『俺様王子が不器用についた最初で最後の優しい嘘。』

「……もう、来ないでくれないかな」


 病室の窓際に立つ雪弥は、振り返ることさえせず、冷たい声でそう言った。


 私が持ってきた、あの日彼が好きだと言ったお菓子も、二人で選んだ狐のストラップも、無造作に机の隅に置かれたままだ。


「雪弥……。どうして? 私、また雪弥に笑ってほしくて……」


「それが困るんだよ」


 雪弥はゆっくりとこちらを向いた。その瞳には、以前の彼が持っていた「執着」も「熱」も、ひとかけらも残っていない。ただ、見知らぬ他人に詰め寄られて困惑している、一人の少年の瞳だった。


「君が来るたびに、周りの大人は『大切な人だよ』って言う。君も、泣きそうな顔で僕に愛を語る。……でも、僕にとっては、君は今日会ったばかりの、ただの女の子なんだ」


 雪弥は自分の左手で光る銀色の指輪を、忌々しそうに見つめた。


「この指輪も、君との思い出も、僕には重すぎる。……思い出せないことが、罪みたいに思えてくるんだ。君に優しくされるたびに、僕は自分が壊れていることを突きつけられて、……吐き気がする」


 「重い」「吐き気がする」。


 あの日、彼が嘘でついた言葉が、今は本心として私の胸を切り裂く。


 記憶を失った彼は、もはや空音を「守るべき対象」ではなく、「自分を苦しめる過去の遺物」として認識していた。


「雪弥……っ、そんなこと言わないで。私はただ……」


「帰ってくれ。……君を見るのが、今は一番辛いんだ」


 雪弥は私から目を逸らし、固く扉の方を指差した。


 以前の「俺様」な命令ではない。それは、対等な他人としての、心からの拒絶だった。


 私は、溢れ出しそうな涙を堪え、震える足で病室を後にした。


 廊下に出た瞬間、力が抜けて壁に崩れ落ちる。

 
 雪弥。


 あなたが私を忘れても、愛し続けるって決めたのに。


 あなた自身が、私を「拒絶」してしまったら……私はどうすればいいの?


 その時、廊下の影から、雪弥の担当医が静かに現れた。


「星野さん。……彼は今、自分を守るためにあなたを拒んでいます。でも、彼のノートの最後の一ページ……あれを読みましたか?」


 渡されたのは、雪弥が隔離病棟に入る直前に、震える手で書き殴った、最後の一文だった。


『空音が俺を諦めたら、その時は本当に俺は死ぬ。……だから、絶対に俺に負けるな』


 それは、記憶を失う直前の「本当の雪弥」が遺した、血を吐くようなSOSだった。