お葬式の日。
父はわずかな人にしか知らせなかったはずなのに、斎場には祖母にお別れを言いにきた人たちがたくさんいた。
その中に澪音にも見覚えのある顔があった。どこで聞きつけたのか、小学校時代の友だち、梢(こずえ)とその母親だった。
式が始まる前にお線香を上げにきた梢が、遺族席の澪音に頭を下げた。
神妙な顔つきで、迷うように小さく手のひらを上げる梢と目が合ったとき、澪音の心にあのころの記憶が鮮やかによみがえってきた。
小学五年生の春。
転校してすぐに梢と仲良くなり、毎日いっしょに遊んで笑った。
でも、ある日を境に急に梢の様子が変わった。
会っていつものように手を振っても返さない。「どうかした?」と聞いても、「べつに」と言って行ってしまう。目が合ってもすぐにそらされてしまう。
突然のことで何がなんだか分からなかった。
別の子に聞いても、みんな、「知らない」と言って、避けるように行ってしまう。
授業中グループで話していても、だれも澪音にだけは声をかけなかった。
いつの間にか、彼女は教室で一人ぼっちになっていた。
目の前が真っ暗になるような気がした。生まれて初めての経験だった。
でも、だれにも知られたくなかった。
「仲間外れになってるなんてお父さんに言えない。恥ずかしいし、心配させたくないし……。わたしが気にしなければいいことだし……」
しかし、その決心は彼女の心と体を少しずつこわし始めた。
眠れなくなってきて、朝になるとお腹がちくちくと痛んだ。
でも、学校を休むと父が心配するので休まなかった。
ある昼休み。
遊ぶ子がいないので一人で図書室に行った。
探したい本があるわけでもなく、ぼんやりと本棚を見ていると、
「澪音ちゃん、もしかしていじめられてない?」
いきなり後ろからささやかれてびっくりした。近所の六年生の真理(まり)だった。
「うん……。そんな感じ……かな……」
張りつめていた気持ちがぷつんと切れて、泣きそうな声になっていた。久しぶりにやさしい声を聞いた気がした。
「佐奈(さな)って子が言いふらしてるらしいよ。あなたが梢ちゃんをほんとはきらってるって」
澪音はびっくりした。
田川佐奈とはほとんど話したことがないが、そんな意地悪をされる覚えもなかった。でも、佐奈のグループ全員がそう言っているらしい。澪音が梢をきらっていると。――反対なのに。
「梢ちゃんには真っ先に言ってるはずよ。だって、あなたと一番仲良しだったから」
「そんな……、どうして? わたし、佐奈さんに何もしてないのに」
「理由なんてないよ。でも、去年あの子に外されて学校に来なくなった子、いるらしいよ」
真理は、登校班で元気のない澪音が、なんとなく気になっていたようだ。
だれかに聞かれていないか確かめるように周りを見て、
「先生に言った方がいいよ。わたしが言ってあげようか? 気づかないなんて、先生おかしいよ」
小声でそう言ってくれた。
が、澪音はあわてて、
「だいじょうぶ」
と、強く首を振った。
なにか名案があるわけではない。ただ、大きな問題にされたくなかった。父には知られたくなかった。
このごろ梢が佐奈といっしょにいるところをよく見かける。
澪音は悲しかったが、梢に、「わたし、あなたがきらいなんて言ってないよ」とは言えなかった。「え? なんのこと?」って言われたら? 佐奈にますますきらわれたら?
前の学校では、「その元気を少し先生にも分けてちょうだい」と言われるほど明るかった澪音が、すっかり自信を失っていた。
「きっと自分に悪いところがあってこうなっているんだ……」
ときどき、そんなふうにさえ思うことがあった。
五月の連休になるのを待ちかねたように、澪音は祖母の家に向かった。早く学校から離れたかった。
祖母は、澪音の変化にすぐに気づいた。
「学校で何か心配なことがあるでしょう。何?」
「何もないよ、おばあちゃん。いつもどおり元気でしょ、ほら」
笑いながら力こぶをつくって強がって見せたが、祖母はいつもになく真剣な顔で、澪音の目を見つめた。
「あなたに悩みがあることは見れば分かるよ。今までなんでも話してくれた澪音になってね。おばあちゃんに遠慮するなら、それが一番悲しいよ」
その言葉を聞いたとたんに澪音の目に涙があふれた。そして、学校であっていることをしゃくり上げながら話しだした。
梢とのこと、教室で一人ぼっちのこと、眠れないこと、お腹がちくちくすること……。
話すたびにこわばった体がほぐれていくような気がした。
祖母は、うんうんと黙って聞いてくれて、最後にそっと手をにぎってくれた。
「だいじょうぶ。あなたはちっとも間違ってないよ。やっぱり澪音は心の正しい子だよ」
その声は少し震えていたが、澪音はその言葉を聞いて、心が風船みたいに軽くなっていくのを感じた。
祖母の手のぬくもりで、胸の中にへどろのようにたまって固まっていた不安が、少しずつとかされ、流れていくようだった。
その夜は、祖母の手作り料理をいっぱい食べて、久しぶりにぐっすり眠った。
次の朝起きても、お腹は痛くなかった。
なぜか分からなかったが、休みが明けてしばらくすると無視されなくなった。
ある朝、靴置き場で梢がもじもじしながら近づいてきた。
「みおちゃんごめんね。わたしある子にだまされて、嘘を信じてしまったの。ごめんなさい。……また友だちになってくれる?」
泣きそうな顔でそう言って頭を下げたのだ。
それを見届けるように、靴箱の向こうに梢の母親が立っていた。
式が始まる前のわずかな時間に、梢の母親が近づいてきて言った。
「澪音ちゃんのおばあちゃんから聞かなかったら、梢もわたしもずーっと後悔しなければならなかったのよ。だからどうしてもお礼が言いたくて……」
なんのことか分からないでいると、
「おばあちゃんのおかげなの。あの時おばあちゃんから電話をもらって本当のことを知ったのよ」
すまなそうにそう言って、何があったのかを話してくれた。
澪音から話を聞いた祖母は、すぐに担任の先生と校長先生に手紙を書いたようだ。
先生が調べてみると、佐奈のグループの子たちの机から、佐奈からのメモ紙が見つかった。
校長室と別室に一人ずつ呼んで問いただすと、みんな隠しきれなくなって本当のことを話したそうだ。佐奈が、澪音と梢の仲がいいのが気に入らず、二人が離れるように、あることないこと嘘の噂を流していたのだった。
佐奈は二年ぶりに同じクラスになった梢と仲良くしたかったらしい。その梢を澪音にとられたと思って、焼きもちを焼いたのが理由のようだった。
もっと深い原因は、きっと澪音には関係のない別のところにあったのだろうが……。
先生にその報告を受けてから、祖母は梢の母親に電話をして伝えたらしい。
「おばあちゃんね、ちゃんと梢や佐奈ちゃんのことも気にかけて下さって、少しも責めたりなさらなかったのよ」
そう言うと、「ごめんなさいね……」と、また頭を下げるのだった。
澪音は言葉が出なかった。梢とは仲直りをしてまたいっしょに遊ぶようになったし、クラスのほかの子ともふつうに話せるようになったのだったが――。
「あれも、おばあちゃんのおかげだったんだ。……本当に、これまでどれだけおばあちゃんに助けられてきたんだろう」
祭壇の祖母の写真が、またふくらんで見えなくなった。
父はわずかな人にしか知らせなかったはずなのに、斎場には祖母にお別れを言いにきた人たちがたくさんいた。
その中に澪音にも見覚えのある顔があった。どこで聞きつけたのか、小学校時代の友だち、梢(こずえ)とその母親だった。
式が始まる前にお線香を上げにきた梢が、遺族席の澪音に頭を下げた。
神妙な顔つきで、迷うように小さく手のひらを上げる梢と目が合ったとき、澪音の心にあのころの記憶が鮮やかによみがえってきた。
小学五年生の春。
転校してすぐに梢と仲良くなり、毎日いっしょに遊んで笑った。
でも、ある日を境に急に梢の様子が変わった。
会っていつものように手を振っても返さない。「どうかした?」と聞いても、「べつに」と言って行ってしまう。目が合ってもすぐにそらされてしまう。
突然のことで何がなんだか分からなかった。
別の子に聞いても、みんな、「知らない」と言って、避けるように行ってしまう。
授業中グループで話していても、だれも澪音にだけは声をかけなかった。
いつの間にか、彼女は教室で一人ぼっちになっていた。
目の前が真っ暗になるような気がした。生まれて初めての経験だった。
でも、だれにも知られたくなかった。
「仲間外れになってるなんてお父さんに言えない。恥ずかしいし、心配させたくないし……。わたしが気にしなければいいことだし……」
しかし、その決心は彼女の心と体を少しずつこわし始めた。
眠れなくなってきて、朝になるとお腹がちくちくと痛んだ。
でも、学校を休むと父が心配するので休まなかった。
ある昼休み。
遊ぶ子がいないので一人で図書室に行った。
探したい本があるわけでもなく、ぼんやりと本棚を見ていると、
「澪音ちゃん、もしかしていじめられてない?」
いきなり後ろからささやかれてびっくりした。近所の六年生の真理(まり)だった。
「うん……。そんな感じ……かな……」
張りつめていた気持ちがぷつんと切れて、泣きそうな声になっていた。久しぶりにやさしい声を聞いた気がした。
「佐奈(さな)って子が言いふらしてるらしいよ。あなたが梢ちゃんをほんとはきらってるって」
澪音はびっくりした。
田川佐奈とはほとんど話したことがないが、そんな意地悪をされる覚えもなかった。でも、佐奈のグループ全員がそう言っているらしい。澪音が梢をきらっていると。――反対なのに。
「梢ちゃんには真っ先に言ってるはずよ。だって、あなたと一番仲良しだったから」
「そんな……、どうして? わたし、佐奈さんに何もしてないのに」
「理由なんてないよ。でも、去年あの子に外されて学校に来なくなった子、いるらしいよ」
真理は、登校班で元気のない澪音が、なんとなく気になっていたようだ。
だれかに聞かれていないか確かめるように周りを見て、
「先生に言った方がいいよ。わたしが言ってあげようか? 気づかないなんて、先生おかしいよ」
小声でそう言ってくれた。
が、澪音はあわてて、
「だいじょうぶ」
と、強く首を振った。
なにか名案があるわけではない。ただ、大きな問題にされたくなかった。父には知られたくなかった。
このごろ梢が佐奈といっしょにいるところをよく見かける。
澪音は悲しかったが、梢に、「わたし、あなたがきらいなんて言ってないよ」とは言えなかった。「え? なんのこと?」って言われたら? 佐奈にますますきらわれたら?
前の学校では、「その元気を少し先生にも分けてちょうだい」と言われるほど明るかった澪音が、すっかり自信を失っていた。
「きっと自分に悪いところがあってこうなっているんだ……」
ときどき、そんなふうにさえ思うことがあった。
五月の連休になるのを待ちかねたように、澪音は祖母の家に向かった。早く学校から離れたかった。
祖母は、澪音の変化にすぐに気づいた。
「学校で何か心配なことがあるでしょう。何?」
「何もないよ、おばあちゃん。いつもどおり元気でしょ、ほら」
笑いながら力こぶをつくって強がって見せたが、祖母はいつもになく真剣な顔で、澪音の目を見つめた。
「あなたに悩みがあることは見れば分かるよ。今までなんでも話してくれた澪音になってね。おばあちゃんに遠慮するなら、それが一番悲しいよ」
その言葉を聞いたとたんに澪音の目に涙があふれた。そして、学校であっていることをしゃくり上げながら話しだした。
梢とのこと、教室で一人ぼっちのこと、眠れないこと、お腹がちくちくすること……。
話すたびにこわばった体がほぐれていくような気がした。
祖母は、うんうんと黙って聞いてくれて、最後にそっと手をにぎってくれた。
「だいじょうぶ。あなたはちっとも間違ってないよ。やっぱり澪音は心の正しい子だよ」
その声は少し震えていたが、澪音はその言葉を聞いて、心が風船みたいに軽くなっていくのを感じた。
祖母の手のぬくもりで、胸の中にへどろのようにたまって固まっていた不安が、少しずつとかされ、流れていくようだった。
その夜は、祖母の手作り料理をいっぱい食べて、久しぶりにぐっすり眠った。
次の朝起きても、お腹は痛くなかった。
なぜか分からなかったが、休みが明けてしばらくすると無視されなくなった。
ある朝、靴置き場で梢がもじもじしながら近づいてきた。
「みおちゃんごめんね。わたしある子にだまされて、嘘を信じてしまったの。ごめんなさい。……また友だちになってくれる?」
泣きそうな顔でそう言って頭を下げたのだ。
それを見届けるように、靴箱の向こうに梢の母親が立っていた。
式が始まる前のわずかな時間に、梢の母親が近づいてきて言った。
「澪音ちゃんのおばあちゃんから聞かなかったら、梢もわたしもずーっと後悔しなければならなかったのよ。だからどうしてもお礼が言いたくて……」
なんのことか分からないでいると、
「おばあちゃんのおかげなの。あの時おばあちゃんから電話をもらって本当のことを知ったのよ」
すまなそうにそう言って、何があったのかを話してくれた。
澪音から話を聞いた祖母は、すぐに担任の先生と校長先生に手紙を書いたようだ。
先生が調べてみると、佐奈のグループの子たちの机から、佐奈からのメモ紙が見つかった。
校長室と別室に一人ずつ呼んで問いただすと、みんな隠しきれなくなって本当のことを話したそうだ。佐奈が、澪音と梢の仲がいいのが気に入らず、二人が離れるように、あることないこと嘘の噂を流していたのだった。
佐奈は二年ぶりに同じクラスになった梢と仲良くしたかったらしい。その梢を澪音にとられたと思って、焼きもちを焼いたのが理由のようだった。
もっと深い原因は、きっと澪音には関係のない別のところにあったのだろうが……。
先生にその報告を受けてから、祖母は梢の母親に電話をして伝えたらしい。
「おばあちゃんね、ちゃんと梢や佐奈ちゃんのことも気にかけて下さって、少しも責めたりなさらなかったのよ」
そう言うと、「ごめんなさいね……」と、また頭を下げるのだった。
澪音は言葉が出なかった。梢とは仲直りをしてまたいっしょに遊ぶようになったし、クラスのほかの子ともふつうに話せるようになったのだったが――。
「あれも、おばあちゃんのおかげだったんだ。……本当に、これまでどれだけおばあちゃんに助けられてきたんだろう」
祭壇の祖母の写真が、またふくらんで見えなくなった。
