その後もギルバートとエリーゼのせいで別荘に帰ることが出来ず、ナタリアは数日に渡って家の中を片付け続けた。
エリーゼは相変わらず激しくナタリアを拒絶するが、ギルバートは二人の険悪な関係にも拘わらずナタリアに「エリーゼの為にここにいろ」と言い、トマスやメイド達に監視させている。
女二人に対する嫌がらせとしか思えないが、ベスとトマスに困った顔を見せられてはナタリアひとり船に乗って別荘へ帰るわけにもいかない。
どちらにしても、ナタリアは子どもが産まれるまではイェーガー家の人間でいると決めている。
その場所が別荘から本家の屋敷になるだけだ。
6月の乾燥した空気が清々しく、薔薇の香りが立つ水色の空に、知らない鳥が鳴きながら飛んで行った。
ナタリアは、荷物の仕分けに疲れて、未練がましく林檎の木の下のベンチに座っていた。
深夜に、フォグリア家に檸檬の木を見に出かけたときには、何か大きな贈り物を受け取りに行くような気がしていた。
あの夜と今は、何が違っているだろうか?
檸檬の木の下の池。バンパイアの一族、フォグリア家、アルフォンスとルカ。
義母との会話。
犬の墓、池の跡、林檎の木。
そしてこの家を出る決意。
日光を浴びながら目を閉じているとサクサクと足音がした。
足音の主が誰なのか、ナタリアにはすぐわかった。
「ヴァンパイアは本当は、日光が平気なのね、アルフォンス様」目を閉じたままそう言うと「黒い霧は目立つ」と、静かな声が返ってきた。
その言葉が面白くて、ナタリアはクッと肩を揺らした。
「おかしいか?」
「ええ、とっても!」
ナタリアはやっと目を開けてアルフォンスを見た。
今さっき、自分が楽しくて笑ったことも信じられなかった。ヴェネディクトの死からずっと、凍った川の底で僅かにしか流れていなかった水が、氷を割って流れ出したような気がする。
アルフォンスの瞳は、先日の赤く光る瞳と違い、春の新緑のようなグリーンだ。
少年の表情は冷たいが、ナタリアの目には彼が何だか一生懸命冷たくしようとしているように思えた。
先日ナタリアを助けたときの必死の表情こそが、彼の本当の姿にちがいない。
「こんなにすぐ会えるとは思わなかったわ」
「ああ、この前の夜も言っただろう? あんたは俺の獲物だからな」
それを聞いたナタリアの頬はさっと上気した。熱を出した夜のように目が潤み、涙がこぼれそうになる。
「アルフォンス様あなたは、この前私を助けてくれた。あの時私⋯⋯」ナタリアは、この年若いバンパイアの少年に、自分はあなたの獲物で構わないと言いたかった。
ナタリアはあの夜死んだのだ。
あの夜感じた恐怖、安堵感。あの日、ナタリアはアルフォンス・フォグリアを選んだのだから。
「”様”は要らない」
アルフォンスが、真剣な表情で言った。
だが、それ以上の話は出来なかった。
「ナタリア!」
アルフォンスの背後、踏み均された小径を通って、またもやギルバートがやってきたのだ。
ナタリアは、義兄のしつこい監視の目に呆れ、アルフォンスとの時間を邪魔されたことに深い悲しみを感じた。
(私の監視をする時間があるのなら、エリーゼをベッドに連れて行って慰めればいいのに)と、ナタリアは思った。
そんな品のない考えは彼女らしくなかったが、結局エリーゼの寂しさの解決方法はそこにあるような気がした。
そして男達はバンパイアであるアルフォンスと、ハンターのギルバートだ。
どうなることかと思っていると「その男は誰だ!」ギルバートが、あからさまに軽蔑した目でナタリアとアルフォンスを見比べた。
アルフォンスは生意気な少年のような顔で、軽く会釈した。
「ナタリア良い身分だな。養われている未亡人の分際で男を呼び入れるなど! まさか別荘へ帰りたいなどと言って、その男が迎えに来たのではないだろうな!」
子供を相手に、義兄の興奮を恥ずかしく感じたナタリアは彼をこれ以上怒らせないように静かに言った。
「ギルバート、彼は林檎の花を見に来たのだそうです」
「花だと?」
「ああ⋯⋯母が、林檎の花を見たいと言うので、落ちた花びらでも持ち帰えろうかと」
「花びらだと! フッ、木の一本も植えられぬ者というわけか。貴族の家に勝手に入って、花の一輪を盗んでいこうなど呆れ果てる!」
ギルバートはアルフォンスをバカにして気が済んだのか、それ以上は何も言わずに母親の部屋の方へ行ってしまった。
「あなたはハンターが怖くないの? イェーガー家の敷地にこんな堂々と入って来るなんて、思いもしなかったわ!」
不思議に思ったナタリアが尋ねると、アルフォンスは皮肉な笑みを浮かべた。
「あの男は恐ろしくないな」
「そうなのね。でも、もう帰って。お義母様が林檎の花をお待ちよ」
ナタリアは蕾の多い枝を一本手折ってアルフォンスに渡した。
「ナタリアの話の成果を聞きに来たんだが、今日は日が悪いようだな」
「ええ、そうみたい。またね”アルフォンス”」
ナタリアが見送ると、アルフォンスはギルバートが来たのと逆の小径を歩き去った。
アルフォンスが外へ向かう方向へ体の向きを変えた時、生垣に躓きかけて体勢を整えたのを見て笑ったナタリアだったが、振り返りざまに、義母アリシアの部屋の窓から恐ろしい目つきでアルフォンスを見るギルバートに気がついて、二重三重の意味でゾッとした。
エリーゼは相変わらず激しくナタリアを拒絶するが、ギルバートは二人の険悪な関係にも拘わらずナタリアに「エリーゼの為にここにいろ」と言い、トマスやメイド達に監視させている。
女二人に対する嫌がらせとしか思えないが、ベスとトマスに困った顔を見せられてはナタリアひとり船に乗って別荘へ帰るわけにもいかない。
どちらにしても、ナタリアは子どもが産まれるまではイェーガー家の人間でいると決めている。
その場所が別荘から本家の屋敷になるだけだ。
6月の乾燥した空気が清々しく、薔薇の香りが立つ水色の空に、知らない鳥が鳴きながら飛んで行った。
ナタリアは、荷物の仕分けに疲れて、未練がましく林檎の木の下のベンチに座っていた。
深夜に、フォグリア家に檸檬の木を見に出かけたときには、何か大きな贈り物を受け取りに行くような気がしていた。
あの夜と今は、何が違っているだろうか?
檸檬の木の下の池。バンパイアの一族、フォグリア家、アルフォンスとルカ。
義母との会話。
犬の墓、池の跡、林檎の木。
そしてこの家を出る決意。
日光を浴びながら目を閉じているとサクサクと足音がした。
足音の主が誰なのか、ナタリアにはすぐわかった。
「ヴァンパイアは本当は、日光が平気なのね、アルフォンス様」目を閉じたままそう言うと「黒い霧は目立つ」と、静かな声が返ってきた。
その言葉が面白くて、ナタリアはクッと肩を揺らした。
「おかしいか?」
「ええ、とっても!」
ナタリアはやっと目を開けてアルフォンスを見た。
今さっき、自分が楽しくて笑ったことも信じられなかった。ヴェネディクトの死からずっと、凍った川の底で僅かにしか流れていなかった水が、氷を割って流れ出したような気がする。
アルフォンスの瞳は、先日の赤く光る瞳と違い、春の新緑のようなグリーンだ。
少年の表情は冷たいが、ナタリアの目には彼が何だか一生懸命冷たくしようとしているように思えた。
先日ナタリアを助けたときの必死の表情こそが、彼の本当の姿にちがいない。
「こんなにすぐ会えるとは思わなかったわ」
「ああ、この前の夜も言っただろう? あんたは俺の獲物だからな」
それを聞いたナタリアの頬はさっと上気した。熱を出した夜のように目が潤み、涙がこぼれそうになる。
「アルフォンス様あなたは、この前私を助けてくれた。あの時私⋯⋯」ナタリアは、この年若いバンパイアの少年に、自分はあなたの獲物で構わないと言いたかった。
ナタリアはあの夜死んだのだ。
あの夜感じた恐怖、安堵感。あの日、ナタリアはアルフォンス・フォグリアを選んだのだから。
「”様”は要らない」
アルフォンスが、真剣な表情で言った。
だが、それ以上の話は出来なかった。
「ナタリア!」
アルフォンスの背後、踏み均された小径を通って、またもやギルバートがやってきたのだ。
ナタリアは、義兄のしつこい監視の目に呆れ、アルフォンスとの時間を邪魔されたことに深い悲しみを感じた。
(私の監視をする時間があるのなら、エリーゼをベッドに連れて行って慰めればいいのに)と、ナタリアは思った。
そんな品のない考えは彼女らしくなかったが、結局エリーゼの寂しさの解決方法はそこにあるような気がした。
そして男達はバンパイアであるアルフォンスと、ハンターのギルバートだ。
どうなることかと思っていると「その男は誰だ!」ギルバートが、あからさまに軽蔑した目でナタリアとアルフォンスを見比べた。
アルフォンスは生意気な少年のような顔で、軽く会釈した。
「ナタリア良い身分だな。養われている未亡人の分際で男を呼び入れるなど! まさか別荘へ帰りたいなどと言って、その男が迎えに来たのではないだろうな!」
子供を相手に、義兄の興奮を恥ずかしく感じたナタリアは彼をこれ以上怒らせないように静かに言った。
「ギルバート、彼は林檎の花を見に来たのだそうです」
「花だと?」
「ああ⋯⋯母が、林檎の花を見たいと言うので、落ちた花びらでも持ち帰えろうかと」
「花びらだと! フッ、木の一本も植えられぬ者というわけか。貴族の家に勝手に入って、花の一輪を盗んでいこうなど呆れ果てる!」
ギルバートはアルフォンスをバカにして気が済んだのか、それ以上は何も言わずに母親の部屋の方へ行ってしまった。
「あなたはハンターが怖くないの? イェーガー家の敷地にこんな堂々と入って来るなんて、思いもしなかったわ!」
不思議に思ったナタリアが尋ねると、アルフォンスは皮肉な笑みを浮かべた。
「あの男は恐ろしくないな」
「そうなのね。でも、もう帰って。お義母様が林檎の花をお待ちよ」
ナタリアは蕾の多い枝を一本手折ってアルフォンスに渡した。
「ナタリアの話の成果を聞きに来たんだが、今日は日が悪いようだな」
「ええ、そうみたい。またね”アルフォンス”」
ナタリアが見送ると、アルフォンスはギルバートが来たのと逆の小径を歩き去った。
アルフォンスが外へ向かう方向へ体の向きを変えた時、生垣に躓きかけて体勢を整えたのを見て笑ったナタリアだったが、振り返りざまに、義母アリシアの部屋の窓から恐ろしい目つきでアルフォンスを見るギルバートに気がついて、二重三重の意味でゾッとした。



