どうしてここがわかったの?
なんで来たの?
とか、言いたいことがあるのに、名前を呼ぶしかできない。
和巳は視線だけ動かしたあと、まっすぐこちらを射抜く。
全部を、一瞬で見て取った顔。
「……デートか」
低く怖いくらい冷えた声に、体が一瞬で縛られた。
「……違う」
反射的に否定するも、逃げ道を塞ぐみたいに隣に立つ。
「違わねえだろ、誘ったのはお前だろうが」
(……なんで知ってるの)
和巳の一言に、心臓が跳ねる。
すると松原が、ゆっくり立ち上がる。
「真鍋さん、今、いいとこなんで」
「帰ってもらっていいですか」
さっきまでとは違う、遠慮のない強い言葉。
「わかった」
「これ、俺のだから、――帰るぞ」
(……は?)
「……何言って」
言い終わる前に、強い力で腕を掴まれる。
「じゃあな、松原」
「ちょっと、離して!」
ぐっと、引き寄せられ、ウッディでモスな香りがあたしを捕える。
「……他の男と飯食ってる余裕あるなら」
低く押し殺した声に、ぞくりと体がふるえる。
「こっち来い」
(……もうやだ)
決心した途端これだ。
強引で。
勝手で。
でも。
(……振りほどけない)
松原が、静かに口を開く。
「……八千草さん」
振り返えると、あの穏やかな松原の笑顔。
「行ってください」
「……え」
「ちゃんと、答えをもらってきてください」
その一言に、背中を押される。
(……ずるい……最後まで、優しい)
「……ありがと」
小さく呟いたあと、和巳に引かれるまま、店を出た。
***
一言も交わさないまま、まだ正月感が残る街を歩いていく。
外の空気が、刺すように冷たい。
――ただ、繋がれた右手だけが、やけにあたたかい。
目的地を知らされないまま、辿り着いたのは和巳のマンションだった。
鍵を開けた和巳に促されて中に入る。
――その瞬間。
ドアを背に、逃げ場を塞ぐように一歩、踏み込まれる。
「……で、どういう状況だ、さっきのは」
ようやく和巳から出た声に、息が詰まる。
「デートに誘うとか、お前正気か」
「……だから違うって」
「違わねえよ」
被せるように、いつもより荒い口調になる。
(……なにそれ)
「なんでそんな怒ってんのよ」
「怒ってねえよ」
でも瞳には明らかに怒っている色が滲みでている。
すると和巳は、項垂れて深い息を吐いた。
「……嘘」
少しだけ見上げ、あたしを静かに見つめる。
「すげぇ怒ってる」
和巳の顔が、歪む。
「……当たり前だろ」
「他の男に……しかも後輩に取られそうになってんのに」
苛立ちを隠さないその言葉に、ただただ心臓が止まる。
「昨日、何もなかったことにするって言われて」
「はいそうですかって引けるほど」
「俺、できた人間じゃない」
顎を捉えられ、逃げ場がない。
「……雪乃」
やめて。
そんな風に名前を呼ばないで。
それだけで、全部が揺れる。
「……やめて」
「やめない」
これ以上のない距離に、和巳の香りに乱されていく。
息が触れそうなくらい近くて。
視線が、絡んで離れない。
(……離れないと)
分かってる。
ここで踏み込んだら、終われなくなる。
「……あたし、終わらせるって――」
言いかけた言葉は、最後まで続かなかった。
唇が、重なったから。
一瞬。
なのに、離れても呼吸がうまくできない。
「……っ」
視界が揺れて、目線が同じ高さになる。
パンプスが脱げ落ちる音が遠くで聞こえた。
そのままベッドに連れていかれ、覆い被さってきた。
「それでも終わらせたいなら」
「俺ごと終わらせてみろよ」
胸の奥に、和巳の言葉がまっすぐ突き刺さる。
――ずるい、そんなこと言われたら。
「……無理に決まってるでしょ」
気づいたときには、掴んでいた。
和巳のシャツを、ぎゅっと。
「終わらせられるなら、とっくに終わってる……」
視界が滲んで、声もうまく出せない。
それでも、せきがきったように言葉が溢れる。
「八年よ……?」
ずっと、隣にいて。
ずっと、好きで。
「簡単に切れるわけないでしょ……」
そのまま、額を押しつける。
「……遅いのよ」
「ちゃんと選ばれたいって、言ったでしょ」
一瞬、間が空くも、和巳が迷いなく返す。
「選んでる」
「……遅い、ほんと、遅い」
「知ってる」
目の奥が、じんわり熱くなる。
「でも」
少しだけ、息を吸って気持ちを整える。
「それでもいいって思ったのは、あたし」
和巳の目が、わずかに揺れる。
「……だから」
「簡単に“好き”とか言わないで」
和巳が眉を寄せて、「……は?」と漏らす。
あたしは視線を逸らさずに、言い切る。
「ちゃんと欲しいの」
「中途半端じゃなくて、ちゃんと、“あたしを選んだ”って言って」
黙っていた和巳が、ゆっくり息を吐く。
「……めんどくさ」
「は?」
「でも」
あたしの髪を撫でながら、少しだけ笑う。
「そういうとこ、好きだけどな」
(……ばか)
「……ほんと、ずるい」
「知ってる」
また、それ。
でも、大丈夫。
――今度は、ちゃんと受け取れる。
和巳が、起き上がって、少しだけ距離を取る。
あたしもつられて、体を起こす。
「ちゃんとするから」
「……なにを?」
「雪乃が欲しがってるやつ」
その言葉に、胸が高鳴る。
「……時間かかっても、文句言うなよ」
「……うん」
初めて、目を見たまま素直に頷けた。
――そのあと。
少しだけ、ぎこちなく。
でも確かに、指先が、絡んだ。
和巳が、ほんの少しだけ息を吸う。
――「選んでる。――お前だけだし、他に渡す気もない」
和巳の想いが耳の奥で、甘く響いてとけていく。
あたしも彼に唇を寄せて伝える。
終わらせたのは、片想い。
――始まったのは両想い。
8年越しの恋は。
思ってたよりずっと、甘くて。
――逃げ場なんて、どこにもなかった。
なんで来たの?
とか、言いたいことがあるのに、名前を呼ぶしかできない。
和巳は視線だけ動かしたあと、まっすぐこちらを射抜く。
全部を、一瞬で見て取った顔。
「……デートか」
低く怖いくらい冷えた声に、体が一瞬で縛られた。
「……違う」
反射的に否定するも、逃げ道を塞ぐみたいに隣に立つ。
「違わねえだろ、誘ったのはお前だろうが」
(……なんで知ってるの)
和巳の一言に、心臓が跳ねる。
すると松原が、ゆっくり立ち上がる。
「真鍋さん、今、いいとこなんで」
「帰ってもらっていいですか」
さっきまでとは違う、遠慮のない強い言葉。
「わかった」
「これ、俺のだから、――帰るぞ」
(……は?)
「……何言って」
言い終わる前に、強い力で腕を掴まれる。
「じゃあな、松原」
「ちょっと、離して!」
ぐっと、引き寄せられ、ウッディでモスな香りがあたしを捕える。
「……他の男と飯食ってる余裕あるなら」
低く押し殺した声に、ぞくりと体がふるえる。
「こっち来い」
(……もうやだ)
決心した途端これだ。
強引で。
勝手で。
でも。
(……振りほどけない)
松原が、静かに口を開く。
「……八千草さん」
振り返えると、あの穏やかな松原の笑顔。
「行ってください」
「……え」
「ちゃんと、答えをもらってきてください」
その一言に、背中を押される。
(……ずるい……最後まで、優しい)
「……ありがと」
小さく呟いたあと、和巳に引かれるまま、店を出た。
***
一言も交わさないまま、まだ正月感が残る街を歩いていく。
外の空気が、刺すように冷たい。
――ただ、繋がれた右手だけが、やけにあたたかい。
目的地を知らされないまま、辿り着いたのは和巳のマンションだった。
鍵を開けた和巳に促されて中に入る。
――その瞬間。
ドアを背に、逃げ場を塞ぐように一歩、踏み込まれる。
「……で、どういう状況だ、さっきのは」
ようやく和巳から出た声に、息が詰まる。
「デートに誘うとか、お前正気か」
「……だから違うって」
「違わねえよ」
被せるように、いつもより荒い口調になる。
(……なにそれ)
「なんでそんな怒ってんのよ」
「怒ってねえよ」
でも瞳には明らかに怒っている色が滲みでている。
すると和巳は、項垂れて深い息を吐いた。
「……嘘」
少しだけ見上げ、あたしを静かに見つめる。
「すげぇ怒ってる」
和巳の顔が、歪む。
「……当たり前だろ」
「他の男に……しかも後輩に取られそうになってんのに」
苛立ちを隠さないその言葉に、ただただ心臓が止まる。
「昨日、何もなかったことにするって言われて」
「はいそうですかって引けるほど」
「俺、できた人間じゃない」
顎を捉えられ、逃げ場がない。
「……雪乃」
やめて。
そんな風に名前を呼ばないで。
それだけで、全部が揺れる。
「……やめて」
「やめない」
これ以上のない距離に、和巳の香りに乱されていく。
息が触れそうなくらい近くて。
視線が、絡んで離れない。
(……離れないと)
分かってる。
ここで踏み込んだら、終われなくなる。
「……あたし、終わらせるって――」
言いかけた言葉は、最後まで続かなかった。
唇が、重なったから。
一瞬。
なのに、離れても呼吸がうまくできない。
「……っ」
視界が揺れて、目線が同じ高さになる。
パンプスが脱げ落ちる音が遠くで聞こえた。
そのままベッドに連れていかれ、覆い被さってきた。
「それでも終わらせたいなら」
「俺ごと終わらせてみろよ」
胸の奥に、和巳の言葉がまっすぐ突き刺さる。
――ずるい、そんなこと言われたら。
「……無理に決まってるでしょ」
気づいたときには、掴んでいた。
和巳のシャツを、ぎゅっと。
「終わらせられるなら、とっくに終わってる……」
視界が滲んで、声もうまく出せない。
それでも、せきがきったように言葉が溢れる。
「八年よ……?」
ずっと、隣にいて。
ずっと、好きで。
「簡単に切れるわけないでしょ……」
そのまま、額を押しつける。
「……遅いのよ」
「ちゃんと選ばれたいって、言ったでしょ」
一瞬、間が空くも、和巳が迷いなく返す。
「選んでる」
「……遅い、ほんと、遅い」
「知ってる」
目の奥が、じんわり熱くなる。
「でも」
少しだけ、息を吸って気持ちを整える。
「それでもいいって思ったのは、あたし」
和巳の目が、わずかに揺れる。
「……だから」
「簡単に“好き”とか言わないで」
和巳が眉を寄せて、「……は?」と漏らす。
あたしは視線を逸らさずに、言い切る。
「ちゃんと欲しいの」
「中途半端じゃなくて、ちゃんと、“あたしを選んだ”って言って」
黙っていた和巳が、ゆっくり息を吐く。
「……めんどくさ」
「は?」
「でも」
あたしの髪を撫でながら、少しだけ笑う。
「そういうとこ、好きだけどな」
(……ばか)
「……ほんと、ずるい」
「知ってる」
また、それ。
でも、大丈夫。
――今度は、ちゃんと受け取れる。
和巳が、起き上がって、少しだけ距離を取る。
あたしもつられて、体を起こす。
「ちゃんとするから」
「……なにを?」
「雪乃が欲しがってるやつ」
その言葉に、胸が高鳴る。
「……時間かかっても、文句言うなよ」
「……うん」
初めて、目を見たまま素直に頷けた。
――そのあと。
少しだけ、ぎこちなく。
でも確かに、指先が、絡んだ。
和巳が、ほんの少しだけ息を吸う。
――「選んでる。――お前だけだし、他に渡す気もない」
和巳の想いが耳の奥で、甘く響いてとけていく。
あたしも彼に唇を寄せて伝える。
終わらせたのは、片想い。
――始まったのは両想い。
8年越しの恋は。
思ってたよりずっと、甘くて。
――逃げ場なんて、どこにもなかった。



