君と終わった街で

静かなオフィスだった。

エアコンの音だけが、妙に遠く聞こえる。

洸太は言葉を失ったまま、桃花を見つめる。

近い。

甘い香水の匂いがする。

長い茶髪が肩へ流れていて、仕事終わりで少しだけ崩れた前髪が、逆に色っぽかった。

桃花は真っ直ぐ洸太を見ていた。

冗談を言っている顔じゃない。

洸太はゆっくり息を吐く。

「……平井」

やっと名前を呼ぶ。

でも、その先の言葉が出てこなかった。

桃花は小さく笑う。

「困ってます?」

「そりゃ困るだろ……」

洸太は額を押さえる。

頭が追いつかない。

まさか、桃花が自分を好きだなんて思ってもいなかった。

確かに距離感は近かった。

飲みに行くことも多かったし、からかわれることもあった。

でも、それくらいだと思っていた。

桃花は少し視線を落として、ぽつりと言う。

「先輩、鈍すぎです」

「……全然気づかなかった」

「でしょうね」

苦笑しながらも、その声は少し寂しそうだった。

洸太は椅子から立ち上がる。

向かい合う形になる。

改めて見ると、桃花は本当に綺麗だった。

モデルみたいな顔立ち。

仕事もできる。

愛想もいい。

会社でも人気があるのを知っている。

そんな子が、どうして自分なんだろうと、本気で思った。

「いつから」

思わず聞く。

桃花は少し笑った。

「結構前です、入社すぐくらい」

「マジか……」

「でも先輩、ずっと誰も見てなかったじゃないですか」

その言葉に、洸太は小さく黙る。

誰も見てなかった。

たしかに、そうだったのかもしれない。

恋愛なんて、もうしばらくしていなかった。

誰かを好きになる感覚も、どこか遠くなっていた。

でも。

文姫と再会してから。

止まっていたものが、少しずつ動き始めている。

桃花は洸太の顔を見ながら、静かに言った。

「その人のこと、まだ好きなんですよね」

洸太は返事をしない。

できなかった。

否定した瞬間、嘘になる気がしたから。

桃花は小さく笑う。

でも、その笑い方は少しだけ苦しそうだった。

「分かりやすいですよ」

静かな声だった。

「先輩、その人の話してる時だけ、顔違うから」

洸太は思わず目を伏せる。

そんなつもりはなかった。

でも、たぶん。

自分で思っているより、文姫の存在は大きくなっている。

桃花はゆっくり距離を取る。

けれど最後に、少しだけ寂しそうに笑った。

「……ずるいですよね」

「平井」

「十年引きずってる人とか、勝てるわけないじゃないですか」

その言葉が、静かなオフィスに落ちた。