
「王の後継者指名書を持ってこい」
「しっしかしそれは」
呼び出した側近が躊躇しているので王妃は言った。
「書き換えはせぬ、確認をするだけだ。不備はないかの確認は王妃にもできると王法にも書いてある。それに代行とはいえ今の私は王の立場にある。先例からいままでしなかったがこの際だからやる。持ってこい」
側近の反論はなく彼は王の間からその封筒を運びだし王妃に手渡した。部屋の中はただ一人。最重要機密文書の確認の際はこうしないとならない。
三年の月日を経て色褪せ古ぼけてしまったかのような封筒……ずいぶんと古臭くなったなと王妃は妙な気持ちを抱いた。これ三年という月日ではなくもっと古いのでは? 頻繁に書き直せとは言わないがそれでもひと月に一回は訂正とかしないものか?
もうずっと一人に固定化していたということ? こういうことをされるとこの手法が形骸化して意味が無くなってしまうんだよなぁ、と亡き夫の駄目なところを一通りクサしてから王妃は考える。
十年以上前といったらあの頃は……あの悪鬼羅刹に暴行された記憶に田舎娘に王妃の地位を奪われていた時期。その頃にもしも書きそのままだとしたら……王妃の意識は一気に遠のいた。
悪い予感が全身を包みそのまま自分を逝かせようとしているかのように血圧を一気に下げてきているようで、文字通り血の気が引いて心臓が止まりそうで……だから王妃は封筒を破いた! 自らを興奮状態にもっていく。
負けない、私はまだ死ねないし負けたくはない。有終の美を飾るためにはどうかこの指名書を! 取りだし中身を一目見た途端に王妃は大眩暈を起こしその場で倒れてしまった。
同時に発作も起きる。心臓が、痛い。ぐっしまった! と王妃は悔やんだ。機密書類を読むのだから部屋からは人払いをしてしまっている。
次の予定の時間が来るまで誰も来ない。自分は今ここで死んでしまうかもしれない。助けを呼ばなくてはならない……だがそれよりも先に王妃が力を込めたのは手に持った書類である。
あいつ……やりやがったな!!
いま興奮してはいけないと時であるのに王妃の怒りは収まらない。たとえ死を前にしても抑えられない。怒らなければならない時に怒らなくては生きている甲斐がないし人間の尊厳の放棄だ。
自分はこれに対して怒る権利を有している! だからこうしてやる!
王妃は震える指で王妃は書類を破ろうとしている。特別に丈夫な紙にしているために力をいれないと破れない。瀕死の状態である王妃はそれでも力を込める。文字通り命を賭けてだ。
そう、こんなものがあってはならない。こんなことになってはならない! だがそれは誰のためか? もちろんそれは息子たちのために。それだけか? 自分の名誉のために。
もう一つあるとしたらそれは……あの人の名誉のためだ。後世に残る名君がこのようなことを書き残したなどとはあってはならない。どれだけあの人が生まれ変わり非情になりきる努力をしてあれを成し遂げたか。
それは全て……いや、これのためか。このためにあの人は全てを賭したのか……
王妃は手から力が抜けるのを感じ意識が遠のくのを同時に感じた。
私は……夫の顔を思い浮かぶと共に王妃の指先が熱くなり、そのまま紙を引き裂いた。
やった! そうだ、お前とは死後離縁する! 二度と顔を見せるな!
そう怒りながら王妃は逝った。一人で逝った。王の元には行かないだろう。でもとりあえず会って一回引っ叩くかもしれないが。
こうして王妃も亡くなった。その亡骸の手には二つに引き裂かれた後継者指名の紙があった。これは無効か? 王法によれば当事者が破れば無効ということになる。この場合は王妃であるために明確な規定はない。
そもそもその内容が不可解であり、無効化されるかどうかで王族議論が始まる。
そこには……次回第二章ラスト、場面は落馬した王の死の直前における述懐から。



