少年吸血鬼はハンターの未亡人に愛を捧げる

ルカとアルフォンスが同時に叫び、部屋の隙間を探すかのように辺りを見回す。

「バンパイアですって⋯⋯なっ、なぜ⋯?」

ナタリアは体を震わせアルフォンスの腕をギュッと握った。

(同じだわ⋯ヴェネディクトの時と⋯⋯)

窓をふさいでいたのは真っ黒な霧だった。

濃い霧がインクを流したように溢れていて、ほんの数十センチ先さえ見えそうにない。

 そこに突如、人の手がびたりと窓に張り付いた。

「誰か、誰かいる⋯⋯」

窓の外で、男のものらしい白い手が激しく窓を叩きはじめた。だが音はしない。

まるで助けを求めるかのようにガラスを引っ掻く様子に、ナタリアは叫び声をあげた。

それは半年前、愛する夫ヴェネディクト・イェーガーがバンパイアに殺された時とあまりに似ていたからだ。

「助け、助けなきゃ⋯⋯誰かいるわ! ああっ、ヴェネディクト! ヴェネディクト!」

泣きながら窓に駆け寄ろうとするナタリアを、アルフォンスがきつく抱きしめた。

「ナタリア違う! 騙されるな! あれはバンパイアだ! やつはナタリアに窓を開けさせようとしているんだ! ナタリアは狙われているんだ!」

ナタリアの肩を押さえ込みながら、アルフォンスが叫ぶ。

「どうやってここに辿り着いたんだ? ナタリア、ルイザーに来ることを誰かに話したのか?」

「エリーゼに言ったわ、それに使用人達……でもここへはどうやって? この屋敷に来たのは偶然よ⋯⋯そうでしょう?」

「そうです、ナタリア様」と、ルカ。

「じゃあ、どうして⋯⋯!」

その時、背後のドアがガタリと揺れた。

ドアを開けて顔を覗かせたのは、ベスだった。

ゾッとするほど強張った表情で、窓の外を見つめている。

「バ、バンパイア⋯⋯!」

彼女は唇を震わせて数歩後退ったかと思うと、狂ったような悲鳴を上げて突如廊下に走り出した。

「ベス、危ないわ! ベス!」

ナタリアもアルフォンスを振り払ってベスを追いかけた。

「駄目よベス行っちゃ駄目!」

ベスはそのまま玄関に向かって走っている。ナタリアは追いつくことが出来ない。

彼女はあっという間に玄関にたどり着き、ドアに手をかけようとした。

ドアガラスの向こうで、黒い霧が待ち構えるように渦巻いている。

「ベス、開けちゃダメ、そこにいるわ!」

間に合わない! と思ったナタリアの横を、アルフォンスが、到底人とは思えないスピードで追い越していった。

アルフォンスはベスに追いつくと、その肩を掴んで引き止める。

ホッとした次の瞬間、外から激しくドアを叩く音がして、ナタリアはその違和感に気がついた。

あの水夫が襲って来た夜、アルフォンスが窓を激しく叩いても何の音もしなかった。

《招かれないものは入れないんだ》アルフォンスが言っていたのは、そういうことなのだ。

この館もイェーガー家と同様に、招かれざる者は入れないようになっているに違いない。

さっきも白い手が窓を叩いていたのに全く音がしなかったのだ。だが、今は激しい音がする。

「ナ、ナタリア様⋯⋯」とベスの涙声。

「クソ!」アルフォンスが叫ぶ。

ドアの向こうのバンパイアが何をしているのかはすぐわかった。霧に中に沈むように、ドレスを着た細い肩が見えたのだ。

何者かも知れないバンパイアは、人をドアにぶつけているのだ。

ドン! ドン! と繰り返しドアが揺れ、ナタリアはステンドグラスの向こうから苦し気に助けを求めている女性の声を聞いた。

その声にナタリアは驚きで心臓が跳ねた。知っている声だったのだ。

その弱々しい声は、義母アリシア・イエーガーのものに違いなかった。

「お義母様‼︎」ナタリアの叫び声より早く、後ろから黒い霧が三人を追い越した。

「ルカ!」

アルフォンスが執事の名を呼んだ時には、彼はもう人の姿になり、その手によって玄関のドアが開かれていた。

ルカが手を伸ばし、霧を引き寄せるかのように掴んだ……霧の中の何かを。

黒い霧は、ルカの腕を伝って、堰を切られた濁流の様に家の中に流れ込んだ。

「キャアア!」

「ルカ、なぜ!」

外から入ってきた黒い霧は、ルカの腕を振り切り、天井へ這い登った。

ルカも霧に変化して、二塊の霧は絡み合いながらも混じり合うこともなく、だが巨大な塊になり玄関ホールにあふれる。

「ベス!こっちに来て!」

ナタリアは声をからしてベスを呼んだが、彼女は恐怖のせいか意味不明の奇声を発しながら頭を激しく振って床に突っ伏した。

二人分のバンパイアがねじれ合った霧は岸壁に打ち寄せる高波の様にうねり、壁にぶつかり、天井に這い登り、渦巻きながら二つに分かれる。

そして分かれるとき、一つの塊からドレス姿の老女が引き上げられるように姿を現したのだった。

人の姿になったルカが、アリシア・イェーガーを腕に抱きホールの中央に降り立った。

その二人に、再び黒い霧が渦巻き鋭い槍の様に襲いかかった。

「お義母様、ルカ!」

ナタリアの眼には、それは到底はじき返す事ができる何かとは思えなかった。

だが、黒い霧が二人を突き通さんとする瞬間、さっと白い影がその間に滑り込んだ。

白い影は、アルフォンスだった。ナタリアが叫んだ瞬間には、もうホールに飾られていた甲冑から長剣を抜き取り、二人と黒い霧の間に滑り込んでいた。

あまりに目まぐるしい動きに、ナタリアは何が起きたのか記憶することさえ出来なかった。

ゴクリという音が霧の中から聞こえた後になって、それがアルフォンスの持つ長剣が霧の中に差し込まれて、肉と骨を断つ音が霧の中から聞こえたのだと気づいた。

「ギャーッ!」

心をえぐるような絶叫がホールいっぱいに満ちて、霧は人の⋯⋯男の形に固まり、床を転げまわった。暗い森から聞こえる獣の咆哮のように恐ろしい声を発しながら、鋭い爪を伸ばした腕をやみくもに振り回す。

ナタリアは男が人とは思えなかった。人のような形をしているが、人ならざる者だった。

顔を押さえた白い指の間から血がボタボタとこぼれ落ちる。

反対側の腕は、ひじの所で切れかけてぶら下がって、肉の焼ける匂いが立ち上る。

獣のように鋭い乱杭歯が覗く唇が、乱れた黒髪の間で激しくあえいでいる。

その瞳は禍々しく赤い。

「ギルバート!」

ナタリアが叫んだ。

目の前にいるのは、ギルバート・イェーガーだった。