少年吸血鬼はハンターの未亡人に愛を捧げる


「違う、ベスは違うわ!」

ナタリアはベスとルカの間に立ちふさがった。

「いいえナタリア様」

冷酷なまでに平穏なルカの声。ベスはさっきと変わらぬ姿勢でのまま、指の間からナタリアを見ていた。

その目は、いつもの優しいメイドのものとは思えない。

彼女の瞳は、暗がりで擦られたマッチの火のように欄々と光っていたのだ。

「嘘よ、そんな!」

だがナタリアはイェーガー家に戻った最初の夜に、不審な男が侵入したことを思い出して、それ以上何も言えなくなった。

何者かが手引きして男を建物に入れたのだ。その人物は、ギルバートでなければ確かにベスかも知れなかった。

「ナタリア様、私を疑うのですか?」彼女は指の間からくぐもった声で言った。

「ベス⋯⋯」

「私が穢らわしいバンパイアの仲間だなんて、そんなはずないじゃありませんか」

だがその表情は先ほどのギルバート同様、牙を剥く獣のようで、とても人とは思えない。

目があちこちにぐるぐると回り、わななく唇から、見間違えようもない、鋭く尖った牙が、ガチャガチャと乱れてはみ出している。

「ベス、ベス⋯⋯ギルバートがあなたをそんなふうにしてしまったのね? ああ、愚かな子⋯⋯」

アリシアがさらに涙を滴らせながら切れ切れにそう言うと、ベスは顔を上げてそこにいる全員を見回して突如叫んだ。

「愚かだなどと! ギルバート様は素晴らしいお方! この上なくお美しい、私の主人、強大なお力を私に分けて下さった偉大な主人! それを愚かだなどと、許しがたい暴言ですアリシア様!」

ベスの豹変に驚いている間に、彼女の体はギルバートやルカと同じように霧に姿を変えた。

霧に姿を変えるのは、純血のもの以外は、人の血を喰ったもの。既に殺人を犯したもの。

人は人を殺してはならないという禁忌を破った者だという。

「ああ、ベス⋯⋯どうしてあなたが⋯⋯」

ナタリアとアリシアは、嘆きの声を上げた。

裏切られたショックと、身近に殺人者がいたという恐怖。その感覚は本や新聞で読む時に感じる遠い嫌悪感とは違った。

霧になったベスはドアに向かって大きく溢れ、そのドアを開けようとした。ドアの向こうには黒い霧が渦巻いて待ち構えている。

彼女はギルバートを招き入れようとしていた。

だが、ドアが開く直前にルカがアリシアのポケットからナイフを抜き取り、霧の姿になったベスに投げつけた。

ナイフは霧を通り抜けてドアに刺さった。

手負いの獣のような唸り声が霧から聞こえ、霧は再びベスの姿を取った。彼女の耳元はざっくりと切れて、床に血が滴った。

「ああ、血が、ギルバート様に頂いた尊い血が⋯⋯」

その声は悲し気で、ナタリアは泣きそうなメイドの前に膝を折って謝りたい衝動にかられた。

だが、大股で走り寄ったアルフォンスの長剣がナタリアが一言も発する暇も与えずベスの胸を貫き、彼女は「あっ」と言うような形に口を開け、その場に頽れた。

そして、イェーガー家で見た男と同様に、先端の細い所から徐々に形が崩れ、焼ききれたような白い灰に姿を変えていく。

「ベス⋯⋯」

ルカとアリシアは、メイドが静かに姿を無くしていくのをじっと見つめている。

長剣を片手に立つアルフォンスの表情は、冷酷ささえ感じるほど静かだ。

「ベスが⋯バンパイアの仲間だったなんて」

ベスは、自分たちとは相容れない存在に変貌していた。

決してお互いが傍らに並び立つ事が出来ない異質な存在にだ。

だが……それでも……。

アルフォンスがふいに大股で距離を詰め、突然ナタリアを抱きしめた。

そして、いつの間にかナタリアの目からこぼれていた涙を、唇で吸い取った。

「あっ、アルフォンス……」

アリシアが震えながら声をかけた。

「ナタリア、人も人を傷つけるわ。バンパイア同士も傷つけあう。そして愛を守るために強くなる、時に冷酷にもなる。人もバンパイアも変わらないわ」



「はい、お義母さま」

ナタリアは涙が流れるにまかせて、アルフォンスを抱き返した。涙はあとからあとからあふれて止まることが無かった。

ドアの外を見ると、いつのまにか渦巻いていた黒い霧は晴れて外はただの小雨を伴った薄曇りに変わっていた。

ギルバートがつい今しがたまでそこにいたのは、仲間であるベスに何らかの感情を持っていたからだ⋯⋯とナタリアは思いたかった。

そうでなければ、あんな怪物に変えられてしまったベスが、あまりに哀れだった。

「ギルバートはどうなったの?」ナタリアが窓に近づこうとしたのを、アルフォンスが肩を掴んで引き戻した。

「あんたは本当に怖い物知らずだな⋯⋯バンパイアはお互いを感知できるわけじゃない。眷属関係にある者たちが呼び合う場合を除いて、姿が見えなければ見つける事はできない」

「そうなのね⋯⋯それでギルバートはここに来れたのね、ベスが呼んだのね。ごめんない、私のせいね。私がみすみすスパイを招き入れてしまったんだわ」

アルフォンスが、ナタリアの涙を指の甲でそっと拭った。

「気にするな。あんたが誰彼なく疑って、猜疑心に満ちた目で人を睨んでいるよりはずっと良い。それに、言っただろう?ルイザ―に来れば俺が守ってやると」

「アルフォンス⋯⋯」

アルフォンスの少年らしい正義感と純粋な忠誠心にナタリアの頬に熱が集まり、ピンクのバラのように赤らんだ。

その頬を見つめるアルフォンスの目は、じっとりと熱っぽく潤み、緑色の瞳に、時折チラチラと赤い光がさす。

「ありがとうアルフォンス、慰めてくれて。あなたは本当に優しい人ね」ナタリアは微笑んで言った。

アリシアは、遠雷が聞こえる夕暮れ空をじっと見つ、めている。彼女が空の中に探しているのは、我が子の姿なのか。