『俺様王子が不器用についた最初で最後の優しい嘘。』

その日の放課後、私は雪弥に強引に腕を引かれ、彼の自宅へと連れてこられていた。


「……おい、空音。そんなに緊張してんな。俺様の家だぞ、お前の家みたいなもんだろ」


「そういうわけにはいかないよ! 雪弥のご両親もいるんでしょ……?」


 神崎家の邸宅は、ため息が出るほど立派で、門をくぐっただけで足が震えた。けれど、玄関を開けた瞬間、私の不安は予想外の形で打ち砕かれた。


「あら、雪弥! おかえりなさい。……えっ、もしかしてその子が?」


 出迎えてくれたのは、雪弥によく似た綺麗な瞳を持つお母様だった。


「ああ。俺の女の、空音だ。……最高に可愛いだろ?」


「ちょ、雪弥くん!? いきなり何……っ」


 雪弥は私の肩をがっしりと抱き寄せ、まるでお気に入りの宝物を披露するかのように自慢げに鼻を鳴らした。


「母さん、よく見とけよ。空音は成績もいいし、気が利くし、何より俺のわがままに最後まで付き合える、世界で唯一の女なんだからな」


「まぁまぁ! 雪弥が電話で毎日『空音が可愛すぎる』ってうるさいから、どんな子かと思ってたけど……本当に素敵ね」


「母さん、喋りすぎだ。……空音、こっちに来い。親父にも会わせてやる」


 リビングでは、少し厳格そうな雰囲気のお父様が新聞を広げていた。けれど、雪弥が私を紹介した途端、お父様の口角もわずかに緩んだ。


「お前が毎日メモ帳に『忘れるな』と書き殴っている娘か。……なるほど、雪弥が必死になるわけだ」


「親父まで……っ。いいから、お前らは空音に失礼なことすんなよ。空音を傷つける奴は、親だろうと俺が許さねーからな」


 ソファに並んで座ると、雪弥は私の手を家族の前で隠そうともせず、ずっと握りしめていた。


 家族がアルバムを持ってきて、雪弥の幼い頃の話を始めようとすると、彼は「今は俺と空音の時間の邪魔をすんな!」と顔を赤くして怒る。


「……空音。こいつらの言うこと、全部真に受けんなよ」


 耳元でボソッと呟かれた声。雪弥は、家族に私を褒められるのが嬉しい反面、自分の知らない「昔の記憶」が語られることに、どこか落ち着かない様子だ
った。


「でも、雪弥……。ご家族、みんな優しいね」


「……フン。お前を気に入っただけだろ。……いいか、空音。家族がなんと言おうと、お前の主人は俺だ。……一生、俺の家族でいろよ」


 夕食のテーブル。賑やかな笑い声。


 記憶が失われていくという残酷な真実を抱えながらも、この家には確かに、彼を愛する温かな時間が流れていた。


 雪弥は、自分がいずれ家族の顔も忘れてしまうかもしれない恐怖を隠すように、何度も何度も私の料理を自分の皿に取り分け、一口食べるごとに「美味い


か?」と確認してくる。


「……空音。お前がここにいるだけで、俺は俺でいられる気がするんだ」


 家族が席を立った一瞬、彼は私の指先を優しく噛んだ。


「……明日も、明後日も、俺をこの場所に繋ぎ止めてろよ。……これは、俺様からの絶対命令だ」


 家での雪弥は、学校よりも少しだけ独占欲が甘く、剥き出しだった。


 この幸せな食卓が、いつまでも欠けることがありませんように。


 私は、彼の繋いだ手の熱さを、忘れないように強く握り返した。