撮影当日、スタジオに入ってすぐ、私は自分のミスに気づいた。
カメラマンに渡すはずのラフを、編集部に置いてきてしまったのだ。
「白石さん、どうしました?」
水無瀬先生の声に、背筋が伸びる。
「いえ、なんでもありません。口頭で共有します」
動揺している場合ではない。
今日の目的は三つ。
新刊の表紙用、SNS動画用、書店POP用。
すべて、手元の写真と映像だ。
水無瀬先生の手が、商品になる。
そう考えた時点で、少しだけ負けている気がした。
商品価値として見る。
仕事として見る。
それだけのはずなのに。
「先生、こちらに座っていただいてもいいですか。テーブルの上に手を置いていただけると」
「こうですか」
白い撮影台の上に、先生の手が静かに乗る。
視線をモニターに向けた。
向けたはずだった。
「カメラ、もう少し寄りでお願いします」
「はい」
カメラが動く。
モニターの中で、先生の手が大きくなる。
綺麗だ。
仕事として見ている。
これは仕事だ。
そう言い聞かせなければならないほどに、逆に意識してしまう。
「指先が入るように、角度を少し右に」
「こうですか」
「そうです。もう少しだけ」
モニターの中の指先が、わずかに傾く。
光の当たり方が変わり、関節の陰影がくっきりと映し出された。
「……この角度、すごく綺麗です」
口にした瞬間、自分の言葉にぎくりとした。
でも、これはカメラマンへの指示だ。
構図の話だ。
おかしくない。
「先生、次は手を少し開いていただいてもいいですか」
「指の間隔は、これくらいで?」
「もう少し自然に。力を抜いた感じで」
先生が、ゆっくりと指を広げる。
見てはいけない。
そう思うのに、モニターではなく、実物の方に視線が吸い寄せられてしまう。
長くて、形がよくて、それでいてどこか温度のありそうな手。
手相を見る時、こんな手で掌をなぞられたら、そりゃ誰だって——。
「白石さん」
「はいっ」
返事が、変なふうに跳ねた。
声をかけたのは、カメラマンだった。
「次のカット、どうしますか」
「え、あ……次はSNS動画用なので、手を動かしてもらいながら撮ります」
「わかりました」
撮影は、一時間ほどで終わった。
機材を片付けている間、水無瀬先生はテーブルの端で静かに水を飲んでいた。
「お疲れ様でした。確認したデータ、どれも良かったです。表紙の候補は来週中にはお送りします」
「白石さんは」
先生が、カップを置く。
「手元を見るのが、お好きなんですね」
「……仕事です」
「ええ」
先生は少しも表情を変えずに続けた。
「とても熱心に見ていらっしゃいました」
「構図の確認を——」
「モニターではなく、こちらを」
まっすぐに、私の顔を見ながら。
「何度か、直接見ていましたよ。私の手を」
丁寧な言葉なのに、逃げ道だけをそっと塞がれた気がした。
機材ケースを閉める音が、やけに大きく響いた。
「……それも、手相に出ますか」
「いいえ」
先生は静かに立ち上がる。
その表情は、とても楽しげだった。
「顔に出てはりました」
カメラマンに渡すはずのラフを、編集部に置いてきてしまったのだ。
「白石さん、どうしました?」
水無瀬先生の声に、背筋が伸びる。
「いえ、なんでもありません。口頭で共有します」
動揺している場合ではない。
今日の目的は三つ。
新刊の表紙用、SNS動画用、書店POP用。
すべて、手元の写真と映像だ。
水無瀬先生の手が、商品になる。
そう考えた時点で、少しだけ負けている気がした。
商品価値として見る。
仕事として見る。
それだけのはずなのに。
「先生、こちらに座っていただいてもいいですか。テーブルの上に手を置いていただけると」
「こうですか」
白い撮影台の上に、先生の手が静かに乗る。
視線をモニターに向けた。
向けたはずだった。
「カメラ、もう少し寄りでお願いします」
「はい」
カメラが動く。
モニターの中で、先生の手が大きくなる。
綺麗だ。
仕事として見ている。
これは仕事だ。
そう言い聞かせなければならないほどに、逆に意識してしまう。
「指先が入るように、角度を少し右に」
「こうですか」
「そうです。もう少しだけ」
モニターの中の指先が、わずかに傾く。
光の当たり方が変わり、関節の陰影がくっきりと映し出された。
「……この角度、すごく綺麗です」
口にした瞬間、自分の言葉にぎくりとした。
でも、これはカメラマンへの指示だ。
構図の話だ。
おかしくない。
「先生、次は手を少し開いていただいてもいいですか」
「指の間隔は、これくらいで?」
「もう少し自然に。力を抜いた感じで」
先生が、ゆっくりと指を広げる。
見てはいけない。
そう思うのに、モニターではなく、実物の方に視線が吸い寄せられてしまう。
長くて、形がよくて、それでいてどこか温度のありそうな手。
手相を見る時、こんな手で掌をなぞられたら、そりゃ誰だって——。
「白石さん」
「はいっ」
返事が、変なふうに跳ねた。
声をかけたのは、カメラマンだった。
「次のカット、どうしますか」
「え、あ……次はSNS動画用なので、手を動かしてもらいながら撮ります」
「わかりました」
撮影は、一時間ほどで終わった。
機材を片付けている間、水無瀬先生はテーブルの端で静かに水を飲んでいた。
「お疲れ様でした。確認したデータ、どれも良かったです。表紙の候補は来週中にはお送りします」
「白石さんは」
先生が、カップを置く。
「手元を見るのが、お好きなんですね」
「……仕事です」
「ええ」
先生は少しも表情を変えずに続けた。
「とても熱心に見ていらっしゃいました」
「構図の確認を——」
「モニターではなく、こちらを」
まっすぐに、私の顔を見ながら。
「何度か、直接見ていましたよ。私の手を」
丁寧な言葉なのに、逃げ道だけをそっと塞がれた気がした。
機材ケースを閉める音が、やけに大きく響いた。
「……それも、手相に出ますか」
「いいえ」
先生は静かに立ち上がる。
その表情は、とても楽しげだった。
「顔に出てはりました」



