「ですが、イェーガー家の執拗な追跡のせいで一ヶ月もしないうちに洋上で私たちはフーベルトに追い詰められました」
アリシアが目を伏せ声をつまらせたのでルカが話を引き取った。
「あの忌々しいフーベルト・イェーガーは、私の息子を、自分の分身の如く育て上げ、アリシアの主人のように振る舞い、その魂を脅かした。そして、その狂気は今、ギルバート・イェーガーの形になってアリシアを脅かしている」
「ルカ⋯⋯お前が殺したのか? その男を! 血を啜って!」
アルフォンスが悲痛な表情で叫ぶように言った。
「ええ、そうです。フーベルト・イェーガーと沖合いで対決して、私が勝利しました。私は夜の一族の完全なる仲間になりました。アルフォンス様、あなたはなぜ私が年を取っていないことに気が付かなかったのですか?」
ルカのからかうような言葉にアルフォンスはムウっと子供っぽく唇を尖らせたが、ナタリアはそれは仕方がないことだと思った。
子どもは、親が年を取っていくことなど気が付きはしないのだ。
ナタリアもまた十四歳のとき、棺に収まる母親を見て初めて彼女が年を取っていることに気がついたのだから。
「ルカ、ねえ、何故アリシアを連れて行かなかったの? どうしてお義母様とギルバートはイェーガー家に戻ったの?」
ナタリアの問いにルカとアリシアは静かに見つめ合い、その答えは返ってこなかった。
しばらくしてアリシアが、自分しかできない話をするためにまた口を開いた。
「手紙の存在は、父が死ぬ直前にギルバートに教えたと思うわ。おそらくギルバートの秘密と一緒にね⋯⋯でも、馬鹿ね、たった一通の手紙を消しても事実は消えないわ! あの子はバンパイアの血を受け継いでいるのよ」
アリシアの父シェイマスが死んだのは、一年前だ。それは、ギルバートのヴェネディクトへの憎しみが一層高まった時期とも一致していた。
自身の出生の秘密を、よりにもよって狩るべき獣の血を引き継ぐと告げられたギルバートの絶望はいかほどだっただろうか?
ナタリアはギルバートを好ましいと思ったことは無かった。
だが彼自身が誇り、頼りにしている出自が裏切られた事には同情を感じた。
ナタリアが言い出せずにいる疑問を、アルフォンスが口にした。
「ではヴェネディクト・イェーガーを殺したのは、ギルバートなのか?」
ナタリアの心臓が痛いほどはねた。答えを聞きたくなくて、だが聞かなくてはいけない答えだった。
ベッドの上の義母アリシアも顔を強張らせて、その手は固く握りしめられている。
ルカは首を横に振って言った。
「わかりません。ですが状況から見て⋯残念ながら弟を殺した可能性は充分にあるでしょう」
それを聞いたアリシアが、アアッと叫び声を上げ、シーツを握りしめた。
「ナタリア、ナタリアごめんなさい! 私がいけなかったの! 私が耐えられなかったから! ギルバートは十分に幸せだったのよ。祖父シェイマスと養父フーベルトの元で残虐に育つ事に何の疑問も持っていなかったわ! それなのに、私が耐えきれず⋯⋯。あの子は養父を失ってから、余計に狂っていったわ⋯⋯! 全ての人間を憎んでいる! 特に私を憎んでいるわ! 私のせいでルカは完全なバンパイアになって、そしてギルバートまで!」
アリシアはおそらく、ヴェネディクトを喰ったのはギルバートだと確信しているのだ。
彼女の息子二人は、兄が弟を弑するという恐ろしい結末によって二人ともがこの母親から失われたのだ。
だが、ナタリアは手紙の内容を思い返した。
恋人のルカを忘れて夫と生きようとしたアリシア。
それなのに暴力的な夫の残酷な仕打ち。
「お義母様、でも、あなたがあんな責苦に耐えなければいけないなんて思えません!」
アリシアの肩を抱きながら、ナタリアも泣いていた。
「ギルバートが私の周りを探っていたのは、私が秘密を知っているかどうか、確かめようとしたのかしら?」
ギルバートは、なりふり構わず、ナタリアの家に侵入し、荷物を片っ端から広げていた。
「そうかもしれませんね」
ルカが頷き、アルフォンスが憎らしげに鼻を鳴らした。
窓のない客間には、ランタンの灯油の匂いと、人の熱が籠っている。
「ギルバートは、血に目覚めた今になっても認めたくないの。自分がバンパイアの血族であるということを。私はでも、それが誇りなの⋯ルカを愛していることが。それが、誰の記憶にも残らずに消えていくことが悲しかったの。だからこの世に秘密があるという事を誰かに少しだけ知ってほしくて、あの本にメモを書いたのよ。それをヴェネディクトが見つけてくれたわ。私がハンターであるだけじゃない愛を持った一人の人間だってことを」
「じゃあお義母様、ヴェネディクトはギルバートの秘密を知っていたんですか?」
ナタリアは、そのせいで夫がギルバートに目をつけられたのかと直感的に思った。
だがアリシアは少し困惑気味に首を横に振る。
「私、この別荘で『満月を飛び越えての草稿を読んだことがあって、その時にイェーガー家の林檎の木と池にそっくりだって思ったの。だからせめてもの思い出にと、ジェイを埋葬するのにあの木の下を選んで、全てと決別するつもりで手紙も全て埋めたわ。二十九年も前の事よ。手紙はもう朽ちてしまっているでしょう。それに考えてもみて。ヴェネディクトが林檎の木の下に何かが埋まっていると思ったとして、彼が犬の墓を掘り返すかしら? ヴェネディクトは手紙の中身も、私のメッセージに何の意味があるのかさえ知らなかったはずよ」
アリシアの言葉に、ナタリアは喉を詰まらせた。
ヴェネディクトは優しい男だった。
確かに彼ならば、決して母親が大事にしている犬の墓を掘り起こしたりしないだろう。
逆に、ギルバートはおそらくアリシアがジェイの墓に寄せる感謝や悲しみも気付いていなかった。だから、その下に秘密を埋めた可能性に思い至ることが出来なかったのだろう。
「はい⋯⋯」
(じゃあ、どうしてヴェネディクトは死んだの? ギルバートは、何故ヴェネディクトを⋯⋯?)
おさまっていた風が、ナタリアの苦しみを煽るように吹き始め、窓がガタガタと揺れる音がする。
アリシアが目を伏せ声をつまらせたのでルカが話を引き取った。
「あの忌々しいフーベルト・イェーガーは、私の息子を、自分の分身の如く育て上げ、アリシアの主人のように振る舞い、その魂を脅かした。そして、その狂気は今、ギルバート・イェーガーの形になってアリシアを脅かしている」
「ルカ⋯⋯お前が殺したのか? その男を! 血を啜って!」
アルフォンスが悲痛な表情で叫ぶように言った。
「ええ、そうです。フーベルト・イェーガーと沖合いで対決して、私が勝利しました。私は夜の一族の完全なる仲間になりました。アルフォンス様、あなたはなぜ私が年を取っていないことに気が付かなかったのですか?」
ルカのからかうような言葉にアルフォンスはムウっと子供っぽく唇を尖らせたが、ナタリアはそれは仕方がないことだと思った。
子どもは、親が年を取っていくことなど気が付きはしないのだ。
ナタリアもまた十四歳のとき、棺に収まる母親を見て初めて彼女が年を取っていることに気がついたのだから。
「ルカ、ねえ、何故アリシアを連れて行かなかったの? どうしてお義母様とギルバートはイェーガー家に戻ったの?」
ナタリアの問いにルカとアリシアは静かに見つめ合い、その答えは返ってこなかった。
しばらくしてアリシアが、自分しかできない話をするためにまた口を開いた。
「手紙の存在は、父が死ぬ直前にギルバートに教えたと思うわ。おそらくギルバートの秘密と一緒にね⋯⋯でも、馬鹿ね、たった一通の手紙を消しても事実は消えないわ! あの子はバンパイアの血を受け継いでいるのよ」
アリシアの父シェイマスが死んだのは、一年前だ。それは、ギルバートのヴェネディクトへの憎しみが一層高まった時期とも一致していた。
自身の出生の秘密を、よりにもよって狩るべき獣の血を引き継ぐと告げられたギルバートの絶望はいかほどだっただろうか?
ナタリアはギルバートを好ましいと思ったことは無かった。
だが彼自身が誇り、頼りにしている出自が裏切られた事には同情を感じた。
ナタリアが言い出せずにいる疑問を、アルフォンスが口にした。
「ではヴェネディクト・イェーガーを殺したのは、ギルバートなのか?」
ナタリアの心臓が痛いほどはねた。答えを聞きたくなくて、だが聞かなくてはいけない答えだった。
ベッドの上の義母アリシアも顔を強張らせて、その手は固く握りしめられている。
ルカは首を横に振って言った。
「わかりません。ですが状況から見て⋯残念ながら弟を殺した可能性は充分にあるでしょう」
それを聞いたアリシアが、アアッと叫び声を上げ、シーツを握りしめた。
「ナタリア、ナタリアごめんなさい! 私がいけなかったの! 私が耐えられなかったから! ギルバートは十分に幸せだったのよ。祖父シェイマスと養父フーベルトの元で残虐に育つ事に何の疑問も持っていなかったわ! それなのに、私が耐えきれず⋯⋯。あの子は養父を失ってから、余計に狂っていったわ⋯⋯! 全ての人間を憎んでいる! 特に私を憎んでいるわ! 私のせいでルカは完全なバンパイアになって、そしてギルバートまで!」
アリシアはおそらく、ヴェネディクトを喰ったのはギルバートだと確信しているのだ。
彼女の息子二人は、兄が弟を弑するという恐ろしい結末によって二人ともがこの母親から失われたのだ。
だが、ナタリアは手紙の内容を思い返した。
恋人のルカを忘れて夫と生きようとしたアリシア。
それなのに暴力的な夫の残酷な仕打ち。
「お義母様、でも、あなたがあんな責苦に耐えなければいけないなんて思えません!」
アリシアの肩を抱きながら、ナタリアも泣いていた。
「ギルバートが私の周りを探っていたのは、私が秘密を知っているかどうか、確かめようとしたのかしら?」
ギルバートは、なりふり構わず、ナタリアの家に侵入し、荷物を片っ端から広げていた。
「そうかもしれませんね」
ルカが頷き、アルフォンスが憎らしげに鼻を鳴らした。
窓のない客間には、ランタンの灯油の匂いと、人の熱が籠っている。
「ギルバートは、血に目覚めた今になっても認めたくないの。自分がバンパイアの血族であるということを。私はでも、それが誇りなの⋯ルカを愛していることが。それが、誰の記憶にも残らずに消えていくことが悲しかったの。だからこの世に秘密があるという事を誰かに少しだけ知ってほしくて、あの本にメモを書いたのよ。それをヴェネディクトが見つけてくれたわ。私がハンターであるだけじゃない愛を持った一人の人間だってことを」
「じゃあお義母様、ヴェネディクトはギルバートの秘密を知っていたんですか?」
ナタリアは、そのせいで夫がギルバートに目をつけられたのかと直感的に思った。
だがアリシアは少し困惑気味に首を横に振る。
「私、この別荘で『満月を飛び越えての草稿を読んだことがあって、その時にイェーガー家の林檎の木と池にそっくりだって思ったの。だからせめてもの思い出にと、ジェイを埋葬するのにあの木の下を選んで、全てと決別するつもりで手紙も全て埋めたわ。二十九年も前の事よ。手紙はもう朽ちてしまっているでしょう。それに考えてもみて。ヴェネディクトが林檎の木の下に何かが埋まっていると思ったとして、彼が犬の墓を掘り返すかしら? ヴェネディクトは手紙の中身も、私のメッセージに何の意味があるのかさえ知らなかったはずよ」
アリシアの言葉に、ナタリアは喉を詰まらせた。
ヴェネディクトは優しい男だった。
確かに彼ならば、決して母親が大事にしている犬の墓を掘り起こしたりしないだろう。
逆に、ギルバートはおそらくアリシアがジェイの墓に寄せる感謝や悲しみも気付いていなかった。だから、その下に秘密を埋めた可能性に思い至ることが出来なかったのだろう。
「はい⋯⋯」
(じゃあ、どうしてヴェネディクトは死んだの? ギルバートは、何故ヴェネディクトを⋯⋯?)
おさまっていた風が、ナタリアの苦しみを煽るように吹き始め、窓がガタガタと揺れる音がする。



