隣の席の悪魔【旧版】

十一月。

外はもう暗くて。

図書館の窓は、
少しだけ私を映している。

閉館時間。

返却棚。

カウンター。

静かな館内。

私は返却された本を抱えたまま、
小さくため息を吐く。

「……最悪」

利用者さんが予約していた本。

確認ミスで、
別の人へ貸し出してしまった。

先輩が気づいてくれたから、
大きな問題にはならなかった。

「大丈夫だよ」

そう言って、
笑ってくれた。

でも。

笑ってもらえる方が、
余計に申し訳ない。

胸の奥が、
ずっと重い。

私はカウンターへ戻って、
小さく息を吐く。

その時。

ふと視線が止まった。

腕時計。

シャンパンゴールドの文字盤。

細いオレンジのベルト。

この間、空くんが選んでくれた時計。

『星野っぽいから』

あの時の声が、
ふっと頭に浮かぶ。

図書館の白い灯りを映して、
文字盤は今日もちゃんと光ってる。

私は指先で、
そっと時計へ触れる。

……どこが、
私っぽいんだろう。

そう思った瞬間。

なんか急に、
情けなくなって。

私はそのまま机に突っ伏した。

◇

帰り道。

夜風。

私は携帯を見つめた。

少し迷ってから、
画面を開く。

『今日やらかした』

送信。

私は携帯をポケットへ戻しかける。

その時。

ぶるっ。

『朝比奈 空』

え。

電話。

私は慌てて耳へ当てた。

「も、もしもし!?」

『……何した』

低い声。

私は思わず立ち止まる。

「え」

『やらかしたんだろ』

「……なんで電話なの?」

『文字だと長くなる』

……絶対違う。

でも。

いつもの調子に
気づくと笑ってしまっていた。

◇

「予約の確認、
ちゃんとしてなくて……」

私は歩きながら、
ぽつぽつ話す。

空くんは途中で、
ほとんど何も言わない。

でも、時々聞こえる短い相槌。

……ちゃんと聞いてくれてる。

全部話し終わったあと。

『……司書何年やってんの』

「二年目」

『まだ新人じゃん』

「え?」

『そんな顔するなってこと』

私はマフラーに顔を埋めた。

「……顔、
見てないくせに」

『……分かるだろ』

いつもより柔らかい声に、
私は何も言えなくなる。

少しだけ静かになったあと。

『……星野』

「ん?」

『反省できるの、
お前の長所』

私は少し黙る。

『テキトーだったら、
そんな落ち込まない』

言葉が出ない。

空くんも、
しばらく黙っていた。

そのあと。

『……今日走れよ』

「え?」

『全部解決する』

私は思わず笑った。

「……暴論すぎ!」

耳元で、小さく笑う声。

そして。

『……俺も走る』

「え」

『負けた方、
ジュースな』

私は思わず瞬きをする。

「どうやって判断するのよ!」

『知らない』

電話の向こうで、
また小さく笑う声。

気づいたら。

さっきまで苦しかった胸が、
少しだけ軽くなっていた。

◇

「じゃ、
ちゃんと寝ろ」

「空くんもね」

『ん』

通話が切れる。

静かな夜道。

私は携帯を下ろして、
視線を落とした。

腕時計。

街灯の灯りを映して、
静かに光ってる。

気づけば。

さっきより、
少しだけ私になじんで見える。

私は小さく息を吐く。

ポケットへ携帯をしまって、
もう一度歩き出した。

明日は、
ちゃんと笑えそうだった。