星の見えない夜に、誰を救う。

松之原タワー 28階 オフィスフロア 16:45
 21階から30階までがオフィスフロアだが、各階それぞれの会社が置かれていて、当然だが室内の構造が異なる。
「陽菜、英介……どこへ行ったんだ?」
 さすがにどの階に誰がいるかなんてわからない。あくまで感じ取れたのは、自分自身の直感が伝える「そこにいるわ……」という声。母親の声に似ていた。
 ズキッ……キィィン……
「ウゥ……!ググゥ……!?またか……!?」
 カチッ……ゴクゴク……
「ハァ……!」
 彼を襲ったのは激しい頭痛。まるで酷い耳鳴りで鼓膜が破れそうな感覚と、内側から殴られたような痛み……酒があれば頭痛なんて誤魔化せる。
「さっき補充しておけばよかったな……」
 スキットルのウイスキーが終わりそうだ。しかし、俺の身体は一体何が起きているんだ?そのことだけを考えたいが、今は立ち止まるわけにはいかない。
 コツ……コツ……
 頭痛でふらつく足を動かして前へ進む。痛みを紛らわそうと、スキットルの残りを一気飲みした。
「クソッ……!酒ねぇか?」
 スキットルは確かに邪魔だが、彼にとって欠かせない薬。しばらく耳に手を当てるのはやめておこうか……

 28階のオフィスフロアを駆け抜ける彼の前に、また何やら揉めている姿が見えた。臨海フロンティアの社長じゃないか……もう一人は、消防士?
「ですから、ここから先は入っちゃダメなんです……!」
「テメェもわからねぇ野郎だな!命より大事なもんを取りに行くだけだ!」
「目の前を見てください!?」
 消防士はかなり若い。19歳か20歳にしか見えない。
「おい……」
「何だおま――あ……!?け、刑事さん?」
「命より大事なものって何だ?」
 手抜き工事がバレそうになると、栗原は急に態度を変えた。
「あなた……先ほどの刑事さんですか?」
「悪いが見覚えないな……それより教えろ。これはどういう状況だ?」
 周囲は炎に包まれているが、この状況なら能力はいらない。だが、悠長にしていると焼け死んでしまうぞ……
「刑事さん!俺、阿部銀河と言います……小隊長によると、この階なら救助ヘリを回せるみたいです」
「なら時間がねえな……燃え広がったらヘリだって近づけねぇだろ?」
「そうなんですが……」
 そうか。社長が「取りに行くまで帰らない!」とごねているか。
「しょうがない……」
 ブンッ!ドォン!
「おわぁ……!な、何するんだ……?」
「何やってんですか!?」
 なぜかいきなりの背負投げ。
「今から起こるのは、これ以上の痛みだ。まあ死にたいのなら勝手にしろ……」
「くっ……!じゃあ勝手にしますよ!」
 ゴゴゴゴォ……!
「……!?」
 また爆発か?
「(この扉……黒い煙が出ている……)」
 彼が注視したのは目の前のドア。下から黒い煙が絶え間なく出続け――
 バチバチ……
「クソ……」
「どうしました?」
 ドアがミシミシと音を立てる。危険を感じ取った彼は栗原を思いきり蹴飛ばすと、そのまま銀河の身体を掴み――
 ドガァァン……!
 バックドラフト!
「なな……何が起きたんですか!?」
「バックドラフトだ……」
 バックドラフトは、密閉された空間に酸素が流れ込み、爆発的に燃え上がる現象だ。
「バックドラ――あっ!ちょっと待ってください……!」
「全く!本当に命より大事なもんかよ……!?」
 栗原の野郎、相変わらず逃げ足が速い……
「上と下どっちに行ったんだ……?お前、各階どの会社のオフィスかわかるか?」
「わかるわけないじゃないですか……俺このビル初めてですから……」
「俺も初めてだ……(このまま行かせたら本当に焼け死んじまうぞ……)」
 臨海フロンティアのオフィスなら上か?
「仕方ない……ちょっと待ってろ」
「はい……?」
 彼は再び目を閉じて耳に手を当てるポーズを取った。待つこと5秒――
「上だ……」
「ええっ……!?」
 ズキズキ……
「ウゥ……(頭痛までの間隔が短くなっている……)」
 それと忘れてはいけない……!彼は慌ててメモに記録した。
「俺からはぐれるな……」
「はい……!」

松之原タワー 30階 オフィスフロア 17:06
 バチバチ……ボォォ……!
 栗原は炎のカーテンの中、必死で何かを探している。ここが臨海フロンティアのオフィスのようだが――
「あった……!」
 目当てのものは松之原タワーの設計図とジュラルミンケース。
「どこから避難すりゃいいんだ……」
 バタン……
「やっと見つけました!さあ早く避難してください!」
「これで避難するよ!こっちは取るもん取ったんだ……!」
「もう勝手に行動は許しません……案内しますからついてきてくださいね!?」
「……」
「刑事さん?」
「……ん?あぁごめん……案内してくれ……」
「はあ……?」
「(俺は何を追っていたんだ?大事なものとか言っていたが……)」
 どうやらまた物忘れを発動してしまったようだ。それでも彼は修羅場をくぐってきた刑事。行く手を阻む炎を目の当たりにして冷静さを取り戻す。
 ザザ……
「こちら阿部!小隊長!30階からヘリを回せますか?」
「30階か……今情報が入ったんだが、炎の燃え広がりが早すぎてヘリを回すのは危険だ。何とか33階(多目的ホール)まで行けるか?」
 ミシッ……ピキ……パキパキ…… 
「……!?」
「わかりました!多目的――」
「伏せろー……!」
 細かい亀裂が入った窓ガラスが――
 バリィーン……!……グサッ……!
「うわぁぁ……!?」
「若造!?おい……!大丈夫か!?」
「どうしたんだ!?ルーキー……!ルーキー……!?」
 マズい……銀河の防火服をガラスが突き破り、そのまま身体中に刺さっている……
「悪いな将佑……!あんたのルーキーはボロボロだ……」
「このツンツン野郎……!?悪いが守れなかった責任として命預けとくぜ……!」
「勝手なこと言いやがって……(仕方ねぇな……)」
 栗原はどこへ行った?
 ボォォ……!
「ああ……!私の、私の金がぁ……!」
「チッ……!大事なものって金かよ……」
 どうやら飛び散ったガラス片が腕に突き刺さり、痛みでケースを投げたようだ。そして、そのまま放り投げられたケースは火の海へ転がっていった。当然取りに行けるはずもないが……
「金……!」
 ガシッ……!
「いい加減にしろ!死にたいのか!?」
 彼にはわかっていた。奴が追う金は全て、手抜き工事で儲けた金だと……汚い金は燃えてしまった方がマシだろう。
「これ以上続けんなら公務執行妨害だ……覚悟できてんだろうな……?」
「わわ……わかった!諦めるから、痛ぇことはやめてくれ……!」
「痛いこと?何の話だ……?とりあえず手を貸せ!」
「うぅ……ぅ……」
 銀河は防火服を着て、酸素ボンベを背負っている。明らかに重装備だ。そのまま抱えていっても問題ないが、なるべく事は早めに済ませたい。止血できる布などはなさそうだ。
「若造!悪いが防火服を脱いでもらう……あとガラス片を抜いていたら間に合わない……!俺が担ぐから何とか耐えろ!」
 防火服を脱がせれば軽くなるが、防御されていない分高温のダメージを受けやすい。
「ブランケットとかないか!?」
「ありません……」
「ねえのかよ……(33階の多目的ホールって言っていたな。刺さっている箇所は顔に胸……)」
 彼は一度止まって耳を押さえようとするが――
「やめておくか……」
「さっきから何してんですか……?」
「癖だ……」
 あれをやってしまうと頭痛に襲われるのだ。加えてスキットルの中身は空。酒を飲んで痛みを誤魔化すことができない。
「おい……」
「何でしょう……?」
「ウイスキー。じゃなくてもいい……酒持ってないか?なるべくストレートだ」
「確か……ブランデーならあります!」
「悪いがこのスキットルに注いでくれ……」
「わわ……わかりました……」
 とりあえずガソリンを補充することはできた。これならあれを使っても問題ないだろう。
 ゴゴゴゴ……!
「悠長にしすぎたか……」
 ボォォォ……!
 オフィスには紙のファイルやパソコンが何台も並んでいる。紙は意外にも引火しやすい。
「行くぞ若造!振り落とされるなよ……?」
 頭痛は起きていない。動くなら今がチャンスかもしれないな。銀河を担ぎ、左手に消火器を持って突き進む。

松之原タワー 32階 貸会議室 17:34
 目的の33階まで、あと1階に近づいた。幸いオフィスフロアから貸会議室までは専用の階段が設置されていた。
 ブシュゥゥ……!シュウウッ!
 銀河を担いでいる状態では満足に両手を使えない。彼は器用に左手でレバーを引き、ノズルを口で咥えて白い消火剤を撒き散らす。
「あの……私も手伝いますよ……?」
「あんたは結局全然違う方向に出すだろ。消火剤の無駄だ……」
 当然だが消火剤の減りは早い。あっという間に終わってしまい、左手は軽くなったが、33階に辿り着く前の高温地獄が全身を蝕む。
「すみません……!熱い……!」
「あともうちょっとだ!」
 窓からヘリが見える。操縦士が彼らの存在に気づき――
「聞こえますか!?何とか33階まで辿り着いてください!あなたから向かって右に行けば非常階段があるはずです!どうにかお願いします!」
「非常階段だな……何で会議室と多目的ホールをつなげなかったんだよ……!?」
「すみません……刑事さん……!」
「ここまでよく頑張ったな……!将佑はお前のことを信じている!生きて帰るぞ――って……!?やめろ……!」
 彼は栗原の行動に声を荒げる。
「ちくしょう……あちぃよ……!」
 熱さのあまり窓を開ける。今この貸会議室は高温地獄。そこへ一気に酸素が流れ込むと――
「やめろぉー……!」
 彼はとっさにパイプ椅子を掴み――
 ビュゥン……!
 開けるのを阻止すべく、パイプ椅子が投げられた!
 カチッ……ドガァァン……!
 栗原は間に合わず、窓を開けてしまう!案の上流れ込んだ酸素が炎の勢いを強め、大爆発を起こす!しかし――
「はぁ……はぁ……!」
 間一髪間に合い、炎の直撃は何とか免れた。だが安心する暇もなく、勢いに乗った炎は天井を這うようにロールオーバーを発生させる!
「クソが……!帰ったら覚えておけ!お前は公務執行妨害で逮捕だ……!」
 さすがの彼でもこの炎を突っ切ることはできない。
「若造……少し我慢してくれ。すぐ消してやる……」
 仕方ない……とりあえず簡単に現状をメモする。いつ忘れても困らないように。さて、ここで使おうか――
 スッ……

「見えた!」
 カチッ……ゴクゴク……
「ブランデーも悪くないな……行くぜ……!」
 幸い近くにホースがある。彼の先読みではロールオーバーで発生した炎を消すことができれば、延焼するまでの時間を稼げる。フラッシュオーバーさえ発生させなければ、あとは突っ切ればいい話……
 ブシャァッ!ジュアァァッ!
 この勢いの炎なら本来消えるまでかなり時間がかかる。だが彼にはわかっていた。燃え広がっている炎の源を。
 ジュアァァッ!ガンッ……!
「よし消えた……!」
 ホースの水圧で握力はかなり削られた。消えたのを確認してホースを置き――
「待たせたな……!さあ行くぞ……」
 ホースの水で少し身体も冷えただろう。もう一人は――
「……」
「生きているのが不思議だよ……引きずるぞ!」
 最低限の突破口を開いた彼は、銀河を肩に担ぎ、栗原は……体重が重くて引きずらせてもらった。

松之原タワー 33階 多目的ホール 17:55
 バララララ……!
「さてどう助けるんだ?」
 彼は一旦銀河を下ろす。
「そういえば……あれ……?」
 ここまで来るのに何をしていた?このときは不思議と忘れている感覚がなかった。メモの内容を見ても――
「若造……俺、さっきまで何していた……?」
「それは――」
 おかしい……それはいい意味でおかしい。全部覚えている!俺は一体どうなっているんだ!?
「レスキューバスケットを降ろします!」
「若造から先に乗せてくれ!ガラスが刺さっている!」
「銀河!?わかりました……!」
 栗原は高温で熱中症を起こしただけみたいだ。本来消防士の方が後だと思われるだろうが、銀河の方が大怪我を負っている。
「若造……帰ったらまず病院行け……いいな?」
「ありがとうございます……刑事さん――!?」
「どうした?」
「刑事さん……目……目が!」
「俺の目がどうしたんだ……?」
「銀河!さあ乗れ……」
「刑事さん……刑事さん!」
 彼の目に何が起きているというのだ……?あの怯え方は普通じゃない。彼は立ち尽くすことしかできず――
「大丈夫ですか?さあ避難しましょう……」
 銀河に続いて栗原もヘリで救助された。

阿部銀河(19) 救助
栗原正明(43) 救助

「何しているんですか……あなたも避難しましょう!」
「……」
「あのぉ?」
 ギィィン……!
「ウッ……!?グゥゥ……!?痛ぇ……!痛え!」
 まるで頭が割れそうな痛み。さらに――
 ケホッ……!
「……!?血……」
「大丈夫ですか……!?すぐ病院連れて行きます!」
「俺にかまうな……!」
「……!?」
「俺は警察だ……邪魔すんじゃねぇ……!」
 陽菜と英介を見つけるまで帰るわけにはいかない……そして犯人を捕まえるまで――きっとこのビルにいるはずなんだ!
「ダメです!これ以上は危険で――」
 ドスッ……!
「かぁ……!?何するんですか……!?」
「目障りなんだよ……!この程度で跪くならな、さっさとおうち帰って寝てろ……」
 警察官なのに平気で腹を殴る。彼は元々の性格もあって評判が良くない他、犯人への暴力が原因で賞罰ともに多い。すぐに手が出る癖に至っては何度上司に咎められたか数えられない。反省はしている。だが咎められても数日すれば忘れてしまうのだ。
 ギィィン……!
「何で収まらない……!?」
 ゴクゴク……!
「はぁ……!何でだ……よ……!」
 バタンッ……!
 彼は遂に気を失ってしまった。それも炎が立ち込める中、いつ天井が崩れてもおかしくない状況で――

・栗原正明の救出により現在タワーにいる人物は確認済みの人数と証言を合わせ、残り16人。
・12月24日 18:11 タワー崩壊まで5時間49分