大正ハイカラ娘・朝霧すみれと新聞記者小田切レン~消えた花嫁の謎を解く~

霧が少しずつ薄れていく。

 港の輪郭が、
 ゆっくり戻り始めていた。

 私と小田切さんは、
 花嫁の家へ戻った。

 小田切さんは、
 さっそく保険金の話を聞き始めている。

 けれど――。

 空気は最悪だった。

「保険など誰もかけていない!」

 花嫁の父親が、
 怒鳴るように言った。

 顔を真っ赤にしている。

「そんな話、聞いたこともない!」

 その声に、
 部屋の空気がぴりっと張りつめる。

 私は少し身を縮めた。

 その時。

 ばたばたと足音が響く。

 婚約者が駆け込んできた。

 顔色が悪い。

 ひどく取り乱している。

「彼女に保険などかけていない!」

 小田切さんに詰め寄る。

「失敬な!」

 声が震えていた。

「むしろ、ボクの保険金を彼女の受取人にしようと思っていたんだ……!」

 そして。

 崩れ落ちそうな顔で言う。

「ああ……どこへ行ってしまったんだ」

 本当に、
 心配しているように見えた。

 私は胸が痛くなる。

 結婚式当日に、
 愛する人が消えるなんて。

 どんな気持ちだろう。

 小田切さんは、
 難しい顔をしていた。

 記者として、
 感情だけでは見ない人だ。

 でも。

 私は少しだけ、
 この家族が気の毒に思えた。

 その時だった。

 ふと。

 私は視線を感じた。

 ぞくり。

 背中が冷える。

 なんとなく振り向く。

 すると――。

 桟橋の向こう。

 倉庫の影に、
 ひとりの女が立っていた。

 年の頃は三十前後。

 流行のモダンガール風。

 黒いドレス。

 ベージュのベレー帽。

 職業婦人のような、
 洗練された雰囲気。

 けれど――。

 その人は、
 じっと警察の様子を見ていた。

 まるで。

 誰かを待つみたいに。

「……小田切さん」

 私は小さな声で呼ぶ。

「どうした?」

「あの方……」

 私が指差すと、
 彼の顔つきが変わった。

「行こう」

 私たちは歩き出した。

 女は逃げない。

 ただ、
 その場に立っていた。

 近づいて――。

 私は気づいた。

 黒いレースの長手袋。

 その手が。

 ぶるぶると震えている。

 ――怯えてる?

 女は、
 ゆっくり頭を下げた。

 そして。

 手を差し出した。

「あなたが……」

 震える声。

「ドレスを縫ってくださった朝霧さんですね」

 私はその手を取る。

 ひどく冷たい。

「とうとう……見つかってしまいましたわ」

 低く。

 けれど、
 凛とした声だった。

 その瞬間。

 私は確信した。

 そして、
 はっきりと言う。

「あなたが――」

 一呼吸。

「《港の白い女》ですね」

 しん――。

 女が、
 一瞬目を伏せた。

 そして。

 静かにうなずく。

 隣で。

「ええっ!?」

 小田切さんが、
 素っ頓狂な声を出した。

 目をぱちぱちさせている。

「すみれさん!」

 慌てた声。

「この人、黒いドレスだぞ!?」

 ……そこ?

 私は静かに言った。

「彼女は――」

 女を見る。

「花嫁のお姉様です」

「え?」

 小田切さんが、
 本気で飛び上がった。

 ちょっと面白い。

 女は苦しそうに微笑む。

「ええ……そうです」

 震える声。

「妹は……もう、ここにはいません」

 まだ、
 肩が小さく震えている。

 私はそっと囁いた。

「安心なさって」

 彼女の目を見る。

「警察にも、ご家族にも、誰にも言いません」

 一瞬。

 女の肩から、
 ふっと力が抜けた。

 けれど。

 小田切さんは、
 記者の顔で問いかける。

「あなたが海へ連れて行ったのですか?」

「いいえ」

 女は首を振った。

「そんなの……ただの噂です」

 そして。

 遠くを見る。

「でも、それで十分でした」

 静かな声。

「横浜は――」

 一拍置く。

「女が消えることに、慣れていますから」

 その言葉に、
 私はぞくっとした。

 まるで。

 見つからない自信が、
 そこにあるみたいだった。