あの人が来ると、空気が変わる―正論では、人は動かない―

小学校の教室。

机が後ろに下げられ、中央に大きな輪ができている。

「じゃあ、このあと二時間使って、親子で何をするか決めたいと思います」

山口先生の声に、教室が少しざわつく。

「何かいい案ある方いますか?」

その一言で――

空気が決まった。

「はい」

一番に手を挙げたのは、黒田里奈だった。

「せっかくなので、チーム対抗のレクリエーションとかどうですか?」

「いいですね!」

すぐに別の声が続く。

「準備も簡単な方がいいですよね」

「時間も限られてますし」

どんどん話が進んでいく。

――早い。

結城美咲は、その流れを見ながら、言葉を飲み込んだ。

(私も、ちょっと思ったことあったけど…)

でも、口を開くタイミングがない。

周りを見ると、

同じように黙っている母親たち。

その中に、佐藤真由の姿もあった。

視線だけが、少し泳いでいる。

「じゃあそれで決まりでいいですか?」

山口先生が言う。

「異論ないですよね?」

――言えるわけない。

誰も何も言わない。

でも、それは「賛成」じゃない。

ただ、“言わないだけ”。

「じゃあ、決定で」

その時だった。

「ちょっといい?」

聞き覚えのある声。

振り向くと、教室の後ろに、あの女性が立っていた。

ラフな服装で、どこか場違いなのに、不思議と浮いていない。

「……え?」

誰かが小さく声を漏らす。

女性はゆっくり歩いて、輪の外側に立つ。

「今のさ、“みんなで決めた”ってことになってるけど」

教室の空気が、少しだけ張り詰める。

「ほんとに?」

誰も答えない。

「意見言った人と、言ってない人、どっちが多い?」

ドキッとする。

美咲は、思わず周りを見た。

――言ってない人の方が、明らかに多い。

「でもさ」

女性は続ける。

「言ってない人も“考えてない”わけじゃないよね」

その一言で、

さっきまで黙っていた母親たちの表情が、少しだけ動いた。

真由も、はっとしたように顔を上げる。

「言えてないだけ」

静かに、言い切る。

「で、その状態で決めるとどうなるか」

少し間を置く。

「やらされてる感じになる」

――あ。

美咲の胸の奥で、何かが引っかかった。

「楽しくないよね」

誰も否定しない。

黒田も、少しだけ表情を変えた。

女性は軽く笑った。

「じゃあどうするか」

みんなが、自然と彼女を見る。

「一人一個でいいから、“これなら楽しめそう”ってやつ出してみて」

「……え?」

「時間かかってもいいじゃん。二時間あるんでしょ?」

女性は山口先生の方を見る。

山口先生は少し戸惑いながらも、

「…そうですね」

と小さくうなずいた。

「全部出してから、選べばいい」

シンプルだった。

でも、それまでの流れとは全く違う。

「じゃあ…」

ぽつり、と声が上がる。

「私は、みんなでお菓子作るのもいいかなって…」

真由だった。

少し遠慮がちに、でも確かに言葉にした。

「外で体動かすのもいいかも…」

別の母親が続く。

「クイズ大会とかも楽しそうじゃない?」

子どもたちも、少しずつ口を挟み始める。

「それいい!」
「やりたい!」

さっきまで黙っていた人たちが、話し出す。

気づけば、

教室はさっきよりもずっと、にぎやかで。

ずっと、“同じ方向”を見ている感じがした。

美咲は、その様子を見ながら思う。

――あぁ、これだ。

「決められた」んじゃない。

「一緒に決めてる」

女性は、その空気を一度だけ見渡して、

ふっと微笑んだ。

「ね?」

その一言だけ残して、

いつの間にか、姿は消えていた。