エルフの退屈なスローライフ

エルフの生活とは、まさに理想的なスローライフだ。
腹が減れば果実を食べ、狩りはしないが弓を引いて腕を磨く。
精霊と語らい、時には世界の真理を覗く——。
穏やかで、静かで、何もかも満ち足りている日々。
……うん、飽きた。
物心がついたのは三十歳の頃。
そこから数えて、もう百二十年。
これだけ生きれば、さすがに飽きも来る。
僕は転生者だ。
かつて、文明と刺激に満ちた世界で生きていた記憶を持っている。
だからこそ分かってしまう。
この世界の——あまりにも穏やかすぎる退屈さを。
他のハイエルフたちは違う。
彼らはこの森しか知らず、何の不満もなく生きている。
老いとも無縁。
寿命は千年を超え、肉体が滅びた後は魂が精霊となり、世界の終わりまで自然と共に在り続ける。
……正直に言おう。
あと八百年も、こんな生活を続けるなんて——無理だ。
果実ばかりの食事にも、静寂にも、もう飽き飽きしている。
どうせなら。
色んなものを見て、食べて、経験して——
「満足した」と胸を張って言える人生を送りたい。
それから精霊になるなり、何なりなればいいじゃないか。
――というわけで。
僕は、人間界へ行くことにした。
改めて自己紹介をしよう。
僕の名前は
アシュリシュリエス・トレイニー・フォレックス。
……長いだろ?
だから、アシュリーでいい。
うん、やばい。
人間界へ行こうと決めてから半月後。
外の世界は、本当に刺激的だった。
結界を抜けた瞬間、いきなりフォレストウルフに襲われるし、
川沿いを進めば今度は水棲の魔物。
ついでに魚にまで噛みつかれた。
……魚って噛みつくんだな。
でも、それでも。
人間界の地平は、どこまでも広くて。
森の中では決して見られなかった景色が、目の前に広がっていた。
空は高く、風は強く、世界は……自由だった。
その光景に、僕は胸を躍らせた。
そして――ついに。
人間の町へと辿り着いた。
……のだが。
「人の町は初めてか?」
門の前で、武装した男に声をかけられる。
「町に入るには入場料がかかるんだが……」
……にゅうじょうりょう?
「身分証ありで銀貨二十枚。無しで銀貨一枚だ」
銀貨。
その言葉を聞いた瞬間、僕の思考は止まった。
(……ぎんか?)
固まっている僕を見て、門番は少し困ったように頭をかく。
「えーっとな。町に入るには“金”ってやつが必要なんだよ」
「……大丈夫かい? 金って何か分かるか?」
――うん。
分からない。
だが、そこからの彼はとても親切だった。
金とは何か。
貨幣とは何か。
価値の交換とは何か。
実に丁寧に、そして分かりやすく説明してくれた。
……なるほど。
つまり。
「この町に入るには、石でも木の実でもなく、“金属の円盤”が必要で」
「それを持っていない僕は、ここから先へは行けない、と」
「そういうことだ」
にこやかに頷く門番。
……うん。
詰んだ。
どうしようかと考えていると、不意に声をかけられた。
「すみません。少しいいですか?」
振り向くと、数人の人間と――一人の少女が立っていた。
「…………?」
次の瞬間。
少女がすっと距離を詰め、僕の手を引く。
そして、耳元で小さく囁いた。
「……もしかして、ハイエルフの方でしょうか?」
――やっぱり、分かるのか。
エルフには、ハイエルフが“光を纏っている”ように見えるらしい。
魂の不滅性が生むものだとかで、隠しようがない。
少しの沈黙のあと、少女は慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「あの……差し支えなければ、なぜ貴方のような方が人の町へ……?」
僕は、特に隠すつもりもなかったので。
きっぱりと言った。
「森に飽きたからね」
「色々、見て回ろうと思って」
「…………」
――あ、これ。
めちゃくちゃ引かれてるな。
空気が一瞬で凍ったのが分かる。
でもまあ、事実だし仕方ない。
「アシュリシュリエス・トレイニー・フォレックス。長いだろ?」
「アシュリーって呼んでいいよ。森の里ではそう呼ばれていたからね」
少女は一瞬だけ目を伏せ、そして小さく頷いた。
「……分かりました、アシュリー様」
様、か。
距離を感じるなぁ。
そして――向けられる視線。
……うん。
虫けらを見るような目、ではない。
どちらかと言えば。
「理解できないものを見る目」だ。
――まあ、無理もないか。
ハイエルフが“森に飽きたから出てきました”なんて。
普通は、あり得ない。
多分、彼女は外の世界で暮らして長いんだろう。
表情がくるくる変わる。
驚き、戸惑い、警戒、そして――決意。
森のエルフはあまり表情を変えない。
長い時間の中で感情の波が緩やかになるからだ。
でも彼女は違う。
……見ていて、面白い。
「アシュリー様」
少女――エリレナは、姿勢を正し、まっすぐにこちらを見た。
「ハイエルフの御方に、このような申し出は不敬ではありますが――」
一拍、息を吸う。
「このエリレナ。同胞のご縁により、助力させていただきたいと思います」
……同胞、か。
エルフの血が混じっているのか、それとも単に“同じ種族”としての敬意か。
どちらにせよ。
「ありがとう、助かるよ」
素直に礼を言う。
正直、お金の概念が分からないままじゃ、この先一歩も進めない。
「でも、別に“様”はいらないからね?」
そう言って、軽い気持ちで手を差し出した。
握手のつもりだった。
――はずなんだけど。
エリレナは一瞬目を見開き、そして。
その手を、両手で包み込むように握った。
「……この誓い、確かに受け取りました」
……あ。
やっちゃったな、これ。
明らかに“ただの握手”じゃない。
周りの人間たちも、少しだけざわついている。
……うん。
完全に、重い。
助けてくれるのはありがたいけど。
町に入ったら――早めに別れよう。
絶対に。
面倒なことになる前に。
「六つ星・銀白湖(ぎんぱくこ)チームが、こちらのアシュリー様の身分を保証し、入場料もお支払いします」
「……」
――払ってくれちゃったよ。
しかも保証付きで。
門番も一瞬だけ目を細めたが、すぐに納得したように頷いた。
「銀白湖か……なら問題ないな。通っていい」
すごいな、六つ星。
……いや、何それ。
「六つ星っていうのはなぁ!」
さっきからやたら元気な男が、ぐいっと肩に腕を回してきた。
近い近い。
「冒険者のランクなんだぜ!初心者は一つ星!で、最高位の七つ星は国内に数組しかいねぇ!」
「んで、俺たち六つ星ってのはよぉ?つまり――」
胸をどん、と叩いて。
「“上から数えた方が早い強者”ってわけだ!」
……なるほど。
とりあえず、拍手しておこう。
ぱち、ぱち。
「おぉ、分かってるじゃねぇか兄ちゃん!」
分かってはいない。
でも満足そうだから、まあいいか。
「あはは……ごめんね、うるさくて」
横から、苦笑いしながら声をかけてきたのは、もう一人の女の子。
柔らかい雰囲気で、さっきの“誓いの人”とはまた違うタイプだ。
「私はセシル。こっちは……まあ見ての通り」
「ガルドだ!よろしくな、アシュリー様!」
様、ついた。
伝染してるなぁ。
「……だから“様”はいらないってば」
軽くため息をつくと、セシルがくすっと笑った。
「ふふ、でもエリレナがそう呼ぶ限り、たぶんみんな直らないよ?」
ちら、と視線を向ける。
エリレナはというと――
「……当然です」
真顔だった。
うん。
これは無理だ。
そして気づく。
この人たち。
――完全に、僕を“保護対象”として扱っている。
いや、ありがたいんだけどね?
ありがたいんだけど。
……これ、早めに別れるの無理じゃない?
「おーい、良かったな!希望通り町に入れるぞ!ただし――」
門番が少しだけ声を低くする。
「町で問題を起こしたら、保証人にも責任が及ぶからな!」
そう言いながら、紙を渡された。
読んでみると――
・盗みをしない
・通りで武器を抜かない
・市民権を持たない者は長期滞在税を納める
……なるほど。
「読んだか?じゃあ、ここに名前を記録してくれ」
僕は素直にペンを取り――
「アシュリシュリ……」
「……アシュリーって呼ばせてもらうな!」
途中で諦められた。
「俺は衛兵のロドルだ!困ったことがあったら来いよ!」
「さぁ――ヴィーストコートの町へようこそ!」
「おぉ……!!」
門をくぐった瞬間。
世界が、一気に広がった。
人の声。焼ける匂い。行き交う人々。
全てが新しくて、全部が面白い。
きょろきょろと見回していると、横から声がかかる。
「アシュリー様。この後のご予定はございますか?」
エリレナだ。
「もし無ければ、身分証を得るために冒険者登録を――」
冒険者ねぇ……。
いや、それより。
「鍛冶屋に行きたい!」
「一番腕のいい所ってどこ?」
「……え?」
エリレナが一瞬固まる。
「この町で一番の鍛冶屋は、ドワーフの店ですが……」
「ですが……エルフである私達には、何も売ってくれないかと」
――ああ、そうか。
エルフとドワーフは仲が悪い。
森の里でも、そんな話は聞いたことがある。
火を巡る神話だとか、なんだとか。
でも。
「いいじゃん!」
「僕、ドワーフ見てみたいし。好都合だね」
「エリレナが嫌なら、場所だけ教えてくれればいいよ」
そう言うと、彼女は目を見開いた。
「……ドワーフがお嫌いでは、ないのですか?」
「会ったこともないのに嫌うって、変でしょ?」
――本気で、そう思った。
エリレナは、しばらく言葉を失っていた。
……なんでそんな顔するんだろう?
「でも今は夜だし、迷惑だよね」
「宿に行きたいけど……お金ないし」
――あ、そうだ。
「これ、買い取ってくれない?」
ポーチから取り出し、エリレナに手渡す。
「人間はこれで“美容の秘薬”を作るんでしょ?」
「少しは足しになるよね?」
「――っ!?」
彼女の顔色が変わる。
「プ、プアプの実……!?」
そんなに驚くものなのか?
森では普通に食べてたけど。
「それと――」
「え、まだ……!?」
冷や汗をかいているエリレナに、もう一つ差し出す。
「こっちはお礼ね。ありがとう、助かったよ」
その瞬間。
エリレナの表情が――固まった。
いや、違う。
衝撃で、思考が止まったような顔。
次の瞬間、ぶるっと全身が震える。
「アシュリー……様」
低く、強く、押し殺した声。
「……安易に、この実を他人に見せてはいけません」
空気が一変する。
さっきまでの柔らかさが、消えていた。
「……明日はまず、お金と人間の生活について、みっちりご説明致します」
「鍛冶屋は、それらが済んでから!!!」
「いいですね!?」
「……はい」
エルフはプアプの実が好きだと聞いたのに――怒られた。
めちゃくちゃ怒られた。

……うん。
とりあえず。
明日はエリレナに、色々教わろうと――思う。