恋が終わっても、人生は続いていく



「……だから」



グラスを指先でなぞりながら、

美海は、静かに言った。



「別れたの」



バーの空気は、

相変わらず柔らかい。



照明も、

音楽も、

何も変わらないのに。





「……好きだったのに?」



三十代の女性が、

少しだけ驚いたように聞く。





「今も好きよ」





あっさりと、

そう答える。





自分でも、

驚くくらい自然に。





「でも」





少しだけ、

間を置く。





「それだけじゃ、無理だった」





グラスの中の氷が、

小さく音を立てる。





あのときと、

同じ言葉。





でも、

今は少しだけ違う意味で、

胸に落ちていた。





「……大人ね」





四十代の女性が、

苦く笑う。





「大人っていうか」





自分でも、

少しだけ笑う。





「限界だっただけ」





正直な言葉。





無理をして、

続けることもできた。





目をつぶって、

気づかないふりをして。





でも。





「それって、多分」





グラスを見つめたまま、

呟く。





「どこかで、自分が壊れるから」





その言葉に、

少しだけ沈黙が落ちる。





「……わかる」





三十代の女性が、

小さく頷く。





「でも、やめられないのもわかる」





その言葉に、

ふっと笑う。





「やめられなかったわね、あれは」





苦い思い出。



でも、

どこか愛おしい。





「……今も、会いたいと思う?」





二十代の女性が、

少しだけ不安そうに聞く。





その問いに、

少しだけ考える。





(会いたい?)





答えは、

すぐに出た。





「思うわよ」





あっさりと。





「普通に」





隠すこともなく。





「声も聞きたいし」





「触れられたら、多分また好きになる」





正直すぎる言葉。





二人が、

少しだけ息をのむ。





「じゃあ……」





二十代の女性が、

戸惑ったように言う。





「なんで、別れたんですか?」





その問いに、

ゆっくりと顔を上げる。





「戻ったら、また同じだから」





迷いなく、答える。





「同じところで傷ついて」





「同じことで悩んで」





「多分、もっと嫌いになる」





静かな声。



でも、

はっきりしている。





「……それは、嫌だったの」





それが、

すべてだった。





好きだからこそ、

壊したくなかった。





「……強いですね」





二十代の女性が、

小さく言う。





「全然」





すぐに否定する。





「めちゃくちゃ弱いわよ」





少しだけ笑う。





「本当は、戻りたいって思うし」





「今でも、連絡来たら揺れると思う」





それでも。





「でも、戻らない」





その一言に、

すべてが込められていた。





バーテンダーが、

静かにグラスを置く。





「忘れる必要はありません」





穏やかな声。





「残したままでも、人は進めます」





その言葉に、

少しだけ目を細める。





(残したまま……)





それでいいのかもしれない。





消そうとしなくても。





無理に、

なかったことにしなくても。





「……そうね」





ゆっくりと頷く。





「残ってるわ、ちゃんと」





あの時間も。



あの空気も。



あの人も。





全部。





でも。





「それでも、生きていくしかないから」





少しだけ笑う。





「ちゃんと、ご飯食べて」





「仕事して」





「たまに思い出して」





それくらいが、

ちょうどいい。





グラスを傾ける。





少し苦くて、

少し甘い。





まるで、

あの恋みたいな味だった。





「……いい恋でしたか?」





二十代の女性が、

静かに聞く。





少しだけ考える。





そして。





「ええ」





迷わず、答えた。





「最悪で、最高だった」





その言葉に、

二人が少しだけ笑う。





夜は、まだ続く。





でも。





少しだけ。





前を向けた気がした。