遅かれ、早かれ、恋になりまして。




私は咄嗟に名刺入れに手を伸ばし、一枚取り出して目の前に差し出した。


「本日は、お越しいただきありがとうございます。明石弥生です。よろしくお願いいたします」


名刺を差し出す指先が、ほんのわずかに震えるのが自分でも分かる。平静を装っているつもりなのに、こういう細かいところで全部バレてしまいそうで怖い。

彼はその名刺を両手で丁寧に受け取った。


「よろしくお願いします」


そう言って、また同じように微笑む。
その笑顔が、今朝の電車の中で見た無言の横顔と重なって、余計に頭の中が混乱する。

でも今は仕事だ。
私は意識的に表情を整え、続けて彼の隣に立つ男性へと向き直った。

落ち着いた声で名刺を差し出され、私は慌てずにそれを受け取る。名刺を見ると、営業部長と書いてある。

彼…有馬さんとは対照的で少し雰囲気に圧があるが、形式通りのやり取りなのに、さっきまでの有馬さんとの空気とはまるで違って、少しだけ呼吸が楽になる。

続いて、もう一人の女性も名刺を差し出してきて、私は同じように丁寧に受け取る。


「よろしくお願いします」


短いやり取りが流れるように終わり、気づけば名刺交換は完了していた。

全体としては何も問題のない、いつも通りの来客対応。なのに、なぜか有馬さんと交わした最初の一瞬だけが、やけに鮮明に残っている。

私は「こちらへどうぞ」とロビーの奥へ一歩踏み出した。

後ろに続く足音の中で、どうしても最初に名刺を受け取った手の感覚だけが、妙に離れなかった。