少年吸血鬼はハンターの未亡人に愛を捧げる

「きゃあああああああ」

 数分後、夜空に涙目になったナタリアの悲鳴が夜空に響いていた。

外套を着たナタリアは、霧に変身したアルフォンスに包まれ宙を飛んでいた。

「口を閉じないと舌を噛むぞ」

 冷静な声でアルフォンスに指摘されナタリアは口を閉じた。

しばらく強風の音を聞きながら空の人となっていたナタリアだったが、アルフォンスが急にスピードをめて言った。

「周りを見てみろ」

「なんて素敵!」

 ナタリアは満点の星空と地上に無数に煌めく人工の光の海に挟まれていた。

眼下には光の帯がいくつも走えいる。特に大きい光の集まりが点在しているのはどこの街だろうか。

水平線は西にあり、そちらの方はどことなく薄明るい日光が残っている。

アルフォンスが指差す。

「あっちの四角い感じの入江がイェーガー家の近くのコストボッソ港だ。ルイザーはあの山の向こう。ここからは見えないがあと二十分もあれば着くだろう」

「素敵だわ! ルイザーからイェーガー家まで三時間もかかるのよ! でもちょっと寒いわね」

 ナタリアが体を震わせると、アルフォンスはそのまま降下し始め、どこか見たことのない庭園の中に静かに降り立った。
 
 そしてナタリアの体を外套ごとギュッとかき寄せた。

 その腕は柔らかく温かい。

「少しは良いか?」

「ええ、暖かいわ⋯⋯」

 ナタリアは人の肌の温かさ、心地よさ、全てを夫に教わった。

ナタリアはヴェネディクトを失った喪失感を不意に思い出して涙が滲む。声も潤んだ。

「泣いているのか? どうして?」

「何でも⋯何でもないわ⋯ただ、こんなに美しい景色は初めて見たんですもの」

「そうか、ならよかった」

「アルフォンス、あなたはとっても優しいのね」

 ナタリアは、寒さに震えるふりをして、少年バンパイアの胸にそっと顔を埋めた。

「なあナタリア。このままルイザーに行かないか?」

思いがけないアルフォンスの提案にナタリアは「えっ!」と声をあげた。

「どうして?」

「イェーガー家は安全じゃない。ルイザーならば近いから、何かあったときにはすぐに駆けられる!」

「確かにそうだわ。でも、ベスも置いて来てしまったし、そんなわけには行かないわ」

 ナタリアの返事を聞いたアルフォンスは悔しげに歯噛みした。

そのまま、二人は外套に包まったまま静かにお互いの体温を感じていた。

「アルフォンスそろそろ帰らなきゃ」

「いつルイザ―に戻るのか決めないんだったら、このままフォグリア家の別荘に連れて行く」

 少年の強引な言葉に、ナタリアはドキドキと心臓が高鳴った。

「アルフォンス、それは今決められることじゃないわ。分かってくれる?」

ナタリアが言うと渋々という感じで、また濃い霧に姿を変えたアルフォンスは「目をつぶって、俺がいいというまで絶対開けるな」と言った。

ナタリアが目をつぶると周囲で激しい風の音が聞こえて、外套が強風で体に張り付いた。

相当のスピードで移動しているようで、恐怖を感じる。霧に包まれたまま、体をギュッと丸めた。

(今外を見たら恐怖で気絶しちゃうわ⋯⋯きっと)

しばらくすると、風の強さはそのままでふっと薔薇の匂いを感じた。

ティーの香りの薔薇は、イェーガー家で遅咲きの薔薇に多い品種だ。

到着が近いと思ったナタリアだったが、ゆったりと体を解き放ち、なすがままに霧に抱かれていた。

ようやく風が止まり、足が地に着く。

夜の不思議な空の旅の余韻に浸るため、高揚した気持ちのまま目を閉じていると、頬を撫でられた。

「目を開けていいよ」

そう言われてやっと目を開けると目の前の、手のひらくらいの距離にアルフォンスの瞳が迫っていた。

避ける間もなく、また、避ける気もなくナタリアの唇はアルフォンスを迎え入れた。

「ナタリア⋯⋯」

少年の腕に抱き締められたナタリアは、降るような口付けと薔薇の香りと、夫の口付けから始まる甘い官能の記憶に酔い、アルフォンスを抱き返した。

「アルフォンス⋯⋯私、ずっとこうしていたいわ」

アルフォンスを抱きしめたままそう言うと、彼はやっと口付けを止めた。

ここを出るときにベランダに置いたカンテラが、まだ燃えていて二人を照らす。

アルフォンスの顔には、熱っぽくも苦々しい表情が浮かんでいた。

「ナタリア。銀のナイフを肌身離さず持っているんだ。必ずだ」

「ええ⋯⋯」

 ナタリアはベランダから中に入り窓を閉めた。

閉めながら、バンパイアであるアルフォンスは決して自らこの窓を開けて入って来ることはないのだと思うと、複雑な気持ちだった。

アルフォンスがこの部屋へやってくるのは、ナタリアの意思なのだ⋯⋯と。

窓を閉めて見つめ合うとアルフォンスは「おやすみ、良い夢を」と言って、また霧に姿を変えて飛び去った。

ベッドに入り眠りにつこうとしてナタリアはハッとした。

「お義母様にきいた話を共有するって言っていたのに、忘れていたわ!」

(私、若い恋人に夢中のバカな女みたいだわ)