お坊さんの読経の声が斎場に低くひびいていた。
澪音はじっと手を合わせ、まぶたを閉じた。悲しみと同時に深い後悔の気持ちが波のように押し寄せて、胸の底に沈んでいった。
「あのとき、あとほんの少しでも、いっしょにいればよかった」
一年と二月ばかり前のことだった。祖母が入院する前のある日。澪音は父からの書類を預かって祖母を訪ねた。
祖母は、いつもの縁側でひなたぼっこをしていた。庭には冷たい風が渡っていたが、縁側にはガラス越しに暖かい日の光がさしこんでいた。
祖母のひざの上には、古いアルバムが広げられていた。
「澪音ちゃん、よく来てくれたね」
澪音の姿を見て、祖母は顔をほころばせた。
「うん。お父さんがこれをって」
澪音は書類の入った封筒をさし出した。
「わざわざありがとうね」
祖母はそう言って、熱いお茶をいれてくれた。
しばらくして、返事の書類を封筒に入れて渡すと、祖母は澪音を縁側に誘った。
「ちょうどよかった。ねえ、あなたもいっしょに見ないかい?」
祖母はそう言うとまたアルバムを手に取って、にっこり笑った。
開かれたページには、まだ幼いころの父の姿があった。
祖母は指先でその写真をなぞりながら、
「これはね。お父さんが一年生の時の運動会の写真。ほら、転んで泥だらけになっているでしょう」
そう言って笑った。
「ほんとだ。お父さん、帽子もとれちゃってる」
「でもね。このあと泣かずに最後まで走ったんだよ。伸司は、小さいころから負けずぎらいでねえ」
祖母の声はどこか誇らしげだった。
それから、
「そうそう、これ」
何枚かとばしてめくった。
「これは……わたし?」
「そうだよ。あなたが生まれてすぐのころ。こんなに小さくて……。泣き声もおとなしかった……」
祖母は写真を見つめながら、やさしくそう言った。
「よく寝てるね」
「そう。……でもほら、まつ毛がわたしに似てるって、みんなから言われて……。うれしかったよー」
澪音は胸が熱くなった。
「あなたの名前はね、お母さんが『澪音にしたいです』って、言ってくれたのよ」
何度もせがんだ母の話も、また聞きたくなった。
でも、その日は、自分がピアノ伴奏をしているコーラスの発表会をひかえて、気持ちがあせっていた。
「ごめんね、おばあちゃん。もっと見たいけど、今日はまだ練習があって……。今度来たときゆっくり見せてね」
祖母は、ちょっとさびしそうに目を細めたが、にっこり笑ってうなずいた。
「そうだったね。じゃあ、今度楽しみにしているよ。気をつけて帰りなさいね」
そう言われて、澪音はそそくさと祖母の家をあとにしたのだった。
その「今度」は、もう来ない――。
「あのとき、おばあちゃんは笑ってうなずいてくれたけど、本当はわたしといっしょにアルバムを見て、いろんな話をしたかったんだ。もしかしたら最初からそのつもりでアルバムを……」
アルバムの中には、澪音の知らない時間がいっぱい詰まっていたに違いない。
祖母の若いころ。父の子ども時代。父が母を連れてきた日。母が娘になってくれた日の喜び。そして、まだ赤ん坊だった自分。
「それをなつかしく思い出したかったんだ。わたしといっしょに――。それなのにわたしは……。あの時、あと三十分でも、となりに座ってページをめくっていたら……」
今になって思う。
「わたしが遅れても……ううん、一日いなくたって、きっと練習は出来ていたのに……」
澪音は、手を合わせたまま声を出さずに泣いた。
読経の声がその涙を包み込むように高く低くひびいていた。
ふと、となりに座っていた父が背中に手を当てるのを感じた。その手のぬくもりが祖母の手に似ている気がして、また涙がこぼれた。
澪音はじっと手を合わせ、まぶたを閉じた。悲しみと同時に深い後悔の気持ちが波のように押し寄せて、胸の底に沈んでいった。
「あのとき、あとほんの少しでも、いっしょにいればよかった」
一年と二月ばかり前のことだった。祖母が入院する前のある日。澪音は父からの書類を預かって祖母を訪ねた。
祖母は、いつもの縁側でひなたぼっこをしていた。庭には冷たい風が渡っていたが、縁側にはガラス越しに暖かい日の光がさしこんでいた。
祖母のひざの上には、古いアルバムが広げられていた。
「澪音ちゃん、よく来てくれたね」
澪音の姿を見て、祖母は顔をほころばせた。
「うん。お父さんがこれをって」
澪音は書類の入った封筒をさし出した。
「わざわざありがとうね」
祖母はそう言って、熱いお茶をいれてくれた。
しばらくして、返事の書類を封筒に入れて渡すと、祖母は澪音を縁側に誘った。
「ちょうどよかった。ねえ、あなたもいっしょに見ないかい?」
祖母はそう言うとまたアルバムを手に取って、にっこり笑った。
開かれたページには、まだ幼いころの父の姿があった。
祖母は指先でその写真をなぞりながら、
「これはね。お父さんが一年生の時の運動会の写真。ほら、転んで泥だらけになっているでしょう」
そう言って笑った。
「ほんとだ。お父さん、帽子もとれちゃってる」
「でもね。このあと泣かずに最後まで走ったんだよ。伸司は、小さいころから負けずぎらいでねえ」
祖母の声はどこか誇らしげだった。
それから、
「そうそう、これ」
何枚かとばしてめくった。
「これは……わたし?」
「そうだよ。あなたが生まれてすぐのころ。こんなに小さくて……。泣き声もおとなしかった……」
祖母は写真を見つめながら、やさしくそう言った。
「よく寝てるね」
「そう。……でもほら、まつ毛がわたしに似てるって、みんなから言われて……。うれしかったよー」
澪音は胸が熱くなった。
「あなたの名前はね、お母さんが『澪音にしたいです』って、言ってくれたのよ」
何度もせがんだ母の話も、また聞きたくなった。
でも、その日は、自分がピアノ伴奏をしているコーラスの発表会をひかえて、気持ちがあせっていた。
「ごめんね、おばあちゃん。もっと見たいけど、今日はまだ練習があって……。今度来たときゆっくり見せてね」
祖母は、ちょっとさびしそうに目を細めたが、にっこり笑ってうなずいた。
「そうだったね。じゃあ、今度楽しみにしているよ。気をつけて帰りなさいね」
そう言われて、澪音はそそくさと祖母の家をあとにしたのだった。
その「今度」は、もう来ない――。
「あのとき、おばあちゃんは笑ってうなずいてくれたけど、本当はわたしといっしょにアルバムを見て、いろんな話をしたかったんだ。もしかしたら最初からそのつもりでアルバムを……」
アルバムの中には、澪音の知らない時間がいっぱい詰まっていたに違いない。
祖母の若いころ。父の子ども時代。父が母を連れてきた日。母が娘になってくれた日の喜び。そして、まだ赤ん坊だった自分。
「それをなつかしく思い出したかったんだ。わたしといっしょに――。それなのにわたしは……。あの時、あと三十分でも、となりに座ってページをめくっていたら……」
今になって思う。
「わたしが遅れても……ううん、一日いなくたって、きっと練習は出来ていたのに……」
澪音は、手を合わせたまま声を出さずに泣いた。
読経の声がその涙を包み込むように高く低くひびいていた。
ふと、となりに座っていた父が背中に手を当てるのを感じた。その手のぬくもりが祖母の手に似ている気がして、また涙がこぼれた。
