少年吸血鬼はハンターの未亡人に愛を捧げる

翌日なるべく早い時間の船に乗るつもりのナタリアだったが、いいタイミングでルイザーへ行く船や馬車を当たっていくと、結局昼過ぎにベスを伴ってイェーガー家を出発することになった。

何のかんのとナタリアを引き留めていたギルバートだが相変わらず仕事だと言って出歩き、家にはいない。

エリーゼはギルバートに話をするとは言ったが、当のギルバートは帰宅しなかった。

本人がいないのだから、妻であるエリーゼが良いと言えば、老執事のトマスをはじめ、使用人たちは強くナタリアを引き止めることは出来なかった。


わざとらしいまでに悲しそうなエリーゼだったが、家から女が出ていくのを喜んでいるのは間違い無いだろう。

(エリーゼのヤキモチのおかげだわ!)と、ナタリアは複雑な心境だった。

「別荘に着くころには夕方近くになってしまうわね」

義姉と産まれたばかりのレイモンド、使用人達に見送られてナタリアはメイドのベスと共に帰路に着いた。

ベスは往きはあんなに酔っていたのに、何故か馬車でも船でも平気そうにしている。

、ベスの乗り物酔いが帰路の一番の難所だと思っていたナタリアは、あまりに順調な道のりに、肩透かしを食らったような気さえした。

「行きは、あの自動車にに乗せてもらって助かりましたけど、帰りは誰か荷物持ちを雇いましょう……ですが、またえらく思い切って荷物を減らしましたね」

ベスが小さな手荷物一つしかもたないナタリアに不思議そうに聞いた。

「ええ、身軽な方が良いでしょう」

今回の小さくも長い旅では、ヴェネディクトのメッセージが何なのか、分かったような分からないようなはっきりしない結果になったが、ナタリアは満足していた。

(あのメッセージのおかげで前に踏み出そうという気持ちになったのは事実よ)

あの暗号は、生真面目なヴェネディクトが母親を真似て一生懸命ひねり出したユーモアなのだろう。

亡き夫の知らない一面を新たに感じ、穏やかで優しく誠実だった夫からの愛と、夫への愛はいっそう強まった気がする。

ナタリアとベスがルイザーの港に着いた頃、まるで船を追って来たかのように強い雨を伴った黒雲が水平線を覆い始めた。

「荷下ろしを急げー!」

という水夫達の声や足音が慌ただしく行き交い、
強い風が湾を波立たせる。

船によっては沖に出て行くものもあった。

「ベス、どうしてあの船はこんなに荒れた海に出ていくの?湾内の方が安全じゃない?」

「さあ、私は海のことは何も知りませんよ」

 ベスとそんな話をしていると、傍で荷運びをしていた水夫が立ち止まって「船ってのは、風が強いと港の岸壁や他の船や何かにぶっつかっちまうんだよ。それで、ああやって沖に逃しとくんだよ」と教えてくれた。

ナタリアは内心、ギルバートが次の便ででも追ってくるのではないかと思っていたので、嵐にホッとしていた。

なぜだろうか、エリーゼを頑なに拒むギルバートだが、ナタリアを見る目には何か異様な執着のようなものを感じていたのだ。

夜になると出かけてしまいほとんど帰ってこないギルバートだが、射殺されそうな憎悪を感じていた。

ナタリアが別荘に出発しなかったのは、別荘のような閉鎖された場所に追いかけてこられたら、身を守る術がないのではないかと言う恐れを感じていたのもあった。

別荘へは港から馬車で二十分ほど、さらに徒歩で上り坂を20分ほど歩かなければいけない。

だが、港の空を覆い始めた雲がポツポツと雨を落とし始める。

急いで辻馬車を拾わなければと、ベスが馬車の停留所へ向かおうとしていた時だった。

「ナタリア!」

派手な蒸気自動車で現れたのは、ルカとアルフォンスだった。

「あなた方は…」

往きにも現れた二人組の登場に、ベスが警戒心を顕にして、じろりと睨んだ。

「え、と。こちらは近所の別荘の方たちよ。ここへは⋯」

「偶然ですよマダム」

ルカがあまりにも自然にベスへ微笑みかけて、ベスがぼうっと目を潤ませた。

今なら分かる。ルカも又バンパイアの一族だ。

ただ、今ルカがバンパイアの能力でベスを魅了したのかどうかまでは分らない。ルカは多分バンパイアでなくても人を惹きつけるに違いないからだ。

「雨が降ってきますよ。馬車は皆出払っています」

話しているうちにも雨足が強くなってきた。

「ここからならフォグリア家が近い。ひとまず、そちらに来ていただいてもよろしいですか?」ルカが言い、ナタリアとベスは顔を見合わせてどちらともなく頷いた。