ヴェネディクトの甥か姪が産まれるまで一ヶ月もかからないだろう。
ナタリアはもちろんその顔を見たいと言う気持ちはあったのだが、ギルバートとエリーゼに振り回されるくらいならもうルイザーの別荘に戻ってしまおうと思った。
ここに来た目的だった林檎の木はもう見たのだから。
(それに、ルイザーにはアルフォンス様が⋯⋯)と、そう考えて、ナタリアは自分があの少年にすっかり魅了されていると思った。
危うい所を救われ、命を助けられたのだから、彼を特別に感じるのも仕方がない。
そう思いはするが、仕方がないから何だというのか、彼が人を殺す生き物バンパイアだという事実には変わりがないというのに。
義兄に、フォグリア家にはバンパイアが潜んでいると告げれば、彼は居場所を失い狩られる運命にある。
だがナタリアはそうするつもりはない。
物語にあるように、バンパイアに魅了の術をかけられているのかもしれない。
ナタリアが廊下を進んでいくと、すれ違った若いメイドが「エリーゼ様は大奥様のお部屋に向われました」と言う。
「そう、ありがとう」
ナタリアは義母のアリシアとも近しい関係ではない。
エリーゼが義母アリシアの部屋に行ったとしても、ナタリアがわざわざそこまで追いかける必要は無い。
だが、角を曲がった所にエリーゼが泣きながら立っているではないか。
「ナタリア、あなた、どういうつもりなの?!ギルバートは、なぜあんなにあなたを気に掛けるの?」
エリーゼの顔は憎しみに歪んでいた。
「エリーゼ、心配しないでいいわ。私は、今日にでもここを出ていくの。ギルバートは、私があなたを放り出して夜中に出て行きやしないかと心配しているけど、私が出ていってしまえば、そんな心配をする必要も無いわ」
前までは、エリーゼのこうした態度はナタリアをひどく不快にさせたが、もうこの家を去る決意をしたナタリアにとって突風に混じっていた小石が頬に当たったようなものだった。
「ナタリア、答えになっていないわ。そんなこと信じるわけないわ!」
エリーゼの目から大粒の涙がボロボロとこぼれた。
彼女は厳しくしつけられた貴族の娘のはずだが、こうして感情を抑えきれない面がある。
いつも機嫌よく振舞うようにと両親から言いきかせられてきたナタリアとは、あまりに性質が違いすぎる。
ギルバートは自分中心の性質がある。
ナタリアは、彼がなぜエリーゼを選んで結婚したのか少々理解しかねていた。
「ギルバートは不貞など働かないわ! そうヴェネディクトが言っていたもの!」
ナタリアが強く言うと、エリーゼは、ハッと目が覚めたような表情をして、唇を噛み締め、涙を拭きながら行ってしまった。
それから結局ナタリアは一日中、ヴェネディクトと住んでいた離れの片づけをして過ごした。
エリーゼには今日にでも別荘に帰ると言ったが、メイドのベスが頑なに拒んだのだ。
彼女の言い分によると、エリーゼは気難しい夫人で、ギルバート一人では支えられないというのだ。
「そこをなだめるのが夫の役目じゃないのかしら?」
「ですが、いつもいつもエリーゼ奥様の機嫌を取り続けるなんて、いくら夫とは言え難しいでしょう。エリーゼ奥様こそ何故あのようにギルバート様を困らせるのか分かりませんよ。あんな素晴らしい旦那様と結婚なさっていらっしゃるのに」
重ねるようにベスがギルバートをかばった。
「じゃあ、ギルバートが言うように、私がエリーゼの面倒を見ることが望ましいという事かしら?」
「ギルバート様がそうおっしゃるのですから、そうでしょう」
ベスがはっきりそう言ったので、ナタリアは次の言葉が出てこなかった。
この家でギルバートiの曲がった性格を見てなおその肩を持つとは、何か気持ちの支え棒を取り外されたような気分だった。
食堂でギルバートが割った皿を片付けている間に、彼に説得されたに違いない。
ギルバートは仕事だと言って又もや出かけてしまい、家に居るのは使用人のほかにはエリーゼと義母のアリシアだけだった。
自宅である離れに行くのをギルバートが嫌がったとしても、この離れはナタリアの家だ。
本棚にある本の内、亡き夫ヴェネディクトが好んで読んでいた数冊の本以外は本邸の書庫に戻すため一か所に積み、執事のトマスに本を片付けるよう頼んでおいた。
「ナタリア様、本を戻したいと伺いましたが」
執事のトマスが、いつもの感情のこもらない顔で家に入ってきた。
「ええ、トマス。あなたが手伝ってくれるの?」
「はい」
トマスは年老いているが優秀で、ずっと昔、先代の頃には主人の代わりに戦役で戦ったこともあるのだという。
話を聞いたときは人間同士の戦争の事だと思っていたが、今となってはバンパイアとの戦いのことだろうと思う。
「おや!」
老執事トマスが珍しく明るい声を上げた……ほんのわずかだったが。
彼の手には一冊の本が握られている。
見たことのない本だが、カバーは他の本から剥ぎ取られたものだった。
「あ!」
中の本は【満月を飛び越えて】だった。
カバーを外し、代わりに他の本のカバーがかけられていたのだ。
ナタリアはもちろんその顔を見たいと言う気持ちはあったのだが、ギルバートとエリーゼに振り回されるくらいならもうルイザーの別荘に戻ってしまおうと思った。
ここに来た目的だった林檎の木はもう見たのだから。
(それに、ルイザーにはアルフォンス様が⋯⋯)と、そう考えて、ナタリアは自分があの少年にすっかり魅了されていると思った。
危うい所を救われ、命を助けられたのだから、彼を特別に感じるのも仕方がない。
そう思いはするが、仕方がないから何だというのか、彼が人を殺す生き物バンパイアだという事実には変わりがないというのに。
義兄に、フォグリア家にはバンパイアが潜んでいると告げれば、彼は居場所を失い狩られる運命にある。
だがナタリアはそうするつもりはない。
物語にあるように、バンパイアに魅了の術をかけられているのかもしれない。
ナタリアが廊下を進んでいくと、すれ違った若いメイドが「エリーゼ様は大奥様のお部屋に向われました」と言う。
「そう、ありがとう」
ナタリアは義母のアリシアとも近しい関係ではない。
エリーゼが義母アリシアの部屋に行ったとしても、ナタリアがわざわざそこまで追いかける必要は無い。
だが、角を曲がった所にエリーゼが泣きながら立っているではないか。
「ナタリア、あなた、どういうつもりなの?!ギルバートは、なぜあんなにあなたを気に掛けるの?」
エリーゼの顔は憎しみに歪んでいた。
「エリーゼ、心配しないでいいわ。私は、今日にでもここを出ていくの。ギルバートは、私があなたを放り出して夜中に出て行きやしないかと心配しているけど、私が出ていってしまえば、そんな心配をする必要も無いわ」
前までは、エリーゼのこうした態度はナタリアをひどく不快にさせたが、もうこの家を去る決意をしたナタリアにとって突風に混じっていた小石が頬に当たったようなものだった。
「ナタリア、答えになっていないわ。そんなこと信じるわけないわ!」
エリーゼの目から大粒の涙がボロボロとこぼれた。
彼女は厳しくしつけられた貴族の娘のはずだが、こうして感情を抑えきれない面がある。
いつも機嫌よく振舞うようにと両親から言いきかせられてきたナタリアとは、あまりに性質が違いすぎる。
ギルバートは自分中心の性質がある。
ナタリアは、彼がなぜエリーゼを選んで結婚したのか少々理解しかねていた。
「ギルバートは不貞など働かないわ! そうヴェネディクトが言っていたもの!」
ナタリアが強く言うと、エリーゼは、ハッと目が覚めたような表情をして、唇を噛み締め、涙を拭きながら行ってしまった。
それから結局ナタリアは一日中、ヴェネディクトと住んでいた離れの片づけをして過ごした。
エリーゼには今日にでも別荘に帰ると言ったが、メイドのベスが頑なに拒んだのだ。
彼女の言い分によると、エリーゼは気難しい夫人で、ギルバート一人では支えられないというのだ。
「そこをなだめるのが夫の役目じゃないのかしら?」
「ですが、いつもいつもエリーゼ奥様の機嫌を取り続けるなんて、いくら夫とは言え難しいでしょう。エリーゼ奥様こそ何故あのようにギルバート様を困らせるのか分かりませんよ。あんな素晴らしい旦那様と結婚なさっていらっしゃるのに」
重ねるようにベスがギルバートをかばった。
「じゃあ、ギルバートが言うように、私がエリーゼの面倒を見ることが望ましいという事かしら?」
「ギルバート様がそうおっしゃるのですから、そうでしょう」
ベスがはっきりそう言ったので、ナタリアは次の言葉が出てこなかった。
この家でギルバートiの曲がった性格を見てなおその肩を持つとは、何か気持ちの支え棒を取り外されたような気分だった。
食堂でギルバートが割った皿を片付けている間に、彼に説得されたに違いない。
ギルバートは仕事だと言って又もや出かけてしまい、家に居るのは使用人のほかにはエリーゼと義母のアリシアだけだった。
自宅である離れに行くのをギルバートが嫌がったとしても、この離れはナタリアの家だ。
本棚にある本の内、亡き夫ヴェネディクトが好んで読んでいた数冊の本以外は本邸の書庫に戻すため一か所に積み、執事のトマスに本を片付けるよう頼んでおいた。
「ナタリア様、本を戻したいと伺いましたが」
執事のトマスが、いつもの感情のこもらない顔で家に入ってきた。
「ええ、トマス。あなたが手伝ってくれるの?」
「はい」
トマスは年老いているが優秀で、ずっと昔、先代の頃には主人の代わりに戦役で戦ったこともあるのだという。
話を聞いたときは人間同士の戦争の事だと思っていたが、今となってはバンパイアとの戦いのことだろうと思う。
「おや!」
老執事トマスが珍しく明るい声を上げた……ほんのわずかだったが。
彼の手には一冊の本が握られている。
見たことのない本だが、カバーは他の本から剥ぎ取られたものだった。
「あ!」
中の本は【満月を飛び越えて】だった。
カバーを外し、代わりに他の本のカバーがかけられていたのだ。



