叫ぶ間もなく斧が頭上に落ちて来た。ドアが外れてから一瞬の事だ。
だが次の瞬間、ナタリアは放り投げられるように背後に引かれ、尻もちをついた。
ドスッ!
ナタリアの足の間に、斧が深々とつき立っている。
叫ぶことも忘れてあっけにとられたままのナタリアの脇を、黒い霧が一瞬で通り過ぎ、アルフォンスの姿になり、彼はホールで甲冑から奪った長剣の柄で男の喉をついた。男は声もなく目を剥いて倒れた。
「そ、その人⋯⋯」
アリシアが震えながら言った。
「心配しなくて良い、しばらくしゃべれないだろうがな」
ホッとしたナタリアが立ち上がろうとした時、新たに叫び声を上げながら幾人もの男女が群がり集まって来た。
手に小さなナイフを握っている者もいる。
「アルフォンスあの男ハンターのナイフを持っているわ!」
「ああ、クソッ! どうしてこの出口がわかったんだ? まさか屋敷中にこいつらがウヨウヨいるってことか?」
その声と同時に、再び霧の姿になったアルフォンスが二人目の男の喉に巻き付くと、男はすぐに気を失って倒れた。
そうしている間にも、襲撃者の数は増え、十人ほどにもなった。
残照に照らされた人々の中には老人や幼い子供も混じっている。
それらの人々が、あり得ないようなスピードで三人に襲い掛かってくのだ。
アルフォンスも彼らの扱いには苦戦している。彼らは何の罪もない近隣住民なのだから。
「ギルバート⋯⋯」
アリシアが呆然と呟く。
この人々を送り込んで来たのは、この人の息子なのだ。
目の前では一番小さな男の子をアルフォンスがその扱いに困ったような顔で無理やり拘束し、子供の母親らしき女が叫び声をあげて襲い掛かってくるのを足蹴にしている。
「クソ、やり難い!」
アルフォンスの足手まといにこそなれ何の手助けも出来ないナタリアは、ただ戦うアルフォンスを見つめる事しか出来なかった。
敵は、減らしても減らしても新たに現れ、また起き上がって三人に襲いかかる。
明らかに正気を失っている人間たちがナタリアとアリシアに手を伸ばし、避ける間も無くナタリアの肩が掴まれ、地面に引き倒される。
「きゃあっ!」
「ナタリア!」と、アリシアの叫び声も重なった。
男、女、子供、老人⋯あらゆる身なりの人々だ。
ギルバートは誰彼構わず魅了し、送り込んできたのだろう。夕方に家路を急いでいただろう人々を自分の手ごまにする卑劣なやり口に、とうとうアルフォンスが音を上げた。
「ルカ! ルカ、助けてくれ!」
アルフォンスが、ナタリアを抱き起こしながら叫んだ。その表情は焦り、余裕を失っている。
「ルカ!」
アルフォンスの声に呼応するように、三人の前に真っ黒い霧が強風に煽られたカーテンにように広がった。
「ルカ⁉︎」
応援の登場にナタリアが歓喜の声を上げる。
だが黒い霧が一瞬で人の形をとった時、その声は絶望の呻き声に変わった。
「ギルバート!」
真っ先に声を上げたのはアリシアだった。
「ルカ! ルカはどうしたの!?」
黒い霧の姿になって現れたのは、ギルバートだった。
白いシャツの胸元は血で汚れ、その瞳は赤く輝いている。
「バンパイアの心配をするのか、この売女め!人を裏切る獣め! 母上、その汚い裏切りを書いた手紙、あとでじっくりと隠し場所を思い出していただきますよ」
ギルバートの怒りに歪む表情はおぞましく、そして同時に美しくさえあった。
ナタリアは、目が離せないまま、義兄の顔を見つめた。
その顔を、ナタリアは今初めてヴェネディクトに似ていると思った。
ギルバートが獣のように唸り声を上げて尖った爪を三人に振りかざす。
「あっ……!」
アルフォンスがその爪から女二人を庇いはしたが、爪はアリシアの背を裂いた。ビシャッと血が飛び散り、ナタリアの顔を汚した。
「お義母様!」
アルフォンスが霧になって三人を包み込むと、あっという間もなく上昇して、三人はギルバートと迫り来る人々を見下ろしていた。
よどんだ眼をした襲撃者たちは、三人を追いかけようと手を伸ばし、飛び上がっているが、空を飛ぶ三人に手が届くはずはない。
だが、ギルバートは簡単に追ってくることが出来るはずだ。
アルフォンスは飛び上がった勢いのまま方向を変えて、東屋の屋根が見える木立の方に方向を定めた。
だがその時、ナタリアの視界の端に、ギルバートが何か銀色の光るものをこちらに向かって投げたのが見えた。ハンターのナイフだと直感的に気づいたが、なすすべも無い。
「うっ!」
アルフォンスが呻き声を上げ、ガクンと急降下した。
「アルフォンス!」
ギルバートの投げたナイフが、どこかに当たったに違いない。ハンターが使う銀のナイフは、触れるだけでバンパイアに深い傷を負わせるのだ。
アルフォンスから焼けた肉の匂いが上がって彼は霧の姿のまま墜落するように高度を下げ始めた。
「アルフォンス、頑張って!」
アルフォンスは高度を下げながらも、東屋に向かって飛び続け、とうとうその屋根の下に逃げ込んだ。
ドサッ!
三人はもつれ合うように東屋の床に投げ出された。
ナタリアは真っ先に起き上がって義母を見た。ドレスの背中はじっとりと血で濡れそぼっていて、あきらかに重傷だった。
その顔は蠟のように白くまるで死んでいるようにさえ見えた。
ナタリアの呼びかけにわずかに唇が動き、ナタリアが声をかけるとうっすらと目を開けはした。
「アルフォンス!」
アルフォンスはアイアンウッドの灰色の床に横たわり、歯を食いしばって震えている。
腹部からは血が流れて床に血だまりが出来始めていた。



