朝、家を出る直前になって、私は玄関で立ち止まっていた。
視線の先にあるのは、並べられた靴。黒のパンプス。
少しヒールの高いもの。歩きやすさ重視の低めのもの。いつもなら、その日の予定に合わせて迷わず選べるのに、今日はなぜか決められなかった。
……どうしよう。ヒール、高めにするか、低めにするか。そもそも、パンプスにする必要ある?
今日は特別な会議があるわけじゃない。大事なプレゼンもないし、取引先を回る予定もない。だから本来なら、楽な靴を選べばいいだけの朝だ。でも、靴を見つめたまま、私は昨日のことを思い出してしまう。
ロビーで交わした会話。有馬さんの声。柔らかく緩んだ表情。
そして最後に言われた、“また、明日”。
今日、このあと有馬さんと会う予定だ。
……いや、予定というほどでもない。ただ、いつもの電車で会えたらAirPodsを返してもらうだけ。会えなかったら、それで終わる。たぶん会社でまた会うことになるだろうし、別の日に受け取ればいいだけの話。
だから、別にこんなふうに迷う理由なんてない。ない、はずなのに。
「……。」
私は小さく息を吐く。
視線を落とした先で、昨日靴擦れした場所がまだ赤くなっていた。
じんわり痛む。昨日、ロビーまで走ったせいで悪化したのかもしれない。
……痛いし、今日は低めのヒールにしよう。



