彼は傷を負いながらも、ナタリアとアリシアを守ったのだ。
「ああ、アルフォンス! どうしよう血が止まらないわ⋯⋯!」
アルフォンスの体はガタガタと震え、痛みに食いしばった歯の隙間から、苦鳴がこぼれている。
それは、父の臨終を看取った時の様子と似ていて恐ろしい光景だった。
「アルフォンス、アルフォンスどうすればいいの⁉︎どうすればあなたの助けになるの⁉︎」
今ナタリアがアルフォンスに差し出せるものが何か、ナタリアにはよくわかっていた。
(だけど。どうなるの? 血を吸われて、それで、私は死んでしまうの?)
ナタリアは、夫ヴェネディクトの死を思い出した。
一時は、あんなにも望んでた結末だった。夫と同じ場所に行きたいとさえ思っていたのに。
(でも、もしもアルフォンスが私の血を飲んで殺したとしたら、アルフォンスは、本物のバンパイアになってしまうわ)
彼一人を生かすために、墓所で眠りにつくバンパイア達……本当に普通の少年のような可愛いアルフォンス。
(彼は、私を殺したら、違う生き物になってしまうわ……そんなの、嫌……でも、このままじゃ皆死んでしまう)
(いえ、少しだけ……ほんの少しでいいはずよ、あの日ベランダでだってそうだったわ)
逡巡と決意を行ったり来たりしながら、ナタリアはポケットからハンターのナイフを取り出した。
だがナタリアが自分の手を傷つけようとした時、
だった。
「ナタリア」
突然、身を起こしたアルフォンスにガシッと抱き着かれたのだ。
「ア、アル……」
よける間も何もなくアルフォンスの冷たい手がナタリアの首筋を撫でた。
ナタリアの体を締め付ける腕の力は人の力とは違う。まるで鉄に絞められたようにびくともしない。
「いや、アルフォンス……いやよ」
だが、口ではそういいながらも、ナタリアは自分自身でもそれが本心だとは思えなかった。
アルフォンスの命がこれで助かるに違いないと思い、心は葛藤から解放される安堵感に満ちている。
ただ、かわいらしい純粋な恋人アルフォンスとナタリアがただ過去の中に消えてゆくのは少し残念で、僅かなりとも愛の痕跡を残そうとしたアリシアの気持ちがわかったような気がした。
アルフォンスの手で、そこに牙を立てやすいようにするためであるかのようにナタリアの首を傾げられた。
ナタリアの無防備な喉がさらされ、アルフォンスがうっとりと言った。
「ナタ、リアすごく、甘い匂いがする……」
ルカの言葉がふいに心を過る。
自身を愛する者の血こそが、何よりも甘美なのだ。
「あっ⋯⋯」
アルフォンスが倒れ込むようにナタリアを冷たい東屋の床に組み伏せ、そのままの勢いでナタリアの喉に嚙みついた。
そして、その牙がズグリとナタリアの喉に突き立った瞬間だった。
ザアッと、強風に叩きつけられるように、真っ黒の霧が二人の間に割り込み、アルフォンスを弾き飛ばしたのだ。
「うわっ!」
アルフォンスの体が床に叩きつけられ、黒い霧の中から白い手が伸びて、その肩を床に押さえつけた。
東屋の床に甲冑から奪った長剣がクルクルと円を描いて滑った。
「アルフォンス様!」
ナタリアがその霧の正体が誰なのか考える間もなく、霧はルカの形になった。
ルカが自分の手のひらを傷付け、その血をアルフォンスの口に流し込むと、アルフォンスは長い悪夢から目覚めたばかりのようにはっと大きく息をして、頭を振りながら起き上がった。
「ア、アルフォンス⋯⋯大丈夫?」ナタリアが恐々声をかけると、アルフォンスはすまなそうに顔をしかめた。
「ああ、すまない……正気じゃなかった」
ルカがアリシアを大切な宝物のように抱きあげて、苦々しい顔でアルフォンスを見やる。
「アルフォンス様、言ったでしょう? 自身を愛する者の血こそが何よりも甘美なのだと。危うくナタリア様を死なせるところでしたよ。あなただって重々ご承知のはずです。人の命を喰った者でなければ、純血のバンパイアといえどバンパイアの血を送り込むことは出来ません!」
ルカの言葉に、アルフォンスは苦しげに唇を噛んだ。
「本当にすまない、ナタリア」
言いながらシャツの袖でナタリアの首筋に立てた牙の跡を拭った。その傷はちくりと痛んだ。
そして、アルフォンスはナタリアに正面から向き合い、彼女を力いっぱい抱きしめた。
「アルフォンス、苦しいわ」
そう言うナタリアを見返すアルフォンスは誇らしげで、情熱的で、若さが持つ傲慢さや自信のすべてがその表情に宿っている。
(アルフォンス、なんて可愛いのかしら)
ナタリアはキューっと締め付けられるようなくすぐったさで恥ずかしくもあり、そしてこんな窮地でありながら、年下の少年の事で頭をいっぱいにしている自分が可笑しくもあった。
「傷は大丈夫なの?」
「ああ」
アルフォンスは腹の傷を痛そうに撫でてはいるが、どうやらルカに少し血を分けられただけでほとんど治ってしまったようだ。
バンパイアの生命力は、やはり人のものとは桁違いなのだ。
だが、義母はかつてはハンターの戦士であったかもしれないが、もとよりハンターはただの人間で、彼女は今や老女に過ぎない。
ギルバートに切りつけられた背中の傷は浅いものではない。
相当な痛みに襲われているはずだが、義母はただ静かにナタリアとアルフォンスを見つめている。
愛おしむような苦しいような、そんな表情だ。
ナタリアは、なんだか自分がアリシアの娘になったような気がした。
ナタリアは彼女に自分の話を聞てほしいと思った。そして、アリシア自身の話も聞きたいと思った。
だが今はその時ではない。東屋を囲む人々は数を増やし、目に憎しみを湛えた大勢の人々が取り囲んでいる。
彼らは、東屋に入るつもりがないのか、それとも他の理由なのか、じっと立ち尽くして東屋の4人を見つめている。
だが、その理由はすぐにわかった。
彼らは自分の主人が到着するのを待っていたのだ。
ふいに人垣が割れ、後ろからギルバートがクライマックスシーンの英雄のように悠々とした足取りで現れた。
彼は血まみれだった。肩から腹にかけての大きな傷、太ももは骨まで達するほどに傷ついて、まだ血が滴っている。
そして、切り落とされた右腕を無造作に掴んでいる。
常人であればとても立ってはいられないだろう。
「ギルバート⋯⋯」
ルカの腕の中で、アリシアが心配そうに息子の名を呼んだ。
「母上! いったいどういうおつもりですか? あなたは生粋のハンターの女! バンパイアを滅するために生まれた、純血の一族! それが、このような汚らわしい化け物にたぶらかされ、その味方をするとは!」
ギルバートが血の混じった嗄れ声で言うとアリシアは弱々しく首を振った。
「ギルバート、違うわ! お義母さまは、お義母さまはただ愛を⋯⋯!」
ナタリアがギルバートの言葉に黙っておれず、立ち上がって叫ぶと、悪魔のように美しい義兄は嫌悪を新たにナタリアを睨みつける。



