あの人が来ると、空気が変わる―正論では、人は動かない―

昼休み。

教室の床に、ほうきとちりとりが並んでいる。

「じゃあ掃除はじめてください」

先生の声。

子どもたちが、それぞれ動き出す。

湊は、ほうきを持つ。

(こうやって…)

床をはく。

ちゃんと、先生が言ってた通りに。

前に動かして、

ゴミを集める。

(できてる)

そう思った、その時。

「ちょっと!」

声が飛んだ。

「ちゃんとしてよ!」

振り向くと、同じクラスの女の子が立っている。

腕を組んで、少しイライラした顔。

「え…?」

「そこ、まだゴミあるじゃん」

指をさされる。

見ると、

確かに少し残っている。

「ちゃんと見てやらないとダメでしょ」

――ちゃんとやってるのに。

言葉が出てこない。

「……」

黙って、また掃く。

でも、

さっきよりも、うまくできない。

(ちゃんと…ちゃんと…)

頭の中で、その言葉だけが回る。

その時。

「ちょっといい?」

聞き覚えのある声。

振り向くと、あの女性が立っていた。

「……」

もう、驚かない。

女性は、床を見る。

「掃除してるんだね」

「…はい」

小さく答える。

「ちゃんとやってる?」

「やってます」

少しだけ強く言う。

女性は、少しだけうなずいた。

「うん、やってるね」

その一言で、

胸の奥が少し軽くなる。

「でもさ」

少しだけ続ける。

「“ちゃんとやる”って、人によって違うんだよ」

――え?

顔を上げる。

「先生の“ちゃんと”と」

さっきの女の子の方を見る。

「その子の“ちゃんと”も違う」

頭の中が、少し混乱する。

「じゃあどうすればいいの?」

思わず聞く。

女性は、やさしく言った。

「“どこまでやればいいか”聞けばいい」

シンプルだった。

でも、

それだけだった。

湊は、少し考えて、

さっきの女の子の方を見る。

「あの…」

声をかける。

少しドキドキする。

「どこまでやったらいい?」

女の子は、一瞬びっくりした顔をした。

「え?」

「ここ全部?」

指をさす。

女の子は、少し考えてから、

「うん、そのへん全部」

と答えた。

「分かった」

もう一度、ほうきを持つ。

さっきよりも、

やることがはっきりしている。

(ここまで)

そう思いながら、掃く。

さっきより、やりやすい。

「…できた」

小さくつぶやく。

女の子が、ちらっと見る。

「うん、いいんじゃない?」

さっきより、少しだけやわらかい声。

――あれ?

さっきのムカムカが、

少し消えている。

顔を上げると、

もう女性の姿はなかった。

でも、

掃除のやり方が、

少しだけ分かった気がした。