目の前にいる彼なのか、はたまた隣にいる女子高生なのか、後ろに立っているサラリーマンなのかは分からない。けれど、ほんのりと爽やかな柔軟剤の香りがした。
清潔感のある、柔らかい香り。
朝の満員電車、通勤ラッシュ真っ只中のこの時間帯は、本来なら香水や汗や整髪料の匂いが混ざっていて、どちらかと言えば苦手な空間のはずなのに。
今日はどうしてか、その爽やかな香りだけが妙に印象に残る。
鼻先をかすめるたびに、意識がそっちへ持っていかれそうになるのが嫌だった。
私は視線を逸らすようにして前を向く。
でも、近すぎる距離のせいで、視界に入るのは彼のスーツの胸元だった。
ネクタイ、その上に留められたシンプルなネクタイピン。光を受けて小さく反射している。
それを見た瞬間、なんだか急に、見てはいけないものを見てしまったような気持ちになって、慌てて視線を下げた。
もう、何考えてるの私。ネクタイピン見ただけで動揺するとか意味が分からない。
満員電車の息苦しさと、距離の近さと、朝から感じている妙な緊張感のせいで、完全に頭がおかしくなっている気がする。
音楽を聴いているはずなのに、全然集中できない。流れている曲も、歌詞も、ほとんど耳に入ってこなくて、ただ電車の揺れと、自分の心臓の音だけが変にリアルだった。



