少年吸血鬼はハンターの未亡人に愛を捧げる


夫を殺し、ベスや人々をバンパイアに変え、殺人の喜びに震えるこの男にまたもや奪われようとしている。

だが、次の瞬間の出来事に、ナタリアは心臓を鷲掴みにされ、ぐちゃぐちゃにもみ砕かれたような気がした。いや、心臓が止まり、永遠にその瞬間に留まっているような気がした。

ルカの手が、傍らに落ちた長剣を拾ったのだ。

アルフォンスが、ベスの命を断った剣……ギラリと鋭く研ぎすまされた……その剣でルカがアリシアの手首を薙いだ。

ギルバートが引き合いの綱を切られ、一瞬がくんと姿勢を崩す。そのわずかな隙にルカがギルバートをけりつけ、ギルバートの体は東屋から吹き飛ばされ人々の間に沈み込んだ⋯⋯。

切り落とされたアリシアの手首を握りしめたまま。

「ああああっ‼︎」

「貴様‼︎」

ギルバートが絶叫したが、それよりもナタリアの叫び声が東屋を満たしていた。

「ルカ‼︎ どうして、どうして⁉︎ お義母様!」

先端を失ったアリシアの手首からは血が噴出し、ドプッドプッと床に流れ出している。

その量は、ナタリアから見てもとうてい生命を維持できるとは思えない。

アリシアは、目を見開き、口を小さく開け閉めしながら、目を泳がせていた。

「愛し、てるわ⋯⋯ルカ、お願い⋯レイ、モンドを⋯⋯」

 アリシアの胸がびくびくと上下して言葉は続かない。

アルフォンスの目が、信じられないものを見たショックで見開かれているのがこの場に不似合いなほど滑稽だった。

ナタリアには、アリシアの命が尽きようとしていることがはっきりと分かった。

「お義母様!」

「アリシア、私も愛しています」

ルカがはっきりとそう言い、言葉では言い尽くせない慈愛に満ちた表情を浮かべてアリシアを抱きしめた。

そして、ルカの顔がアリシアの細い首に埋まり、ぶつりと皮膚が破られる音がした。

「お義母さま!」

アリシアの唇は、愛しい男の名を呼んで小さく開いた。

その表情には一片の苦しみもなく、ただ微笑んでいる。

『自身を愛する者の血こそが一番甘い』ナタリアはルカの言葉を思い出していた。

「あぁっ⋯⋯あ、あ⋯」アリシアの口から溢れる悲鳴は、悦びに満ち、その体は、牙に貫かれ、血を吸い取られる喉の上下に合わせるように震え、潤んだ瞳からは、一筋の涙がこぼれた。

「アリシア⋯⋯あなたの血は、いつだって甘い。私は、ずっとほしかった」

ルカが、じゅうっとアリシアの血を吸い上げると同時に、彼女の体は歓喜の声を上げながらビクッビクッと大きく震えた。

アリシアの体は、それを最後にぐったりと力をなくした。彼女は穏やかで幸福に満ちた表情をしていた。

「貴様! 貴様、どうして、どうして母上を⋯⋯! 私の獲物だったのに! 私の!」

アリシアの体を、ルカは静かに横たえた。

「ルカ、なぜこんなことを⁉︎」

アルフォンスの問いかけにルカは答えず、その姿は濃い霧に変わった。

そして、まだ呆然と体をこわばらせていたギルバートに、一瞬で巻きついた。

「うぐぉおおっ!」

ギルバートが叫ぶと同時に、彼の中からボキボキと骨の折れる音がした。

「自身を愛する者の血こそが、バンパイアの力を何よりも強める」

ルカが冷徹に言った。

ナタリアは、その言葉に、ヴェネディクトの血が甘かったというギルバートの言葉を思い出した。

「ああ、ヴェネディクト⋯⋯」

夫は、兄ギルバートの憎しみに、いつだって傷ついていた。

彼は、ギルバートを愛していたのだ。

ギルバートが、その哀れな生い立ちから一切を持とうとしなかった愛を、彼はギルバートに与えようとしていたのだ。

だが、皮肉にもそれはギルバートの血を目覚めさせた。

そしてギルバートは、何者も愛せなかった罰を、今身に受けている。

目の前で背をしならせてぐったりと二つ折りになったギルバートの体。

ルカが変化した黒い霧の中から、ギルバートの血がこぼれ、レンガの上に溜まった。

ルカとアリシアとがこの世に送り出した血だった。
そして、ヴェネディクトと、ほかの人々の命を奪ってめぐる血だった。

「どうして⋯⋯私は、私のほうが、多くの血を⋯⋯血を⋯⋯」

さらに霧がギルバートを締め付け、ギルバートの口から、血に交じって黄色い胃液があふれ、ナタリアの喉の奥で何かがせりあがって来たが、なんとか飲み込んだ。

「ギルバート・イェーガー。君にはいろいろなことを教えたかった。人としても、ダンピールとしても、バンパイアとしても」

「なぜ⋯私は多くの命を⋯⋯」ギルバートは、幾人もの生命を奪った真のバンパイアだ。その生命はしぶとく、まだ強い意志の力を残していた。

「愛する者の血こそが、バンパイアを真に強くするんだ、息子よ。それこそが、甘く香しい生命の果実だ。ギルバート、なぜ妻の血を啜らなかった? そうすれば勝てたのだ。どうして彼女を仲間にしなかった? 彼女であれば、有象無象の者たちより素晴らしい仲間になっただろうに」

ギルバートの顔が瞬間ゆがみ、何か言うようにわずかに動いた。

そのとき、ナタリアは自分でも驚くほどの衝動が腹の底から湧き上がってきて、誰が落としたのかもわからぬ銀のナイフをとっさに拾い上げた。

 そして、ギルバートに向かって振りかざした。