初七日が終わるまで父と二人で祖母の家にいたが、ずっといるわけにはいかなかった。
受験した大学に合格した。入学手続きや、住まい探しの必要があって、また東京に行かなくてはならなくなった。
駅まで送ってくれた父が言った。
「じゃあ、元気を出してがんばれよ」
澪音は、うなずきながらも、また泣きそうな顔になって言った。
「お父さん。わたし、おばあちゃんに、『合格したよ』って言いたかった」
「おばあちゃんは、おまえが合格するって分かってたさ。いつも言われてただろ?
『澪音はだいじょうぶ』って」
「うん。そうだけど……。やっぱりいっしょに喜んでほしかったな」
「おばあちゃんは、いつも喜んでいたよ」
「え?」
不思議そうな顔をした澪音に、にっこりしながら父が言った。
「おまえがいるだけでおばあちゃんは幸せだったさ。おまえが遊びに行って、いろんなおしゃべりをするだけで、おばあちゃんはとても楽しかったんだ」
「そうかな。わたし、何もいい話はしてないけど……」
「それでよかったんだよ、おばあちゃんには」
そう言うと、父は改まった顔をして、少し厳しい口調で言った。
「それより、いつまでもめそめそしていたら、それこそおばあちゃんは悲しむからな」
「うん」
澪音は、今度はしっかりとうなずいて父に手を振った。
だが、列車が動き出すと、彼女は座席に体をあずけてため息をついた。
「おばあちゃんが喜んでいたって……。わたし、何かおばあちゃんが喜ぶような話をしたっけ。お父さんは、『おまえとおしゃべりするだけでも』って言ったけど、わたしの話なんか……」
ふと顔を上げると、窓の外に学校らしい建物と運動場が見えた。
澪音はまた五年生の時のことを思い出した。
秋のある日、祖母にぐちをこぼしたことがあった。
「おばあちゃん、わたし、男に生まれればよかった。女の子どうしってめんどくさい」
だれかとけんかしたわけではない。だが、グループの中やグループどうしの関係が不自由で、ときどき息が詰まりそうに感じることもあった。仲間はずしにあってからは特に、だれかにきらわれはしないかと、いつもそんなことばかり気にするようになった自分がいやだった。
祖母は笑って、
「だいじょうぶ。あなたにもいつか、女でよかったって思う日が、ちゃんとくるんだよ」
と言ってくれたが。
日曜日。
澪音は真理に誘われ、電車に乗って真理の兄の中学校の運動会を見に行った。
校門を入ると、「質実剛健」と刻まれた大きな石が座っている私立の男子校で、昔ながらの「棒倒し」などの乱暴な競技もあって、けっこう評判らしい。
近くの学校の女生徒たちの姿も見えた。
澪音は初めて「棒倒し」を見て驚いた。大勢の男子が攻めと守りに分かれ、相手の立てている太い棒を倒すのだ。全員裸足で、中には上半身裸の人もいた。
彼女は、「いやだこれ、何なの?」と思ったが、この日の印象はあまりにも強烈だった。
もみ合いを抜け出した白の男子が棒によじ登り、もうすぐてっぺんに手が届くところだった。守りの赤のだれかが登らせまいと、その人の短パンをつかんだ。恥ずかしがってそれ以上は登れないとでも思ったのだろうか。赤の何人かが笑った。
短パンが脱げそうになった男子は一瞬ためらったように見えた。
が、なんと構わずに登った。おしりが半分見えそうになった。引っ張った方がびっくりしてか、あわてて手を離した。
しかし、短パンは戻りきれずにまだ少しだけ……。
どこかで、「やだー!」と言う声が聞こえた。
でも、放送係が面白がって、
「白が優勢です。……でもみなさん、あまり見ないでください」
とアナウンスすると、応援団がどっと笑った。
結局、その人が登りきるとほかの白の子も次々に登り、赤は支えきれずに棒が倒れた。
「白の勝ちです。えーと、棒に登ったのは三年C組の……城山君のようです。城山君の身を挺した活躍で、白が勝ちましたー!」
自分も白組の放送係が感激したように、「身を挺した」を大きな声で言って、また会場が沸き拍手が起こった。
澪音は自分が笑われたわけではないのに恥ずかしくなった。どこかくやしかった。
「あんなことするんだ、男子って。しかも、それで笑えるなんて……」
わたしなら絶対しないと思ったけど、なんだかほんわかしている自分にも気づいた。
「ズルをされたのに勝っちゃった。なんかすごい、あの人。かっこはめっちゃ悪かったけど……」
笑われた恥ずかしさやくやしさといっしょに、なんだか胸がふわっとする、そんな変な気分だった。
「それに、みんなが笑ったのはアナウンスがおかしかったから。あの人が笑われたわけじゃないよね……。あの人はズルがきらいだっただけなんだ、きっと……」
とも思った。なぜその人の肩を持っているのか、それは自分にも分からなかったけれど。
その話をしながら聞いた。
「ねえ、おばあちゃん、『みをていした』って、どんな意味?」
「そうねえ。自分から進んでっていうか……自分の体を犠牲にしてでもっていう感じかなあ」
自分を犠牲にって……あんな犠牲はいやだなと思っていると、
「あなたも男になったらできるね」
祖母が、いたずらっぽい目をして言ったので、
「やだよ、おばあちゃん。わたしやっぱり女がいい」
そう言って二人で大笑いした。
ただ、
「登ったのはたしか、シロヤマっていう名前の人だって……」
と言ったとき、一瞬祖母が「えっ」という顔をしたのだったが、
「そのとき真理ちゃんがね、『あれ? 今シリヤマ君って言った?』なんて言うんだよ」
と、またお腹を抱えて笑いだした澪音は気づかなかった。
列車は軽やかに長い鉄橋を渡っていった。
澪音の胸の奥に、祖母の笑い声が温かくよみがえっていた。
受験した大学に合格した。入学手続きや、住まい探しの必要があって、また東京に行かなくてはならなくなった。
駅まで送ってくれた父が言った。
「じゃあ、元気を出してがんばれよ」
澪音は、うなずきながらも、また泣きそうな顔になって言った。
「お父さん。わたし、おばあちゃんに、『合格したよ』って言いたかった」
「おばあちゃんは、おまえが合格するって分かってたさ。いつも言われてただろ?
『澪音はだいじょうぶ』って」
「うん。そうだけど……。やっぱりいっしょに喜んでほしかったな」
「おばあちゃんは、いつも喜んでいたよ」
「え?」
不思議そうな顔をした澪音に、にっこりしながら父が言った。
「おまえがいるだけでおばあちゃんは幸せだったさ。おまえが遊びに行って、いろんなおしゃべりをするだけで、おばあちゃんはとても楽しかったんだ」
「そうかな。わたし、何もいい話はしてないけど……」
「それでよかったんだよ、おばあちゃんには」
そう言うと、父は改まった顔をして、少し厳しい口調で言った。
「それより、いつまでもめそめそしていたら、それこそおばあちゃんは悲しむからな」
「うん」
澪音は、今度はしっかりとうなずいて父に手を振った。
だが、列車が動き出すと、彼女は座席に体をあずけてため息をついた。
「おばあちゃんが喜んでいたって……。わたし、何かおばあちゃんが喜ぶような話をしたっけ。お父さんは、『おまえとおしゃべりするだけでも』って言ったけど、わたしの話なんか……」
ふと顔を上げると、窓の外に学校らしい建物と運動場が見えた。
澪音はまた五年生の時のことを思い出した。
秋のある日、祖母にぐちをこぼしたことがあった。
「おばあちゃん、わたし、男に生まれればよかった。女の子どうしってめんどくさい」
だれかとけんかしたわけではない。だが、グループの中やグループどうしの関係が不自由で、ときどき息が詰まりそうに感じることもあった。仲間はずしにあってからは特に、だれかにきらわれはしないかと、いつもそんなことばかり気にするようになった自分がいやだった。
祖母は笑って、
「だいじょうぶ。あなたにもいつか、女でよかったって思う日が、ちゃんとくるんだよ」
と言ってくれたが。
日曜日。
澪音は真理に誘われ、電車に乗って真理の兄の中学校の運動会を見に行った。
校門を入ると、「質実剛健」と刻まれた大きな石が座っている私立の男子校で、昔ながらの「棒倒し」などの乱暴な競技もあって、けっこう評判らしい。
近くの学校の女生徒たちの姿も見えた。
澪音は初めて「棒倒し」を見て驚いた。大勢の男子が攻めと守りに分かれ、相手の立てている太い棒を倒すのだ。全員裸足で、中には上半身裸の人もいた。
彼女は、「いやだこれ、何なの?」と思ったが、この日の印象はあまりにも強烈だった。
もみ合いを抜け出した白の男子が棒によじ登り、もうすぐてっぺんに手が届くところだった。守りの赤のだれかが登らせまいと、その人の短パンをつかんだ。恥ずかしがってそれ以上は登れないとでも思ったのだろうか。赤の何人かが笑った。
短パンが脱げそうになった男子は一瞬ためらったように見えた。
が、なんと構わずに登った。おしりが半分見えそうになった。引っ張った方がびっくりしてか、あわてて手を離した。
しかし、短パンは戻りきれずにまだ少しだけ……。
どこかで、「やだー!」と言う声が聞こえた。
でも、放送係が面白がって、
「白が優勢です。……でもみなさん、あまり見ないでください」
とアナウンスすると、応援団がどっと笑った。
結局、その人が登りきるとほかの白の子も次々に登り、赤は支えきれずに棒が倒れた。
「白の勝ちです。えーと、棒に登ったのは三年C組の……城山君のようです。城山君の身を挺した活躍で、白が勝ちましたー!」
自分も白組の放送係が感激したように、「身を挺した」を大きな声で言って、また会場が沸き拍手が起こった。
澪音は自分が笑われたわけではないのに恥ずかしくなった。どこかくやしかった。
「あんなことするんだ、男子って。しかも、それで笑えるなんて……」
わたしなら絶対しないと思ったけど、なんだかほんわかしている自分にも気づいた。
「ズルをされたのに勝っちゃった。なんかすごい、あの人。かっこはめっちゃ悪かったけど……」
笑われた恥ずかしさやくやしさといっしょに、なんだか胸がふわっとする、そんな変な気分だった。
「それに、みんなが笑ったのはアナウンスがおかしかったから。あの人が笑われたわけじゃないよね……。あの人はズルがきらいだっただけなんだ、きっと……」
とも思った。なぜその人の肩を持っているのか、それは自分にも分からなかったけれど。
その話をしながら聞いた。
「ねえ、おばあちゃん、『みをていした』って、どんな意味?」
「そうねえ。自分から進んでっていうか……自分の体を犠牲にしてでもっていう感じかなあ」
自分を犠牲にって……あんな犠牲はいやだなと思っていると、
「あなたも男になったらできるね」
祖母が、いたずらっぽい目をして言ったので、
「やだよ、おばあちゃん。わたしやっぱり女がいい」
そう言って二人で大笑いした。
ただ、
「登ったのはたしか、シロヤマっていう名前の人だって……」
と言ったとき、一瞬祖母が「えっ」という顔をしたのだったが、
「そのとき真理ちゃんがね、『あれ? 今シリヤマ君って言った?』なんて言うんだよ」
と、またお腹を抱えて笑いだした澪音は気づかなかった。
列車は軽やかに長い鉄橋を渡っていった。
澪音の胸の奥に、祖母の笑い声が温かくよみがえっていた。
