時をかける恋幕 二人の推し活恋文

歴史資料館の展示室は、平日の午後ということもあって静まり返っていた。薄暗い照明の中に浮かび上がるのは、江戸の闇を照らした「火付盗賊改方」の遺物たちである。
「見てよ、ちかよ。これ……本物の十手だよ。この使い込まれた質感、たまんないよね」
末山あいのすけは、展示ケースに張り付かんばかりにして声を弾ませた。歴史オタクである彼にとって、ここは聖地も同然だ。隣に立つ恋人の内田ちかよも、同じ熱量で瞳を輝かせている。
「本当だ……。これで、あの鬼平様が悪党を成敗してたのかな。……あ、あいのすけ君、触っちゃダメだよ?」
「分かってるって。ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ雰囲気を味わいたいんだ」
抗いがたい誘惑に負け、あいのすけが指先をケースの隙間へと滑り込ませた。 
鉄の冷たさに触れた瞬間——世界は一変した。
十手から溢れ出した奔流のような光が、二人を飲み込む。
「うわっ、何これ!? 目が、目がぁー!」
「あいのすけ君、離さないで! どこなのー!」
絶叫は光の渦に消え、資料館の静寂が戻ったときには、そこにはただ空の展示ケースが残されているばかりだった
「……ここ、どこ?」
ちかよの声が震えていた。
鼻をつくのは潮の香りと土埃、そして煮炊きの煙。目の前には、時代劇のセットをより鮮明にしたような、生命力に溢れる江戸の町並みが広がっていた。
「え、待って。セット? じゃない、これ、本物だ……」
呆然と立ち尽くす二人に、地を這うような怒声が浴びせられた。
「これ、そこな二人! 動くなッ!」
編み笠を被った男が、険しい顔で歩み寄ってくる。腰には二本の刀。木村忠吾である。
「異な風体、さてはどこぞの隠密か。さもなくば、不届きな野党の類いか!」
「えっ、隠密!? いや、僕たちはただの……」
あいのすけが必死に弁明しようとするが、忠吾は聞く耳を持たない。
「ええい、問答無用! 火付盗賊改方の役宅前でうろつくとは不届き至極。しょっ引け!」
忠吾の手が伸びたその時、背後の門内から、深い鐘の音のような重厚な声が響いた。
「待て、忠吾」
現れたのは、一人の武士。そしてその傍らに寄り添う、慎ましやかだが芯の強さを感じさせる女性。——長谷川平蔵と、妻の久栄であった。
平蔵の鋭い眼光があいのすけを射抜く。だが、その厳しさの奥には、すべてを見透かすような慈しみが湛えられていた。
「ほう……見慣れぬ身なりだが、その眼に曇りはない。邪気なき者たちだ。忠吾、控えよ」
「は、はっ! しかし長谷川様、この者たちあまりに怪しげな……」
「よろしゅうございます、忠吾さん」
久栄が穏やかな笑みを湛えて一歩前へ出た。
「この方々はお困りのご様子。……もし、良ければ我が家で一息つかれませんか?」
「ありがとうございます!」
あいのすけとちかよは、弾かれたように声を揃えて頭を下げた。
推しのいる日常
通された居間には、香ばしい茶の香りが満ちていた。目の前には、歴史の教科書や小説でしか知らなかった「鬼平夫妻」が並んで座っている。
「さあ、お茶をどうぞ。熱いうちに」
久栄が差し出した茶碗を、あいのすけは震える手で受け取った。隣ではちかよが身悶えしながら、蚊の鳴くような声で囁いている。
「(小声)ちょっと、あいのすけ君……本物の鬼平様と久栄様よ。同じ空気を吸ってるなんて、尊すぎる……!」
「(小声)ああ、公式の夫婦愛が目の前で。まさに『神』配置だ。もうこれ、全力で推すしかないだろ……!」
平蔵は、奇妙な二人を怪しむ風もなく、ただ静かにお茶を啜った。
「……して。二人、どこから参った。その衣装、日の本の者とは思えぬが」