図書室に流れていた甘い時間は、雪弥のポケットで震えたスマホのバイブ音によって、無残に打ち砕かれた。
私の肩に頭を預けていた雪弥が、わずかに身体を強張らせる。
「……親父からだ」
画面を見つめる雪弥の瞳から、スウッと体温が消えていく。
彼は迷いながらも通話ボタンを押し、耳に当てた。静かな図書室には、受話器越しに漏れるお父様の、重苦しく、事務的な声が響いた。
『……雪弥か。検査の結果が出た。……進行が、予想以上に速い』
その一言で、室内の空気が一瞬で凍りついた。
雪弥は何も言わず、ただ指先が白くなるほどスマホを強く握りしめている。
『……明日から、本格的な治療に入る。……残念だが、明日以降の登校は許可できない。……今すぐ帰ってこい。荷物をまとめるんだ』
ツーツー、という無機質な切断音。
雪弥はスマホをゆっくりと下ろすと、ガタガタと震える自分の両手を見つめた。
「……嘘、だろ」
掠れた声。さっきまで私に「一生俺に溺れてろ」と笑っていた最強の王子の姿は、そこにはなかった。
「……明日から来なくていいって……。……俺、まだ……卒業まで、……空音と一緒に……っ!」
雪弥は激しい頭痛に襲われたように自分の頭を抱え、床に膝をついた。
私は慌てて彼に駆け寄り、その震える肩を抱きしめる。
「雪弥! 雪弥、しっかりして! まだ、諦めるなんて……っ」
「……思い出せねーんだよ!」
雪弥は叫ぶようにして、私を突き放した。
「……さっき、お前と何を話してたか……。……指輪を嵌めて、何を……っ。……空音、助けてくれ。……消える。……俺の中の『俺』が、……全部消えて
いくんだよ……!」
彼の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
記憶が失われるスピードが、彼の理解を越えて加速している。
彼は這いずるようにして、さっきまで開いていたノートを掴み取った。
けれど、そのページを捲る彼の指は、もう文字を追うことさえままならないほど震えていて。
「……嫌だ。……行きたくない。……病院なんて行ったら、……お前のこと、本当に忘れちまう……!」
雪弥は私の制服の裾を、泣きじゃくる子供のように掴んで離さなかった。
いつも強引で、傲慢で、世界で一番強いと思っていた彼の、初めて見せる剥き出しの絶望。
夕日は沈み、図書室は深い闇に包まれていく。
二人を繋ぐペアリングが、暗闇の中で冷たく、残酷に光っていた。
「……雪弥。大丈夫、大丈夫だよ。……雪弥が忘れても、私が毎日病院に行くから。……毎日、一から自己紹介して、一から惚れさせてやるから……!」
私は彼を強く、壊れそうなほど強く抱きしめた。
けれど、雪弥の身体は、まるで魂が抜けていくようにどんどん冷たくなっていく。
「……空音。……最後に、一つだけ……命令させろ」
雪弥は私の耳元で、消え入りそうな声で呟いた。
「……明日、俺が……お前のことを忘れて、病院のベッドで目覚めたら。……俺を、……ぶん殴ってでも、……『雪弥のバカ』って……笑ってくれ」
それが、中学生の彼が、自分の存在を繋ぎ止めるために絞り出した、最後で一番残酷な「嘘」と「本音」だった。
私の肩に頭を預けていた雪弥が、わずかに身体を強張らせる。
「……親父からだ」
画面を見つめる雪弥の瞳から、スウッと体温が消えていく。
彼は迷いながらも通話ボタンを押し、耳に当てた。静かな図書室には、受話器越しに漏れるお父様の、重苦しく、事務的な声が響いた。
『……雪弥か。検査の結果が出た。……進行が、予想以上に速い』
その一言で、室内の空気が一瞬で凍りついた。
雪弥は何も言わず、ただ指先が白くなるほどスマホを強く握りしめている。
『……明日から、本格的な治療に入る。……残念だが、明日以降の登校は許可できない。……今すぐ帰ってこい。荷物をまとめるんだ』
ツーツー、という無機質な切断音。
雪弥はスマホをゆっくりと下ろすと、ガタガタと震える自分の両手を見つめた。
「……嘘、だろ」
掠れた声。さっきまで私に「一生俺に溺れてろ」と笑っていた最強の王子の姿は、そこにはなかった。
「……明日から来なくていいって……。……俺、まだ……卒業まで、……空音と一緒に……っ!」
雪弥は激しい頭痛に襲われたように自分の頭を抱え、床に膝をついた。
私は慌てて彼に駆け寄り、その震える肩を抱きしめる。
「雪弥! 雪弥、しっかりして! まだ、諦めるなんて……っ」
「……思い出せねーんだよ!」
雪弥は叫ぶようにして、私を突き放した。
「……さっき、お前と何を話してたか……。……指輪を嵌めて、何を……っ。……空音、助けてくれ。……消える。……俺の中の『俺』が、……全部消えて
いくんだよ……!」
彼の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
記憶が失われるスピードが、彼の理解を越えて加速している。
彼は這いずるようにして、さっきまで開いていたノートを掴み取った。
けれど、そのページを捲る彼の指は、もう文字を追うことさえままならないほど震えていて。
「……嫌だ。……行きたくない。……病院なんて行ったら、……お前のこと、本当に忘れちまう……!」
雪弥は私の制服の裾を、泣きじゃくる子供のように掴んで離さなかった。
いつも強引で、傲慢で、世界で一番強いと思っていた彼の、初めて見せる剥き出しの絶望。
夕日は沈み、図書室は深い闇に包まれていく。
二人を繋ぐペアリングが、暗闇の中で冷たく、残酷に光っていた。
「……雪弥。大丈夫、大丈夫だよ。……雪弥が忘れても、私が毎日病院に行くから。……毎日、一から自己紹介して、一から惚れさせてやるから……!」
私は彼を強く、壊れそうなほど強く抱きしめた。
けれど、雪弥の身体は、まるで魂が抜けていくようにどんどん冷たくなっていく。
「……空音。……最後に、一つだけ……命令させろ」
雪弥は私の耳元で、消え入りそうな声で呟いた。
「……明日、俺が……お前のことを忘れて、病院のベッドで目覚めたら。……俺を、……ぶん殴ってでも、……『雪弥のバカ』って……笑ってくれ」
それが、中学生の彼が、自分の存在を繋ぎ止めるために絞り出した、最後で一番残酷な「嘘」と「本音」だった。


