『俺様王子が不器用についた最初で最後の優しい嘘。』

 療養所の庭は、淡い桜の色に包まれていた。
 

私は、手に持った高校の卒業証書を強く握りしめ、ベンチに座る一人の青年に歩み寄った。


 神崎雪弥(かんざき ゆきや)。


 4年前、私の人生を強引に塗り替えた、あの俺様王子様。

 
 彼は、舞い散る花びらをぼんやりと眺めていた。以前よりも少し大人びた横顔、けれど、その周囲を寄せ付けない圧倒的なオーラは、記憶を失ってもなお、彼の魂に刻まれているようだった。


 私が彼の前に立ったとき、雪弥はゆっくりと顔を上げた。


「……あ?」


 その、低くて不遜な声。


 私の心臓が、あの日廊下でぶつかった時のように激しく打ち鳴らされる。


 雪弥は私の顔をまじまじと見つめた。その瞳には、4年間の思い出も、私と過ごした季節も、一ミリも宿っていない。私は彼にとって、今日、この瞬間に初
めて出会った「他人」に過ぎない。


 けれど。


 雪弥は不意に立ち上がると、私の顎を細い指先でぐいっと持ち上げた。


 4年前と、全く同じ角度。全く同じ、強引な熱量。


「……おい。お前、誰だか知らねーけど」


 雪弥はニヤリと、不敵に口角を上げた。


「俺、お前の顔めっちゃタイプなんだけど」


 その瞬間、私の視界が激しく歪んだ。

 
「……っ、……ぁ……あぁああ……っ!!」


 堪えようとした涙が、堰を切ったように溢れ出す。


 4年間。彼が私を忘れ、私が一人で戦い続けた4年間が、その一言ですべて報われた気がした。


 記憶なんてなくても。脳が私を忘れていても。


 彼の「本能」が、彼の「魂」が、また私を選んでくれた。


「ひゃっ、……おい! なんでいきなり泣いてんだよ! 俺様が褒めてやったんだから、光栄に思えよ!」


 雪弥はパニックになったように声を荒らげ、でも、震える私の身体を放そうとはしなかった。


 私は彼のシャツを掴み、子供のように声を上げて泣きじゃくった。


「雪弥のバカ……! バカ、バカ! 本当に、最低で……最高なバカ……っ!!」


「ゆきや……? なんで俺の名前知ってんだよ。……まぁいい。お前、名前は?」


 雪弥は少し戸惑いながらも、私の頭を乱暴に、でも壊れ物を扱うような優しさで撫でた。


 その手のひらの熱。そのシトラスの匂い。

 
「……空音。……星野、空音だよ……っ」


「空音。……ふーん、いい名前じゃん。気に入ったわ」


 雪弥は私の涙を親指で拭うと、私の左手で光る『ペアリング』に気づき、ハッとしたように自分の左手を見た。そこには、4年間彼が守り抜いた、お揃いの指輪。


「……これ、お揃いか。……運命、感じちゃうわ。よし、決めた」


 雪弥は私の肩を強引に抱き寄せ、耳元で傲慢に囁いた。


「今日からお前、俺の女な。……異論は認めねーから。……俺が全部思い出すまで、一秒も俺のそばを離れるなよ。わかったな?」


 記憶の彼方から、彼が戻ってきたわけじゃない。


 でも、ここからまた、新しい「俺様伝説」が始まる。

 
 雪弥。たとえあなたが何度私を忘れても。


 そのたびに、私はあなたの「タイプ」になって、あなたを私に溺れさせてあげる。

 
 桜が舞う中、私は彼の胸に顔を埋め、4年ぶりに届いた本物の温かさに、もう一度強く、泣き笑いした。