少年吸血鬼はハンターの未亡人に愛を捧げる



アルフォンスと夜空から街を見下ろし、ベランダで彼の口付けに蕩けた翌日、ナタリアはもう自分の家の整理が終わっていることに気が付いた。

エリーゼが産んだ赤ちゃんの可愛さに先延ばししていたのだ。

ギルバートが荒らした荷物は、気味が悪かったので貧困院に寄付して必要なものは買いなおした。

「もう、この屋敷ともお別れね」

すっかり花の散った林檎の木の下でお茶を飲みながら子犬たちを眺めていると、エリーゼが息子を抱いて庭に面した廊下を通りかかった。

「ナタリア」

子供が生まれる前の狂乱など無かったかのようにエリーゼが声をかけて来た。

産後、エリーゼは当然のようにナタリアを雑用に使っていた。

彼女の無神経さと共に、この図々しさ、自分の都合で人を左右に動かそうとする傲慢さも、ナタリアがエリーゼを嫌った理由だ。

今日はどうやら機嫌がよさそうだと思いつつも警戒してエリーゼに返事をする。

「エリーゼ、今日はお義母様の所へ?」

「ええ、そうよ。せっかくの初孫ですもの。ほんとうは毎日でも見ていただきたいのだけど、お義母様が生まれたばかりの子をあまり連れまわしてはいけないとおっしゃって⋯⋯お義母様は本当におやさしいわ」

 子がないまま夫と死別したナタリアに対する気遣いの全くないエリーゼだ。

だが彼女の嫌味とも、もうお別れなのだ。ナタリアはこれは自分の忍耐を育てるための修行だと思い、空いているベンチの横に彼女を誘った。

それでもエリーゼとギルバートの息子⋯⋯ヴェネディクトの甥の可愛さに滞在を伸ばしたのは、ナタリア自身でもある。

甥っ子は、レイモンドと名付けられて、生まれて十日ほどでようやく膨らみが出て来て、分かりやすく可愛くなって来た。

くるくると巻いた焦げ茶の髪と、わずかに開いたまぶたの隙間に見える瞳はヘーゼルだ。

(残念ながらヴェネディクトには全く似ていないわね。なんと言うか、ものすごい美形になる気配がするわ!)

「レイモンドは本当に綺麗な子だわ」

「ええ、本当に美しい子⋯」

 エリーゼはうっとりと我が子に見惚れている。

 確かに、いつまでも見つめていたいような不思議な魅力のある子で、ギルバートにそっくりだ。

「ギルバートと初めて会った時、私、自分の頭がおかしくなったんじゃないかって思うほど、ぼーっとなってしまったの」

「⋯⋯確かに⋯⋯お義母様にそっくりですものね」

 ナタリアは遠回しにギルバートの容姿を褒めた。

義母のアリシアも氷の女神のような美しさを持った女性だ。

硬く尖った氷を、溶かしてみたいと思う者は多かっただろう。

 ギルバートもまた同じタイプの男で、周囲の評判によると、女性に群がられるあまり選択肢が多すぎて結婚できずにいた所、留学から帰ってきたエリーゼと出会って結婚したのだという。

エリーゼもどちらかというと堅苦しく鋭角的な雰囲気の女性だ。

 あまり母親に愛着を持っているように見えないギルバートだが、エリーゼを妻に選んだあたりヴェネディクトよりもよっぽど母親に執心しているのかもしれない。

「エリーゼ、私、明日別荘に戻ろうと思っているんです」

ナタリアが切り出すと、
「え、どうして?」と、白々しくエリーゼが言った。

「元々ギルバートから別荘に行くように言われていたんですもの。ここに戻ってきたのは、ただ林檎の花を見たかったからです。待っている間に、林檎も満開になって、レイモンドにも会えて、十分過ぎるほどの滞在でした。気がかりだった家の片付けも出来ましたし、他人がいつまでも家にいるわけにはいけませんもの」

ナタリアは、いかにもイェーガー家の人々のおかげで大収穫だったと言わんばかりの言葉を選んだ。

「そう⋯⋯ナタリアが別荘の方が居心地が良いのだったら、それでいいわね。あなたたちが住んでいた家が空いてしまうけど、仕方がないわ」

 ギルバートに別荘へ行く話をすると暴言を吐かれ、なんやかんやとエリーゼをダシに滞在を引き延ばされていたナタリアだったので、こうしてエリーゼ本人から言質を取ってしまえば、もうこれで良いような気がした。

 ナタリアは大人なのだ。

 出ていこうと思えばどこへでも行ける。ギルバートの許可など要らない。

「私、あなたが別荘へ帰れるようにギルバートに頼んでみるわ。ねえ、ナタリア私ルイザーへ行ったことが無いの。ギルバートが磯臭くてつまらない所だっていうから。あなたが良ければ今年の秋ごろにルイザーへ招待してくれない?」

「ええ、いいわ。だって別荘はもともとギルバートの物ですもの。エリーゼが来たいと思えばいつだって来て良いと思うわ」

ナタリアは言いながらも、秋ごろまでには⋯⋯いや明日別荘に着いたらすぐにでも引っ越し先を探して、見つかり次第出ていこうと決意を固めていた。

 姪であるナタリアの面倒など見たがらない叔父夫婦だが、引っ越し先を探すくらい手伝ってくれるだろう。

(叔父様に、年に数回だけでもハガキを出しておいてよかったわ。それにギルバートの許可なんていらないわ⋯今日中に荷物をまとめておいて、一人ででも、買い物に行くふりをして出発しましょう)

 ナタリアはいつになく強固な決意を固めて、可愛らしいレイモンドの焦茶の髪をそっと撫でた。