『俺様王子が不器用についた最初で最後の優しい嘘。』

「神崎くん、ちょっとやりすぎだよ……!」
 

放課後の喧騒が消えかけた、夕暮れの校舎。


 私は、手首を掴まれたまま、誰もいない旧校舎の空き教室へと連れ込まれていた。


 手首を掴む雪弥くんの指先は、驚くほど強くて、少しだけ震えているようにも見えた。


「やりすぎ? 何がだよ」


 教室の扉が、乾いた音を立てて閉まる。


背中を壁に押し付けられ、逃げ場を塞ぐように両手が私の顔の横につかれた。いわゆる「壁ドン」の状態。


 至近距離にある彼の瞳は、怒っているようにも、何かに怯えているようにも見えて、私は息を呑む。


「だって、今日のお昼休み……。ただクラスの男子とノートの貸し借りをしてただけなのに、神崎くん、その人を睨みつけて追い払っちゃうなんて」


「あ? あんなニヤついた男と喋ってんじゃねーよ。お前は俺の女だって言っただろ。俺以外の男に、その顔見せんな」


「そんなの、無茶苦茶だよ……っ」


 言い返そうとした瞬間、雪弥くんがぐいっと顔を近づけてきた。彼の長い睫毛が触れそうなほど近く、熱い吐息が頬にかかる。


 雪弥くんは、私の髪をすくい上げると、執着するように何度も指に絡めた。


「無茶苦茶でいい。俺がそう決めたんだから。……空音、お前は俺だけを見てりゃいいんだ。他の奴のことなんて、一秒も考えるな」


 その声は、いつもの不敵な俺様口調なのに、なぜか泣き出しそうなほど切なく響いた。


 彼はそのまま、私の肩に深く頭を埋めた。大きな身体が、心なしか小さく丸まっているように見える。


「……なぁ、空音。お前は、俺が何をしても、隣にいてくれるか?」


「え……?」


「もし……俺が、今よりずっと最低な奴になっても。お前のことを、……いや、なんでもねーわ」


 言いかけて止めた言葉。彼は私の肩から顔を離すと、またいつもの傲慢な笑顔を貼り付けた。


 でも、私は見てしまった。一瞬だけ泳いだ彼の瞳を。


 
「……いいか、空音。お前の『初めて』も『最後』も、全部俺がもらう。……覚悟しとけよ」


 強引なキスを予感させる距離で、彼は私の唇を親指でなぞる。

 
 独占欲。執着。溺愛。


 その正体が、彼自身の記憶から私が消えてしまうことへの「最後の抵抗」だなんて。


 この時の私は、ただ、彼に抱かれた腕の熱さに、顔を赤くしていることしかできなかった。


 神崎くん。あなたは一体、何をそんなに急いでいるの?


 まるで、明日には世界が終わってしまうと知っているみたいに――。