『姉なるもの』になる喜び。
しかもそれがこの世で最も美しい存在からそう呼ばれるとしたら。そしてテツにとって唯一無二の存在となっているとしたら……それは歓喜の極みといっても過言ではなく丁度いいはず。
過不足なくピタリとはまって隙間なし、お釣りはいらないよ状態。
その呼び名もとい尊称を聞くたびにクレナイの腹の奥底から熱いものが込み上がってくるが、腹部に力を入れて堪えて視線を外しながら答える。
「あとにして欲しいんだけどなぁ……っでなに?」
興味のないふり、である。いいよいいよ教えてあげるよ~とは口が裂けても言えない。言ったら最後、ここまで積み上げてきた全キャリアが失われてしまうからだ。
クールで美に興味がない中性的な姉、が崩壊してしまう。だからここは心を鬼にして冷たく言い放ちぶっきらぼうに教えるのみだ。もっと知りたいとこある? とかも言わない。
「あっそういうことか、ありがとうお姉ちゃん」
テツの返事に対してクレナイは即座に眉を顰める……演技をする。喜びを殺すのだ己の幸福のためにそうするしかない。
「あのさ……出来ればお姉ちゃんはやめて欲しいな。そもそも私たちは姉弟ではないんだからお姉さん呼びだって違うんだから。二人の時は仕方なく聞き流すけど、人前では誤解を生むから言わないでね」
「これ言いやすいんだけどな。分かったよ姉さん、まぁ出来るだけ意識するよ」
実のところちゃんづけ呼びはやめて欲しいというのは案外心の底からの要望である。なぜなら刺激が強すぎる。姉呼びの時点で心臓を撃つほどの衝撃であるのに、ちゃん付けだと頭と心臓の同時攻撃で危険なのだ。いつボロが出てメッキが剥がれてしまうか分かったものではない。
己の汚くて醜い欲望塗れな素顔を晒してしまったのなら、おいは恥ずかしか! 生きておられんごっ! とその場で切腹するのだ。
そう彼女はいつだってギリギリなのだ。ヒリヒリするほどの緊張感の中で生きている女、その覚悟ある心はもののふといっても良い。姉としての地位を死守する覚悟。姉と呼んでもらうために命を賭ける。
そしてこれはあくまで自分から言わせたのではなく、テツが勝手に姉呼びしているということが肝心であったのだ。私のことをお姉ちゃんと呼んでいいんだよ、とかは願望駄々洩れ系でかなり危険である。呼ばれたいからせがむのだ。私のことを先生と呼びなさいとか危ない人間なのと一緒。
こういうのは相手が自然と言い出すまで頑張るのが大事である。そのうえ二人きりの時はお姉さんと呼んでそして姉弟ではないから夫婦になりましょう、となる。極限レベルとも言える自制心によって誕生した溶岩のごとき熱い心から産まれる幻聴と妄想。
なんて幸せな時間だとクレナイはこの時を楽しんでいた。自分はこのために生きているのだと信じられるほどに幸福感を味わっている。
時よ止まれ汝は美しい、とはまさにこのこと。私の魂はもう捧げられているから誰にも奪うことはできまいて。
いまあるこの時が永遠に続いていったら、時が暮れないでずっとこのままであったら……死んでも良い、違う死んじゃ駄目なんだ、生きろ私、この愉悦に耽って生涯を送れよかし。
「クレナイ、ちょっといいか?」
しかしこの邪悪な願望を叶えてくれない輩がいるのだ。そうしてくれないものがいる。この人生で最も大切な時間をいつも半端な時に中断させるお邪魔虫がいる。
「なにかな、サビ」
醜い顔をしたこいつである。クレナイはにっくきこやつの顔を睨まないようにしながら視線を送るも眼は見ない。目を合わせたら殺気が気付かれるかもしれない。いくら頑張っても殺気を完全に消すことはできない。
「兄さん、クレナイさんに何か用なの?」
そして追い打ちがこれが。背中からのテツの呼び方の変更。お姉さんからクレナイさんに名称の降格である。尊称変更。
そう分かっている、これは二人の時用のものだということを。それでいいのだ。しかしその代わりに聞くのが兄さんという呼称だ。なんたる屈辱! 姉弟関係が剥奪され兄弟の姿を見せつけられる。
憎い、憎いぞサビ! 私のいる場所は私であるべきなのに。どうしてお前がそこにいるのだ! なんで私でないのだ……私が偽物の姉であるからか? だったらだったらサビ、お前は……
と……いつものように勝手に憎悪と妄想を膨らませヒートアップするクレナイを脇に置いてその周辺の話をしよう。サビになりたいクレナイといったところだが、彼女の評判はとっても高い。
テツ自身もクレナイの自分への興味のなさに有難味を感じている。彼の苦労話に触れておこう。
テツは基本的に無口である。いや、さきほど見たように普通に喋れるし話せる。誰も彼が無口だとはまるで思わない。
だが会話中に彼はあまり口を開かない。何故か? それは相手が一方的に喋るからである。いや、喋りたくなるのだどうしても話したくなる。
この世界で最も美しい少年に自分の話をしたくなってしまう。自分の話をしたくてしたくてたまらなくなる。次回、美は構われ過ぎてしまう、をお送りいたします。



