『洸太さ』
文姫が少しだけ真面目な声になる。
「なに」
『今、幸せ?』
洸太は目を瞬く。
予想していなかった質問だった。
窓の外を見る。
東京の夜景。
コンビニの光。
向かいのマンション。
どこかの部屋の明かりが、まだ点いている。
幸せ。
その言葉を、最近ちゃんと考えたことがあっただろうか。
「……普通かな」
少し考えてから答える。
「仕事して、適当に生きてる」
『それ幸せ?』
文姫の声は静かだった。
責めるわけでもなく。
ただ、本当に知りたいみたいに聞こえた。
洸太は答えに詰まる。
分からなかった。
昔の自分は、もっと感情がはっきりしていた。
文姫が笑えば嬉しくて。
冷たくされれば落ち込んで。
世界が単純だった。
でも今は、毎日が平坦だ。
傷つかない代わりに、大きく嬉しいこともない。
それが“大人”なんだと思っていた。
でも。
文姫と再会してから、少し違う。
LINEが来るだけで嬉しくて。
電話が繋がるだけで安心して。
土曜が待ち遠しいと思っている。
そんな感情を、まだ自分が持っていたことに驚いていた。
「……分かんない」
正直に言う。
「でも最近は、ちょっと楽しいかも」
電話の向こうが静かになる。
それから、文姫が小さく笑った。
『そっか』
その声は、どこか安心したみたいだった。
電話の向こうで、文姫が小さく寝返りを打つ音がする。
東京の夜。
『洸太って、高校卒業してあんまり笑ってこなかったんじゃない?』
洸太は少し黙る。
「え、そんな感じする?」
『うん』
即答だった。
思わず苦笑いする。
『高校卒業してからの洸太って知らないけど』
『なんとなく、ずっと無理してそうな感じした』
その言葉に、洸太は窓の外を見る。
無数の部屋の灯り。
誰かの生活。
その中で、自分だけずっと同じ場所にいた気がした。
仕事はしていた。
それなりに生きてもいた。
でも、何かを本気で好きになったり。
誰かに感情を揺らされたり。
そういうことから、少しずつ離れていた。
傷つきたくなかったのかもしれない。
期待しなければ、楽だったから。
「……まあ、無理はしてたかもな」
小さく答える。
電話の向こうが静かになる。
それから、文姫がぽつりと言った。
『ごめん』
洸太は眉を寄せる。
「なんでまた謝るんだよ」
『なんか、ちょっとだけ責任感じる』
その声は、本気だった。
洸太は苦笑する。
「重いって」
『だって高校の時、洸太ほんと私ばっかだったじゃん』
「それは……まあ」
否定できない。
『なのに私、ちゃんと返せなかったし』
洸太はソファに座り直しながら、小さく息を吐く。
文姫は、本当に覚えていたんだと思う。
自分がどれだけ不器用だったか。
どれだけ必死だったか。
全部。
「でもさ」
洸太は静かに言う。
「文姫、ちゃんと断ってくれてたじゃん」
電話の向こうが少し静かになる。
「俺が勝手に諦め悪かっただけ」
昔は、そんなふうに思えなかった。
どうして好きになってくれないんだって。
ずっと苦しかった。
でも今なら分かる。
文姫はちゃんと向き合おうとしていた。
曖昧に期待させ続けたわけじゃない。
傷つけないように、ずっと悩んでいたんだと思う。
『……大人になったね、ほんと』
文姫が、小さく笑う。
その声が少しだけ寂しそうに聞こえて。
洸太は、なぜだか胸の奥が引っかかった。
「なんだよ、その言い方」
軽く笑いながら返す。
すると電話の向こうで、文姫が少し黙った。
『……なんかさ』
珍しく、言葉を探しているみたいだった。
『昔の洸太って、もっと私の方見てた気がする』
洸太は息を止める。
窓の外を走る車の光が、ガラスに流れていく。
「そりゃ見てたよ」
苦笑混じりに返す。
「文姫しか見えてなかったし」
電話の向こうで、小さく笑う気配。
でも、そのあとすぐ静かになる。
『今は違うね』
その言葉に、洸太は返事ができなかった。
違う。
たしかに、違う。
十年前みたいに、文姫の一言で全部を振り回されたりはしない。
ちゃんと距離を取れる。
感情を飲み込める。
落ち着いて話せる。
でもそれは。
文姫を好きじゃなくなったからでは、たぶんなかった。
むしろ逆だ。
好きだった時間が長すぎて。
苦しかった時間が長すぎて。
やっと“大人の形”で向き合えるようになっただけだ。
「……まあ、年取ったしな」
冗談っぽく返す。
文姫は小さく笑った。
『そこ、否定しないんだ』
「三十手前だぞ、もう」
『やだね』
「お前もだからな」
また少し笑い合う。
その空気に、洸太は少し安心する。
でも胸の奥には、さっきの文姫の言葉が残っていた。
“今は違うね”
それを、文姫はどんな気持ちで言ったんだろう。
嬉しかったのか。
寂しかったのか。
それとも、ただ事実として口にしただけなのか。
考えても分からない。
昔から、文姫の気持ちはどこか掴みきれなかった。
だからこそ、ずっと追いかけてしまったのかもしれない。
『……でも』
文姫が静かな声で続ける。
『今の洸太、私は好きだよ』
洸太の思考が、一瞬止まる。
心臓が、ゆっくり強く鳴った。
なのに、その一言だけがやけに鮮明に響く。
文姫が少しだけ真面目な声になる。
「なに」
『今、幸せ?』
洸太は目を瞬く。
予想していなかった質問だった。
窓の外を見る。
東京の夜景。
コンビニの光。
向かいのマンション。
どこかの部屋の明かりが、まだ点いている。
幸せ。
その言葉を、最近ちゃんと考えたことがあっただろうか。
「……普通かな」
少し考えてから答える。
「仕事して、適当に生きてる」
『それ幸せ?』
文姫の声は静かだった。
責めるわけでもなく。
ただ、本当に知りたいみたいに聞こえた。
洸太は答えに詰まる。
分からなかった。
昔の自分は、もっと感情がはっきりしていた。
文姫が笑えば嬉しくて。
冷たくされれば落ち込んで。
世界が単純だった。
でも今は、毎日が平坦だ。
傷つかない代わりに、大きく嬉しいこともない。
それが“大人”なんだと思っていた。
でも。
文姫と再会してから、少し違う。
LINEが来るだけで嬉しくて。
電話が繋がるだけで安心して。
土曜が待ち遠しいと思っている。
そんな感情を、まだ自分が持っていたことに驚いていた。
「……分かんない」
正直に言う。
「でも最近は、ちょっと楽しいかも」
電話の向こうが静かになる。
それから、文姫が小さく笑った。
『そっか』
その声は、どこか安心したみたいだった。
電話の向こうで、文姫が小さく寝返りを打つ音がする。
東京の夜。
『洸太って、高校卒業してあんまり笑ってこなかったんじゃない?』
洸太は少し黙る。
「え、そんな感じする?」
『うん』
即答だった。
思わず苦笑いする。
『高校卒業してからの洸太って知らないけど』
『なんとなく、ずっと無理してそうな感じした』
その言葉に、洸太は窓の外を見る。
無数の部屋の灯り。
誰かの生活。
その中で、自分だけずっと同じ場所にいた気がした。
仕事はしていた。
それなりに生きてもいた。
でも、何かを本気で好きになったり。
誰かに感情を揺らされたり。
そういうことから、少しずつ離れていた。
傷つきたくなかったのかもしれない。
期待しなければ、楽だったから。
「……まあ、無理はしてたかもな」
小さく答える。
電話の向こうが静かになる。
それから、文姫がぽつりと言った。
『ごめん』
洸太は眉を寄せる。
「なんでまた謝るんだよ」
『なんか、ちょっとだけ責任感じる』
その声は、本気だった。
洸太は苦笑する。
「重いって」
『だって高校の時、洸太ほんと私ばっかだったじゃん』
「それは……まあ」
否定できない。
『なのに私、ちゃんと返せなかったし』
洸太はソファに座り直しながら、小さく息を吐く。
文姫は、本当に覚えていたんだと思う。
自分がどれだけ不器用だったか。
どれだけ必死だったか。
全部。
「でもさ」
洸太は静かに言う。
「文姫、ちゃんと断ってくれてたじゃん」
電話の向こうが少し静かになる。
「俺が勝手に諦め悪かっただけ」
昔は、そんなふうに思えなかった。
どうして好きになってくれないんだって。
ずっと苦しかった。
でも今なら分かる。
文姫はちゃんと向き合おうとしていた。
曖昧に期待させ続けたわけじゃない。
傷つけないように、ずっと悩んでいたんだと思う。
『……大人になったね、ほんと』
文姫が、小さく笑う。
その声が少しだけ寂しそうに聞こえて。
洸太は、なぜだか胸の奥が引っかかった。
「なんだよ、その言い方」
軽く笑いながら返す。
すると電話の向こうで、文姫が少し黙った。
『……なんかさ』
珍しく、言葉を探しているみたいだった。
『昔の洸太って、もっと私の方見てた気がする』
洸太は息を止める。
窓の外を走る車の光が、ガラスに流れていく。
「そりゃ見てたよ」
苦笑混じりに返す。
「文姫しか見えてなかったし」
電話の向こうで、小さく笑う気配。
でも、そのあとすぐ静かになる。
『今は違うね』
その言葉に、洸太は返事ができなかった。
違う。
たしかに、違う。
十年前みたいに、文姫の一言で全部を振り回されたりはしない。
ちゃんと距離を取れる。
感情を飲み込める。
落ち着いて話せる。
でもそれは。
文姫を好きじゃなくなったからでは、たぶんなかった。
むしろ逆だ。
好きだった時間が長すぎて。
苦しかった時間が長すぎて。
やっと“大人の形”で向き合えるようになっただけだ。
「……まあ、年取ったしな」
冗談っぽく返す。
文姫は小さく笑った。
『そこ、否定しないんだ』
「三十手前だぞ、もう」
『やだね』
「お前もだからな」
また少し笑い合う。
その空気に、洸太は少し安心する。
でも胸の奥には、さっきの文姫の言葉が残っていた。
“今は違うね”
それを、文姫はどんな気持ちで言ったんだろう。
嬉しかったのか。
寂しかったのか。
それとも、ただ事実として口にしただけなのか。
考えても分からない。
昔から、文姫の気持ちはどこか掴みきれなかった。
だからこそ、ずっと追いかけてしまったのかもしれない。
『……でも』
文姫が静かな声で続ける。
『今の洸太、私は好きだよ』
洸太の思考が、一瞬止まる。
心臓が、ゆっくり強く鳴った。
なのに、その一言だけがやけに鮮明に響く。

