恋が終わっても、人生は続いていく

それから数日。

陽菜は、自分なりに距離を取ろうとしていた。

必要以上に話さない。

目を合わせない。

仕事だけに集中する。



(これでいい)

そう思っていた。

そうしないと。

(また、同じことになる)



でも。



「陽菜」

名前を呼ばれるだけで、

心が揺れる。



「この資料、今日中にまとめとけ」

「……はい」

短く返事をする。

視線は合わせないまま。



(大丈夫)

普通にしてる。

ちゃんと、距離を保ててる。



そう思っていたのに。



「……終わったか」

夕方。

声が落ちてくる。



「っ……はい」

顔を上げる。

蓮が、すぐ近くに立っていた。



「見せろ」

資料を差し出す。

指先が、少しだけ震える。



確認する時間。

沈黙。



「……いい」

その一言に、ほっとする。

でも同時に。

(やっぱり、嬉しい)

そう思ってしまう自分がいる。



「……ありがとうございます」

小さく言う。



彼は、少しだけこちらを見た。



「最近、避けてるだろ」



「え……?」

思わず、固まる。



「俺のこと」

淡々とした声。

でも、逃げ場がない。



「そんなこと……」

否定しようとして、言葉が止まる。



(嘘になる)



「……すみません」

結局、そう言うしかなかった。



沈黙が落ちる。

重い空気。



「理由は」

短く問われる。



言えない。

本当の理由なんて。



(好きだから、なんて)



言えるわけがない。



「……特に、ないです」

絞り出すように言う。



その瞬間。



「嘘だな」



はっきりと、言われた。



顔を上げる。

彼の視線が、まっすぐに向けられている。



逸らせない。



「……俺、何かしたか」



「違います」

すぐに否定する。



「じゃあ、なんでだ」



(なんでって……)



言えるわけない。



(怖いからなんて)



言ったら。

きっと。



「……すみません」

また、それしか言えなかった。



沈黙。



少しだけ、長い間。



そして。



「……そうか」



彼は、視線を外した。



(終わった……)

そう思った。



これで。

距離ができる。



それでいい。

その方がいい。



そう思っているのに。



胸が、苦しい。



そのとき。



「なら、俺から言う」



「……え?」



顔を上げる。



彼は、こちらを見ていた。



「お前のこと、好きだ」



一瞬。

時間が止まる。



(……え?)



何を言われたのか、

理解が追いつかない。



「だから、避けられる理由はない」



淡々とした声。

いつもと同じトーン。

なのに。



言ってることだけが、

全然違う。



「……あの」

声が震える。



「私……」

何を言えばいいのかわからない。



嬉しい。

でも。



怖い。



「俺と、付き合うか」



シンプルな言葉。

余計なものは何もない。



でも。

それだけで、十分すぎた。



(ダメだ)

頭の中で、何度も繰り返す。



(好きになったら、ダメ)



わかってる。

ちゃんとわかってる。



でも。



目の前の人が、

真っ直ぐに見てくる。



逃げられない。



「……私で、いいんですか」



気づけば、そう聞いていた。



彼は、少しだけ眉を動かす。



「お前がいい」



即答だった。



迷いも、ためらいもない。



その一言が。



胸に、深く落ちる。



(……どうしよう)



怖い。

でも。



嬉しい。



その気持ちが、強すぎて。



「……はい」



小さく、答えていた。



その瞬間。



何かが、動き出した。



止めようとしていたものが、

全部。



ほどけてしまった。



「……よろしくお願いします」



少しだけ、笑う。



彼は、いつも通りの顔で。



「ああ」

とだけ返した。



それだけなのに。



どうしようもなく、

嬉しかった。