「……好きだ」
その一言が降ってきた瞬間、世界の音が、すっと遠のいた。
「お前と、ちゃんと付き合ってる」
(……ああ、もう)
逃げ場なんて、どこにもない。
「これでいいか」
「……遅いのよ、バカ」
言い終わる前に、さっきよりも強い力で腕を引かれた。
背中が壁にふれる感触。
そのまま、息がかかる距離まで詰められる。
視線を逸らそうとしたのに、顎を軽く持ち上げられた。
「逃げんな」
そのまま、唇が触れた。
最初は、確かめるみたいにゆっくり。
なのにすぐ、深くなる。
(……ちょっ)
息が、追いつかない。
離れようとした瞬間、腰に回された手が強く引き寄せる。
「ん……っ」
逃げ場を塞ぐみたいに、もう一度重なる。
さっきよりも、強くさらに深く、溺れてしまいそうなほど。
熱を押し付けるみたいに、離してくれない。
「……ん、まっ……」
言葉にならない声が漏れてしまう。
「静かにしろ」
唇が触れたまま、低く囁かれた。
そのまま、呼吸ごと奪われる。
指が背中をなぞって、逃げ場を探すみたいに力が入る。
(……無理)
抗えない。
こんなの、知らない。
離れたときには、呼吸が乱れていた。
「……っ、は……」
少しだけ距離を取られて、視線が絡む。
逃げたくなるのに、目が逸らせない。
「……弱すぎ」
「うるさい……」
「さっきまであんな強気だったくせに」
くすっと笑って、唇を指でなぞる。
さっき触れてた場所を、確かめるみたいに。
「雪乃」
名前を呼ばれて、体が甘く痺れる。
「他の男の前でも、こんな顔してたか?」
「……するわけないでしょっ」
「ならいい」
満足した顔で、ぐいっと体を引き寄せられる。
「……あっ」
足がもつれて、バランスを崩した瞬間——
視界が揺れた。
気づけば、ベッドの上だった。
(……え)
上から影が落ちる。
逃げようとしたのに、すぐ手首を捕まえられた。
「逃げんなって言ったよな」
指が絡んで、そのまま押さえ込まれる。
逃げられない。
視線も、体も。
「……雪乃」
いつもより低く熱を帯びた声で、ゆっくり呼ばれる。
それだけで、全部ほどける。
「他に渡す気ねえって言っただろ」
「……うん」
「ちゃんと理解しろよ」
指先が、頬をなぞる。
それだけで、色気にあてられて、眩暈がする。
「彼女だろ、――お前は俺のだ」
(……ずるい)
そんな言い方、反則でしょ。
「……嫌なら言え」
少しだけ間を置いて、「止まるの、今だけだからな」と静止したまま、あたしに委ねる。
(……なにそれ)
逃げ道を用意してるのに、逃げられない言い方。
「……嫌じゃない」
小さく答えた瞬間、「知ってる」と被せるみたいに返される。
さっきよりも深く、長く、熱を分け合うようなキス。
「……っ、まっ……」
「力抜け」
低く囁かれて、体の力が抜けていく。
背中に回された手が、逃げ場を完全に塞ぐ。
(……だめ、これ)
でも、嫌じゃない。
むしろ——
もっと欲しいって思ってる。
その時点で、もう全部終わってる。
「……雪乃」
少しだけ離れて、額が触れる。
お互いの荒い呼吸が、静かな部屋に響いている。
「明日、ちゃんと覚えとけよ」
「……なにを」
「今の顔」
最低なのに、笑いそうになる。
「……バカ」
「知ってる」
そのまま、もう一度引き寄せられる。
今度は、さっきよりもゆっくり。
でも確実に、逃がさない。
――この夜の続きは、まだ終わらない。
***
――目が覚めたとき、最初に感じたのは体温だった。
(……きもちいい)
ぼんやりした意識のまま、少しだけ身じろぐ。
その瞬間、腰に回っていた腕がぐっと引き寄せた。
「……動くな」
少しだけ掠れた寝起きの声に、意識が飛び起きる。
(……え?)
背中にぴったりくっつく体温と、規則的な呼吸。
「……かずみ?」
名前を呼んだだけで、腕に力がこもる。
「呼ぶな」
「なんでよ」
「朝から理性削られる」
(……なにそれ)
思わず振り返ろうとした瞬間、さらに引き寄せられる。
「だから動くなって」
耳元に落ちる声が、やたら近い。
昨日から距離感がずっとおかしい。
でも、嫌じゃない。
むしろ、このままでいたいって思ってる自分がいる。
「……雪乃」
さっきより少しだけ柔らかい声。
そのまま、指が絡む。
まるで逃げ道を塞ぐみたいに。
「昨日、言ったぞ」
「お前は俺のだって」
「……もう、曖昧とか言わせねえからな」
(……朝からどうしたの)
でも、胸の奥がじんわり熱くなる。
寝ぼけていた思考も、和巳の告白で覚醒していく。
「……だから何」
わざと強がって言うと、「だから離す気ねえって話」と囁いた。
そのまま、額に軽く触れられる。
キス、というよりは確認みたいな優しい熱。
(……ずるい)
昨日とは違う。
強引なのに、どこかやわらかい。
「……あ、チョコ!」
「夜中に全部食った」
「うそ?!」
(気付かなかった……)
「甘すぎ」
「じゃあ残せばいいでしょ」
「お前が作ったやつ残すわけねえだろ」
(……ほんと、そういうとこ)
思わず笑ってしまう。
すると少しだけ腕が緩む。
でも、離れられるほどじゃない。
「……明日」
「ん?」
「会社で、普通にしてられる自信ないんだけど」
「そのままでいいだろ」
「無理でしょ」
「無理じゃねえ」
(こいつ、ほんとにポーカーフェイスすぎて……)
軽く睨むと、むにっとあたしの頬を摘まんで笑う。
「バレたらそのときでいい」
(……ほんと和巳らしい)
でも——嫌じゃない。
むしろ、少しだけ安心する。
「……バカ」
「知ってる」
そのまま、もう一度引き寄せられる。
今度は昨日みたいな強さじゃない。
ただ、逃がさないっていう確かな力だけ。
「……もう少しだけ、このままな」
昨日よりも、ずっとずるい。
あたしはくすぐったくて、そのまま目を閉じた。
――恋人の朝は、まだ終わらない。



