トンネルの向こうからさしこむ光の中で

 秋。

 連休を利用して帰省した澪音は、もう一度父から祖母のアルバムを見せてもらった。お葬式のあと、すぐに見たおばあちゃんのアルバム。でも、そのときは気づかなかった。
 一番初めのページにはってあった、祖母が子どものころの家族四人の写真にも、
「おばあちゃん、ほんとにおまえによく似てるな」
「わたしがおばあちゃんに似てるんだよ」
「そりゃそうだな、ハハハ……」
 そんな会話はしたけれど、すぐにほかの写真に気をとられていった。初めての写真がいっぱいあったから。
 
 今、そのときのあの写真をもう一度見たいと思った。表紙をめくるとすぐに目に飛び込んでくる写真。その下に書いてある「おじいちゃんとおかあさんとおにいちゃんとわたし」というきれいな字は、祖母が大きくなってからのものだろうか。
「戦時中によく撮れたもんだなあ」
 横で見ていた父が感心したように言った。
「母さんに兄さんがいたって聞いたことはあったが、見たのは父さんも初めてだったよ」

 祖母を真ん中にして、右からおじいちゃん、祖母、おにいちゃん、おかあさんの順に並んでいる。写真がめずらしかったころだろうに、しかも戦時下にあって緊張もなく、みんな落ち着いてやさしい顔なのが、本当に不思議なほどだ。
「お兄さんのおかげで戦後はずいぶん助かったって、母さんから聞いていたよ」
 そう言いながら、父は祖母から聞いたという話をしてくれた。

――戦争が終わるとすぐに、光太兄さんは工場で親しくなった農家の友だちからひよこを何羽かもらってきて、誠一おじいさんを手伝ってにわとり小屋を作った。そのひよこが大きくなって卵を産んでくれたので、ときどきはそれを食べられたし、ほかの食材と交換することもできて、戦後の食糧難のときに本当にありがたかったそうだ。
 二年後、祖母のお母さんが夢にまでみたという夫の進一さん――祖母のお父さんが戦地から復員して、一家の生活はだんだん楽になっていった。――

 そんな話をしてくれたが、ただ、それ以上の詳しいことは父も知らないらしい。
 それからあとのことは聞かなかったので、祖母の兄は若くして亡くなったのだと、おぼろげに父は感じていたのだそうだ。

 父の声を聞きながら、澪音はしだいに、写真の中の「おにいちゃん」の姿に目を奪われていった。髪はそれほど短くもなく、どことなく、昔の人じゃないような空気があった。その顔を見て、なぜかなつかしいような気持ちがするのが彼女には不思議だった。
「この人が……。この人が、光太さん?……この人が、シロヤマさん?……」

 
 冬。

 澪音は調べものがあって、電車に乗ってとなり町の大きな図書館に行った。外の寒さをほぐすようなやさしい()がさす窓辺の棚で、本の背表紙を指でなぞっていると、ふと視線の先にどこかで見たような気のする青年の姿を見つけた。
「あれ? あの顔は? ……そうだ。おばあちゃんのアルバムにあった写真の人に似ている」
 胸がドクンと大きく鳴った。

 図書館のその人は一心に本棚に本を並べていたが、あまり慣れていない様子だった。
 気になって見ていると、胸にさしてあるボールペンが、おばあちゃんのペンに似ている。澪音は、そっと近づいて棚のすきまから前をのぞいた。
 その人は、「学生アルバイト」という腕章をつけ、名札を下げていた。
 そこには、「城山光太」と書かれていた。

「えっ?」
 心臓が跳ねたのを澪音は感じた。ペンを持ちながら、何度か祖母の日記を読み返し、祖母との会話を思い出していた彼女には、ペンの重みと、その持ち主の名前のひびきがずっと心に残っていた。
「そんな、まさか……。でも、もしかして……」
 息が浅くなり、手のひらが湿ってきた。
「真理ちゃんも言ってた。シロヤマっていう人のこと……。東京にいるかもしれないって……。もしその人なら……もしそうなら……。このペンを見てもらえば……」
 
 心臓の鼓動が静かな図書館にひびくような気がした。その音を感じながら、彼女は思い切って声をかけた。
「あの、すみません……このペン、あなたのじゃありませんか?」

 光太は声の方を振り向いて目を見張った。大人になった澪子が立っていた――。背が伸び、髪が伸び、今ふうの服を着ていたが、問いかけるような黒いひとみと長いまつ毛は澪子にそっくりだった。その澄んだひとみの奥に澪子の笑顔が見える気がした。

 そして光太は、澪音の手にあるペンを見て息をのんだ。ほとんど消えかけていたが、「光太」という文字のなごりが彼には分かった。
 澪子にあげたあのボールペンだった。それは彼があの時代に持っていった、ただ一つの大切なものだった。

「きみの名前は?……」
「澪音って言います。澪の音って書いて……。祖母が澪子という名前だったんです」

 光太は、立ちつくしたまま、こみ上げてくるものをこらえきれなかった。
 やがて、涙で光った目で澪音を見つめてつぶやいた。
「ぼくがあの時代に行ったのは、きみに会うためだったのかもしれない……」

 澪音は、ペンをにぎりしめ、震える胸の中でつぶやいた.
「おばあちゃん、ほんとに会えたよ。……ほんとに……」
 あてのない長い長い道を歩いて、一番大切なものに、やっと巡りあえた旅人のように、彼女のひとみもうるんでいた。


 春。

 やわらかな日ざしが山の斜面を包み、すぐ近くでうぐいすが鳴いていた。光太と澪音は、光太の祖父の家から少し上った先にあるトンネルの前に立っていた。
「ここで、時間がさけたんだ」
 なつかしさと少しの緊張を含んだ声で光太が言うと、澪音はそっと彼を見た。陽を受けた横顔が祖母の語ってくれた物語と重なる。
「祖母は、ここであなたに出会ったのね」
 光太はしっかりとうなずいた。
「そしてぼくは帰ってきた。……きみに会うために……」

 見上げた空に澪子の笑顔があった。初めて話したときの、はにかんだ笑顔だった。光太は心の中でつぶやいた。
「澪がつないでくれたんだね」

 トンネルをやさしい春の風が吹き抜けた。桜の花びらがささやくように舞い、澪音はふと祖母の言葉を思い出して頬を染めた。
「この人と結婚しなさいって? おばあちゃん」

 二人はトンネルの中をゆっくりと歩いていった。トンネルの向こうからさしこむ光の中で、二人の手が静かに重なった。



 第三部 
 澪音
 了