『俺様王子が不器用についた最初で最後の優しい嘘。』

 あの日、雨の教室で真実を知ってから、雪弥は目に見えて私を避けるようになった。


「あ、雪弥! おはよう」


 登校中、背中を見つけて駆け寄っても、彼は振り返りもしない。


「……話しかけんな。目障りだ」


 低く冷たい声。昨日の涙も、私を抱きしめた腕の熱さも、すべて幻だったかのように彼は私を突き放す。


 教室でも、彼は一度もこちらを見ようとしなかった。


 休み時間になれば、あんなに私の席に入り浸っていたのに、今は友人たちと無理に騒いで、私との間に見えない壁を作っている。


「雪弥、ノート貸してあげようか? 昨日の授業……」


「いらねーよ。お前の小汚いノートなんて見てる暇ねーんだわ。……つーか、いつまで『雪弥』なんて呼んでんだよ。反吐が出る」


 クラス中の空気が凍りついた。


 雪弥の言葉は、まるで鋭いナイフのように私の胸を切り裂く。


 でも、気づいてしまった。


 私を見下ろす彼の瞳が、かすかに揺れていることに。


 彼の手が、机の下で、何かを必死にこらえるように真っ白になるまで握りしめられていることに。


(……嘘だ。雪弥は、わざと嫌われようとしてる)


 自分が誰かも分からなくなる前に。空音の記憶の中から、自分の存在を「大好きな人」ではなく「最低な奴」として上書きして、私が離れやすいようにし
ているんだ。


 放課後。私は逃げるように帰ろうとする彼の腕を、廊下で掴んだ。


「離せ。……力ずくでどかされたいのか」


「嫌だよ! 雪弥、私を避けてるでしょ。そんな嘘つかないでよ!」


 雪弥は動きを止め、ゆっくりと私を振り返った。


 その瞳は、凍てつくような冷たさを湛えながらも、奥底で悲鳴を上げているように見えた。


「嘘……? お前、まだ分かんねーのか。俺はもう、お前の顔を見るだけでイラつくんだよ。……明日にはお前の名前を忘れてるかもしれない奴に、いつまで
も執着されてる俺の身にもなれよ。……重いんだよ、お前の愛は」


 突き放すための、最低の「俺様」な嘘。


 でも、私が掴んでいる彼の腕は、小刻みに震えていた。

 
「重くていいよ! 忘れてもいい! 私が毎日、一からあんたに惚れさせてやるって言ってるでしょ!」


「……っ、勝手なこと言うな……!」


 雪弥は私の手を振り払うと、そのまま駆け出すようにして階段を降りていった。


 追いかけようとした私の足が止まったのは、彼がいた場所に、小さな紙切れが落ちていたから。


 それは、彼が常に持ち歩いている手帳の、破り取られた一ページだった。


 そこには、震える文字で何度も、何度も同じ言葉が書き殴られていた。


『空音、ごめん。空音、ごめん。……幸せになれ。俺を嫌いになれ』


 インクが滲んでいるのは、きっと彼の涙のせいだ。


 雪弥、どうしてそんなに一人で背負おうとするの。


 避ければ避けるほど、あなたの溺愛がどれほど深いか、私には伝わっちゃうのに。


 私はその紙を胸に抱きしめ、夕暮れの廊下で泣きじゃくった。

 
 雪弥。あなたの「嫌いになれ」っていう命令。


 それだけは、絶対に聞かないんだから。