洸太はスマホを見つめたまま、ゆっくり椅子へ座る。
オフィスにはもう誰もいない。
さっきまで桃花がいた空気だけが、まだ少し残っていた。
唇へ触れた柔らかい感触を思い出して。
洸太は小さく息を吐く。
正直、驚いた。
桃花が自分を好きだったなんて、本当に気づいていなかった。
綺麗な子だとは思っていた。
一緒にいて楽だったし、気も合う。
でも、それ以上に考えたことはなかった。
たぶん、自分の中のどこかが、ずっと止まっていたからだ。
桃花の言葉を思い出す。
“十年引きずってる人とか、勝てるわけないじゃないですか”
洸太は苦笑する。
引きずっている。
その表現が正しいのかは分からない。
でも、文姫と再会した瞬間。
心の奥に残っていたものが、全部動き出したのは確かだった。
高校の頃みたいに、苦しいだけじゃない。
もっと静かで。
もっと穏やかで。
でも確実に、特別だった。
スマホの画面を開く。
文姫とのトーク画面。
最後のやり取りは、数時間前。
『残業がんばれ』
文姫から来ていた。
その短い文章を見るだけで、自然と口元が緩む。
洸太はそこで、ふと思う。
もし今日。
文姫と再開する前だったら。
自分はどうしていただろう。
たぶん少しは揺れていたかもしれない。
桃花は魅力的だ。
若くて、明るくて、真っ直ぐで。
自分なんかより、もっといい男を選べるだろうと思うくらいに。
でも今。
文姫と再会したあとでは。
もう、他の誰かを考える余地がなかった。
洸太はスマホを握ったまま、静かに目を閉じる。
明日。
また文姫に会う。
その時間が待ち遠しくて。
少し怖かった。
十年前と違って、今は落ち着いていると思っていたのに。
結局、自分はまた。
文姫ひとりで、こんなにも心を動かされている。
