大正ハイカラ娘・朝霧すみれと新聞記者小田切レン~消えた花嫁の謎を解く~

 霧の中。

 私と小田切さんは、
 並んで歩いていた。

 桟橋へ続く石畳は、
 どこまでも白くぼやけている。

 波音は静か。

 風もほとんどない。

 ただ、霧だけが、
 生き物みたいにゆっくり流れていた。

 なんだか――。

 世界から切り離されたみたい。

 そんな不思議な朝だった。

「怖いかい?」

 隣から、
 低い声。

 小田切さんが、
 ちらりと私を見る。

「まさか」

 私は背筋を伸ばした。

「洋裁師は、怪談くらいで怖がりませんわ」

「へえ?」

 少し笑う。

「じゃあ、もし海の精霊が現れたら?」

「ドレスの着こなしを直して差し上げます」

 一瞬。

 小田切さんが吹き出した。

「ははっ」

 その笑顔に、
 少しだけ胸が鳴る。

 ……ずるい。

 格好いい人って、
 笑うと反則。

 その時――。

 小田切さんが急に足を止めた。

「……あれは?」

 低い声。

 視線の先。

 桟橋の端に、
 白いものが見える。

 霧の中で、
 ぼんやり揺れていた。

 ――白い女。

 一瞬、
 本当にそう思った。

 ぞくりと背中が冷える。

「まさか……」

 私は小さく息を呑む。

 小田切さんの表情が変わった。

「行こう」

 真剣な声。

「ボクの後ろに」

 そして、
 自然に私の前へ出る。

 ……守ろうとしてくれてる。

 胸が少しだけ熱くなる。

 私たちは駆け出した。

 桟橋の木の板が、
 ぎしっ、ぎしっと鳴る。

 霧が揺れる。

 潮の匂い。

 白い影が、
 少しずつ近づいてくる。

 そして――。

「……!」

 私は立ち止まった。

 そこにあったのは。

 花嫁のドレスだった。

 白いレース。

 真珠の飾り。

 そして、片方だけの手袋。

 霧の中に、
 まるで誰かを待つみたいに広げられている。

 あまりにも静かで。

 あまりにも綺麗で。

 本当に――。

 《港の白い女》の伝説そのものだった。

「これは……」

 私は膝をつく。

 指先が少し震えた。

「間違いありません」

 そっと、
 ドレスに触れる。

「私が縫った花嫁衣装です」

 小田切さんが、
 しゃがみ込んだ。

「本当に?」

「ええ」

 私はうなずく。

「この刺繍も、このレースも、私が選びました」

 心臓が早い。

 胸騒ぎが止まらない。

 だって。

 こんなところに、
 花嫁のドレスだけがあるなんて。

 まるで。

 本当に海へ連れていかれたみたいじゃない。

「……港の白い女」

 私は思わずつぶやく。

 花嫁は、
 海の精霊に誘われた。

 そして。

 白い衣類だけが残された。

 噂通り。

 あまりにも、
 噂通りすぎる。

 その時。

「朝霧すみれくん」

 小田切さんの声。

 静かだけど、
 少し鋭い。

「怪談で終わらせるな」

 私は顔を上げた。

 彼の目が、
 記者の顔になっている。

「事実を拾い集めろ」

 低い声。

「確か――数年前にも、似た失踪事件があった」

 手帳を開く。

「この桟橋だ」

 ページをめくる音。

「当時も《港の白い女》の噂になった」

「女が海へ連れて行かれた、と」

 私は息を呑む。

「でも――」

 小田切さんが続ける。

「後からわかった」

 その声が低くなる。

「花嫁には、多額の保険金がかけられていた」

「……え?」

「遺体も見つからないまま、死亡扱いになったんだ」

 私は言葉を失う。

 そんな。

 そんなことって。

「ボクは思う」

 彼がドレスを見る。

「これは怪異なんかじゃない」

 霧の向こうを見る。

「仕組まれた犯罪だ」

 低い声。

「《港の白い女》の伝説を利用した――殺人かもしれない」

 殺人。

 その言葉に、
 心臓が跳ねた。

 でも――。

 私は、
 ドレスを見つめた。

 なにかがおかしい。

 洋裁師として、
 どうしても気になる。

「小田切さん」

 私は静かに言った。

「少しだけ……見てもいいですか?」

「もちろん」

 彼が即答する。

 そして、
 そっと自分の外套を私の肩にかけた。

「冷える」

 ……っ。

 近い。

 しかも自然。

 この人、
 こういうの反則じゃない?

「む、むやみに優しくしないでください」

 思わず言う。

「勘違いします」

 一瞬。

 小田切さんが目を丸くした。

 そして。

 少しだけ笑った。

「困るな」

 低い声。

「ボクは、少しは勘違いしてほしいんだけど」

 …………。

 え?

 えええ?

 なに今の。

 心臓に悪い。

 悪すぎる。

 私は慌てて、
 ドレスへ顔を向けた。

 ……落ち着け。

 仕事。

 今は仕事!

 私は深呼吸して、
 白いドレスを手に取った。

「まず――裾を見ます」

 洋裁師としての目が、
 静かに動き始める。