「……なんで、逃げない」
低い声が、すぐ近くで落ちる。
手当てを続けながら、私は小さく息をついた。
その人は一瞬だけ黙って、
それからふっと、かすかに笑った気がした。
包帯代わりにハンカチを結び終えて、顔を上げる。
その瞬間――視線がぶつかった。
鋭く、とても深い。青みがかった瞳。
吸い込まれそうで、目が離せない。
「名前」
「え?」
「お前の名前、聞いてる」
少し強引な言い方に、心臓がまた大きく跳ねる。
「……花散里、つむぎ」
「つむぎ、か」
その名前をなぞるみたいに、低く呼ばれる。
たったそれだけなのに、なぜか妙に暖かくて、安心できて。
「俺は、白龍煌」
「はくりゅう……こう?」
何処かで聞いたことのある名前。
その響きにはどこか重みがあった。
――そのときだった。
「総長!」
路地の奥から、複数の足音が近づいてくる。
制服の男達が一斉に頭を下げた。
「ご無事ですか」
「……騒ぐな」
さっきまで苦しそうだった人とは思えないくらい、
その声は冷たく、鋭く変わっていた。
え……そうちょう?
早朝、曹長、宗長...?
総長...
「処理は終わってる。遅い」
「申し訳ありません」
――ただならない雰囲気に足が竦む
明らかに普通じゃない空気。
そして、その中心にいるのは――
目の前の、この人。煌さん。
「お前、早く帰れ」
急にそう言われて、はっとする。
「え……」
「関わらない方がいい世界だ。さっきのことは感謝するが、早く忘れろ」
突き放すように、此方を見ずに言う。
その瞬間。
周りの空気が、一気に変わった。
「…恐れながら、口封じの処分にはしないのですか?」
誰かが驚いたようにに声を漏らす。
くるっと此方に向き直ると煌さんは、
「お前、死のうとしてただろ。」
と言った。
「な、なんでわかるの」
思わず吐息のような声がこぼれおちる。
それを見て、ふ、と口を綻ばせ思ってもないことを言った
「空気。そんな気がした。」
そして、
「お前、死にたかったんだろ?ならお前の命、俺が預かってやる。」
そう言った笑顔は、今まで私に向けられたどんな笑顔より美しく、優しさを孕んでいた。
私は、こうしてorientalemに迎え入れられることになった。
