「これって……あたしたち付き合ってるの?」
粒状のチョコレートを湯煎で溶かしながら、雪乃先輩はつぶやいた。
「知るかよ、和巳に聞けや」
「それが出来たら、苦労しないわよ」
リビングのソファで読書中の璋さんが、にべもなく言い放つ。
もちろん、雪乃先輩も負けじと言い返した。
相変わらずのやりとりに小さく笑いつつ、雪乃先輩の背中を押す。
「ひとまず、ガトーショコラを完成させましょうっ」
――今日は、二月十四日。
璋さん家のキッチンで、雪乃先輩が奮闘しているその理由は、二日前に遡る。
『ほーりー……これの作り方を教えてくれない?』
退勤前に呼び止められた雪乃先輩の手にある箱。
『お菓子のキットですね?簡単に作れるやつですね』
『……二回よ』
『?』
『失敗して、これ三回目の挑戦よ……』
『え?……』
どうやら雪乃先輩も璋さんと同じく料理やお菓子づくりは苦手のようで。
それよりも、今まで、バレンタインデーというか、浮いた話を知らない。
(しばらく彼氏がいないとは言っていたけど……まさかっ!)
あたしの脳裏に、同期の彼が思い浮かぶ。
『ちょっと……いろいろあって、渡したいヤツがいるのよ……』
普段と違う可愛いギャップに、あたしは喜んで引き受けた。
***
バレンタインデー当日は土曜日もあって、会社はお休み。
朝に璋さん家に集合で、雪乃先輩のバレンタイン大作戦を決行することにしたのだ。
で、まさか、そのお相手が――真鍋和巳さん。
同期は同期でも、同期違い。
あたしの同期、松原南実くんは、雪乃先輩に想いを寄せていたのだ。
(ままならないって、こういうことだよね……)
想いが届くことの奇跡を、あたしは、つい最近知ったばかりだから。
だからこそ、南実くんの優しさを思うと、胸が少しだけ痛んだ。
もちろん、雪乃先輩が選んだ恋を応援したい。
あたしは、目の前のすべきことに、集中する。
「ミックス粉は、すこしづつ入れてくださいね、ダマになりにくくなりますから」
「わかった……前は一気に入れたからね……」
雪乃先輩は、真剣な目と手つきで、作業をこなしていく。
焼き型に流しいれ、オーブンの蓋を閉じて、あとは焼きあがるのを待つだけだ。
その間に、璋さんがコーヒーを淹れてくれたので、飲みながら一息つく。
「で、そんなん言いながら、今日会うんやろ?」
「……一応は。ただ、『会える?』って聞いたら、イベントがあるから、夕方くらいからだって」
「あいつ……ほんま雪乃にはポンコツすぎるやろ」
璋さんが頬杖つきながら、呆れ顔でコップを啜る。
「え?イベントってバレンタインのことですよね?」
すると二人は、手を振りながら「違う違う」「ちゃうちゃう」と声を揃える。
「和巳のは、ゲームの……たぶん、ギャルゲーのバレンタインイベントよ」
「え?!真鍋さんが?!」
「やろーな。そのほかにもRPGやシューティングとか……ま、ゲーマーやで」
会社での真鍋さんからは、ギャップがありすぎて想像がつかない。
あたしは、仕事ができるこの三人の新たな一面に、驚かされた。
「それで、今日、真鍋さんに伝えるんですか?」
すると彼女らしからぬ、歯切れの悪い答えが返ってくる。
「伝えたのよ?……ただ簡単に好きっていわないで……とか、あたしを選んで……とか」
「うんうん」
「で、和巳は、『選んでる』とか、『お前だけ』とか……『他に渡す気ない』とか……?」
「ほうほう……で?」
すると、雪乃先輩が、少し呆けた顔で聞き返す。
「で?……とは?」
「えっと……なので、お互いに『好きです』とか『付き合いたい』とかは……?」
しばし、沈黙する。
「言ってないわね……」
「なんでやねん」
「和巳の性格やったら、はっきり言わな伝わらんへんやろが」
「うっさいわねっ!こちとら八年の片想いに、それどころじゃなかったのよっ」
(八年っ……すごい!雪乃先輩って一途なんだ)
そんな空気に割って入る、甘いチョコレートの匂い。
ガトーショコラが完成を告げてきた。
「それなら、なおさら今日会わないと!」
あたしは勢いよく立ち上がって、雪乃先輩の手を取る。
「ちゃんと想いを、『好き』と『彼女になりたい』って」
「ほーりー……」
「大好きっ!!お嫁においでっ」
「あたしも大好きですっ……喜んで」
「せやからっ、葵は俺のや。……逃す気ないからな」
璋さんの、艶やかでかつ獰猛さを宿した瞳に、胸の奥がきゅっと疼く。
(雪乃先輩も好きな人に、選ばれて、愛されますように)
あたしは抱きしめてくれる雪乃先輩に、精いっぱいのエールを送った。



