列車に揺られながら、澪音はクスッと思い出し笑いをした。
祖母が亡くなって初めて、少し元気が出たような気がした。そして、一つ思い出したことで思い出の箱のふたが開いたように、次々に祖母との楽しかったおしゃべりが浮かんできた。
「そうそう、あの時はおばあちゃん、ご飯を吹き出しそうになって笑った……」
六年生になってすぐ、澪音は入学式で、新一年生に「歓迎のことば」を言うことになった。
失敗したらどうしようと不安がる澪音に祖母は言った。
「失敗したっていいのよ。たくさんの人の前に出れば、だれだってドキドキするし、失敗もするんだから」
「でも、わたし在校生の代表だから、言いそこなったら、やっぱりみんなや先生に申しわけないよ」
「だいじょうぶ。大人だって失敗するんだから。子どもが失敗してもちっともおかしくないんだよ」
祖母はなんでもないようにそう言ったが、式が始まるとドキドキが止まらなかった。
「いやだもう、心臓が飛び出そう……」
そう思っていたら、あっけなく祖母の言うとおりになった。
校長先生のあいさつのあとに、PTA会長さんからの「お祝いのことば」があった。
初めて会長になったというその人は、儀式でのあいさつに慣れていないようだった。壇に登って礼をするときから、見ている澪音にまで緊張が伝わってきた。
そしてなんと、最初から、
「し、新入社員のみなさん……ご入学おめでとうございます。……」
と言ってしまったのだ。
となりの子が澪音を向いて、「新入社員だって」と、口を押さえて笑った。
一年生は気づかなかったのだろう。ほかには六年生と、あとは保護者と来賓の人しかいなかったから、さすがに笑いが広がることはなかったが、なぜかあちこちで咳ばらいが聞こえた。
赤くなったのは当の会長さんばかりではなかった。
教員席で、笑いじょうごで知られる三宮(さんのみや)先生という女の先生が顔を赤くして、ときどき上を向いたり、こっそり深呼吸をしたりしていた。
先生は、吹き出しそうになるのを、なんとかしておさえようとしているように見えた。
もしだれか一人でも笑い出せば、式はどうなったのだろう。
「あの先生にとっては人生最大の危機なんだ」
両どなりの先生はなんだか怒ったような顔をしていた。
「三宮先生につられないように?……みんな必死でがまんしてるのかな」
そう思うとおかしかった。
そのおかげか、澪音のドキドキはいつの間にかしずまっていて、「歓迎のことば」を最後までゆっくりと言えた。
「おばあちゃんの言うとおりだった。大人も間違うんだね」
そう言って、ついでに苦しそうだった三宮先生の話をしたときだった。
その場面が目に浮かんだのだろう。祖母が吹き出しそうになったのだ。
笑ってしまって会長さんに悪いと思ったのか、すぐに、
「その会長さんはきっといい人だよ。赤くなる人で悪い人はいないもの……」
と弁護はしたが……。
でも、確かに祖母の言ったとおり、会長さんはとてもいい人だった。
あれから毎朝、通学路で子どもたちに明るく「おはようー!」とあいさつをしてくれた。どんな雨の日も風の日も、会長さんの姿を見ない日はなかった。
「人って見かけによらない……」
そうつぶやいたとたんに澪音の口元がほころんだ。また思い出した。
「そうそう、あの時はおばあちゃん、ほんとに吹き出したっけ」
澪音の学校では集団登校をしていたが、澪音が班長を務める班に一年生の男の子がいた。
入学したてのころは、いかにも高価そうな服を着たお母さんが集合場所まで連れてきていた。
その人はだれかが遅れて来ると、
「時間を守らない子がいるなんてねえ。信じられない」
とあきれたように、当てつけるように言ったことのある人だった。
その人の子どもが登校の道々、自慢そうに話してくれた。
「ねえねえ、おねえちゃん。ぼくね、きのう帰り道で五百円玉を拾ったんだよ」
「え、ほんと? すごいね」
「でもどうしていいか分からなかったから、ママに電話して聞いたんだー」
「そしたら?」
「ママがね、『え、五百円拾ったの?……ちょうどよかった。それでしょうゆを買っておいで』って。買って帰ったらうんとほめられたんだー」
「なんてほめられたの?」
「お買い物がじょうずって。一年生なのにすごいって」
うれしそうに言ったその子の話をしたとき、ご飯を口に入れていた祖母が、「ぷっ」と吹き出してしまった。
さすがにそのお母さんを弁護する言葉はなく、「ごめんなさい……」とご飯つぶを拾いながら赤くなったのは祖母の方だった。
線路のリズムに合わせるように、祖母との楽しかったおしゃべりが次々と浮かんでくる。
「そうだ。わたし、おばあちゃんといつも楽しくおしゃべりしたんだ。二人でお腹がよじれるくらい笑ったことが何度もあった。心配かけるだけじゃなくて、おばあちゃんを楽しませることもしたんだ」
澪音は、そっと座席に座り直すと心の中で言った。
「おばあちゃん、ありがとう。わたし、おばあちゃんの孫でほんとによかった。わたし、おばあちゃんみたいなやさしくて強い人になりたい。きっとがんばるからね」
列車の窓の外に、富士山がくっきりと鮮やかに見えていた。
祖母が亡くなって初めて、少し元気が出たような気がした。そして、一つ思い出したことで思い出の箱のふたが開いたように、次々に祖母との楽しかったおしゃべりが浮かんできた。
「そうそう、あの時はおばあちゃん、ご飯を吹き出しそうになって笑った……」
六年生になってすぐ、澪音は入学式で、新一年生に「歓迎のことば」を言うことになった。
失敗したらどうしようと不安がる澪音に祖母は言った。
「失敗したっていいのよ。たくさんの人の前に出れば、だれだってドキドキするし、失敗もするんだから」
「でも、わたし在校生の代表だから、言いそこなったら、やっぱりみんなや先生に申しわけないよ」
「だいじょうぶ。大人だって失敗するんだから。子どもが失敗してもちっともおかしくないんだよ」
祖母はなんでもないようにそう言ったが、式が始まるとドキドキが止まらなかった。
「いやだもう、心臓が飛び出そう……」
そう思っていたら、あっけなく祖母の言うとおりになった。
校長先生のあいさつのあとに、PTA会長さんからの「お祝いのことば」があった。
初めて会長になったというその人は、儀式でのあいさつに慣れていないようだった。壇に登って礼をするときから、見ている澪音にまで緊張が伝わってきた。
そしてなんと、最初から、
「し、新入社員のみなさん……ご入学おめでとうございます。……」
と言ってしまったのだ。
となりの子が澪音を向いて、「新入社員だって」と、口を押さえて笑った。
一年生は気づかなかったのだろう。ほかには六年生と、あとは保護者と来賓の人しかいなかったから、さすがに笑いが広がることはなかったが、なぜかあちこちで咳ばらいが聞こえた。
赤くなったのは当の会長さんばかりではなかった。
教員席で、笑いじょうごで知られる三宮(さんのみや)先生という女の先生が顔を赤くして、ときどき上を向いたり、こっそり深呼吸をしたりしていた。
先生は、吹き出しそうになるのを、なんとかしておさえようとしているように見えた。
もしだれか一人でも笑い出せば、式はどうなったのだろう。
「あの先生にとっては人生最大の危機なんだ」
両どなりの先生はなんだか怒ったような顔をしていた。
「三宮先生につられないように?……みんな必死でがまんしてるのかな」
そう思うとおかしかった。
そのおかげか、澪音のドキドキはいつの間にかしずまっていて、「歓迎のことば」を最後までゆっくりと言えた。
「おばあちゃんの言うとおりだった。大人も間違うんだね」
そう言って、ついでに苦しそうだった三宮先生の話をしたときだった。
その場面が目に浮かんだのだろう。祖母が吹き出しそうになったのだ。
笑ってしまって会長さんに悪いと思ったのか、すぐに、
「その会長さんはきっといい人だよ。赤くなる人で悪い人はいないもの……」
と弁護はしたが……。
でも、確かに祖母の言ったとおり、会長さんはとてもいい人だった。
あれから毎朝、通学路で子どもたちに明るく「おはようー!」とあいさつをしてくれた。どんな雨の日も風の日も、会長さんの姿を見ない日はなかった。
「人って見かけによらない……」
そうつぶやいたとたんに澪音の口元がほころんだ。また思い出した。
「そうそう、あの時はおばあちゃん、ほんとに吹き出したっけ」
澪音の学校では集団登校をしていたが、澪音が班長を務める班に一年生の男の子がいた。
入学したてのころは、いかにも高価そうな服を着たお母さんが集合場所まで連れてきていた。
その人はだれかが遅れて来ると、
「時間を守らない子がいるなんてねえ。信じられない」
とあきれたように、当てつけるように言ったことのある人だった。
その人の子どもが登校の道々、自慢そうに話してくれた。
「ねえねえ、おねえちゃん。ぼくね、きのう帰り道で五百円玉を拾ったんだよ」
「え、ほんと? すごいね」
「でもどうしていいか分からなかったから、ママに電話して聞いたんだー」
「そしたら?」
「ママがね、『え、五百円拾ったの?……ちょうどよかった。それでしょうゆを買っておいで』って。買って帰ったらうんとほめられたんだー」
「なんてほめられたの?」
「お買い物がじょうずって。一年生なのにすごいって」
うれしそうに言ったその子の話をしたとき、ご飯を口に入れていた祖母が、「ぷっ」と吹き出してしまった。
さすがにそのお母さんを弁護する言葉はなく、「ごめんなさい……」とご飯つぶを拾いながら赤くなったのは祖母の方だった。
線路のリズムに合わせるように、祖母との楽しかったおしゃべりが次々と浮かんでくる。
「そうだ。わたし、おばあちゃんといつも楽しくおしゃべりしたんだ。二人でお腹がよじれるくらい笑ったことが何度もあった。心配かけるだけじゃなくて、おばあちゃんを楽しませることもしたんだ」
澪音は、そっと座席に座り直すと心の中で言った。
「おばあちゃん、ありがとう。わたし、おばあちゃんの孫でほんとによかった。わたし、おばあちゃんみたいなやさしくて強い人になりたい。きっとがんばるからね」
列車の窓の外に、富士山がくっきりと鮮やかに見えていた。
