トンネルの向こうからさしこむ光の中で

 
 十二月。
 給食委員会の仕事を終えた優芽が教室に戻ると、めずらしく先生が残っていた。先生は、昼休みに外で子どもたちと遊ぶことも多かったが、この時期は成績付けで忙しいのだろう。
 みんなはもう外に出てだれもいなかったので、優芽は思いきって先生に話しかけた。
「先生、……光太君って貧乏なんですか?」
 先生は、ペンを動かしていた手を休め、顔を上げて彼女を見た。
「どうして」
「友だちがそう言っていたから……」
 
 光太が貧しい暮らしをしていることは、みんなも薄々気づいていた。
「貧乏かどうかは知らないが、もし貧乏だとしたら、どうなんだ?」
「光太君の筆箱の中、いつも小っちゃい鉛筆しか入ってないんです。それで和弥君が自分のを何本かあげようとしたんです。そしたら光太君が断ったんです。もらえばいいのに……」
 確かに光太の鉛筆は短いのばかりで、キャップをしても書きにくそうに見えることがあった。
 そんな光太を見かねてか、何日か前、和弥が新品の鉛筆を数本、光太にあげようとしたことがあった。光太は、「ありがとう」と笑顔で言ったものの、「だいじょうぶ、……あるから」と言って受け取らなかったのだそうだ。
 和弥がちょっとばつの悪そうな顔をしたのが優芽の記憶に残っていた。

「先生は、『貧乏は恥ずかしいことじゃない』って言いますよね。困ってるんだから、恥ずかしがらずにもらえばいいのに」
「べつに恥ずかしがってはいないと思うよ」
「じゃあどうして……?」
「うーん……」
 
 先生は腕組みをして、天井を見ながら言った。
「いいたとえを思いつかないけど、赤ちゃんがさ、がんばって自分で立とうとしてるときに、だれかが抱えて立たせたら喜ぶかな……あれ? ちょっと違ったか……」
 ちょっと違っていたかもしれない。光太はただ、もうすぐ母が買ってくれることになっている鉛筆を使いたかっただけのようだ。その前に人にもらったら、なんだか母に悪い気がしたのではないだろうか……。

「よく分かんない……。じゃあ和弥君と光太君と、どっちが正しかったんですか?」
「どっちも正しいと思うよ。二人とも自分の考えで行動した。どっちがいいなんて決める必要ないだろ」
 まだ納得(なっとく)していないような優芽の顔を見て、窓の外を見下ろしながら先生が言った。
「村田も城山もいいやつだ。ほら、二人とも楽しそうじゃないか」
 見ると、運動場で遊んでいる光太と和弥の笑い声が、ここまで聞こえてきそうな気がした。

「男子って単純なのかな……」
 自分も運動場に出て行きながら彼女はつぶやいた。心配して損したような……。
 その背中を先生の大きな声が追って来た。
「心が貧乏でなけりゃいいんだぞーー」
 彼女は振り向いて、こくりとうなずいた。

 明るい教室で、優芽の気になる子が一人増えていた。ただ、どうしてその子が気になるのか、自分でもよくは分からなかった。


 一月。

 うっすらと雪が積もった日。二時間目は自習だった。
「光太君って、自分からは何も目立つことをしないのに。なんでだろう……」
 ぼんやりとそんなことを考えていたとき、突然「ガラガラッ」と音がして後ろのドアが乱暴に開いた。
 荒々しい様子で男が入って来た。帽子を深くかぶり、顔も何かでおおっていた。その下から、「ウー!」とうなるような声を出した。

 和弥がさっと立った。
「みんな逃げて!」
 前に走ってドアを開けながら叫んだ。
 ほかの子がいっせいにガタガタッと立ち上がると、早い者から和弥のあとに続いた。
 優芽の席は廊下と反対側にあった。ぼんやりしていたので遅れた。みんな次々に外に出た。が、だれかがつまずいた。前のドアが詰まっている。男がゆっくりゆっくり近づいてくる。
 優芽は心の中で叫んだ。
「早く! 早く出て!」
「ウー!」
 恐ろしい声に思わず振り向いた。

 自分の後ろにまだ一人いた。その子は後ろを向いていた。遅れた優芽をかばうみたいに。椅子を両手で持って(たて)にしていた。光太だった。
 
 男は、立ち止まったまま近づかなかった。その間に優芽も光太も外に出た。入れ違いに男の先生が二人、さすまたを持って入って来た。
 和弥がとなりの学級や職員室に知らせたのだ。男は教室のすみに追い詰められて静かになった。また一人先生が走ってきた。


 全校生が無事に体育館に避難し、校長先生の話を聞いて訓練は終わった。
 不審者役は川上先生だった。先生はなんだかとてもうれしそうに見えた。

 教室に戻ると、子どもたちが口々に言った。
「もう先生。いきなりひどいじゃないですか」
「そうですよ。しかも自習中になんて」
「すまんすまん。ほんとは今日の不審者は山田先生だったんだけど、急なお休みで代役を頼まれたんだよ」
「あ、だから先生いなかったんだ」
 翔がちょっとだけ不満そうに言った。
「不審者が五年三組に入ることになってたんなら、最初から教えてくれればいいのに」
 先生は、小さな目を大きく開いて言った。
「そうしてもよかったが、『いざ』っていうときの行動を見たかったんだよ。きみたちならできるって思ったしね」

「でも、先生すごい迫力だった」
 希愛がそう言うと、女の子たちがみんなうなずいた。
「川上先生って全然気づかなかったもん」
「わたし、『これは訓練だ』って、とちゅうで気づいたけど怖かった……」
 翔がまた思いついたように言った。
「先生、もう一回ストッキングかぶってください」
 先生がそれをかぶると、「顔がおかしい」と言って笑った。
 すると先生が、「ウー!」と声を出しておどかしたので、みんな手をたたいて笑った。さっき「怖かった」と言った子が今は大笑いしていた。
 
 優芽の学校では年に三回、避難訓練が行われていた。一学期が火災、二学期が地震、三学期が不審者。それぞれを想定した訓練だ。子どもたちにはあらかじめ知らせてあるし、行動のマニュアルも決まっていた。ただ、高学年にはそれをいつするかが予告されないこともあった。
 みんなしっかり動けて、五年三組は全校生の前で校長先生にほめられた。「担任がいなかったのに」ということは三回も言われた。
「うれしいけど……」
 優芽は思った。

「ほめられたけど、わたしは大変だったよ……。それに、光太君は転校生でこの学校のやり方を知らないから、いきなりでびっくりしただろうな……。最初に盾になるのは先生だから、わたしたちは逃げるだけでよかったのに……。待って。……でも、あの時は先生がいなかったから……」

 優芽の胸がまたドキドキしてきた。光太はいつもと同じ顔で席に座り、にこにこしながらみんなの話を聞いている。
 校庭の木の枝に残った白い雪が、雲間からさす太陽の光を受けてひっそりと輝いていた。
 優芽は、自分がなぜ光太が気になってしまうのか、はっきり分かった。先生がなぜあんなにうれしそうな顔をしていたのかも。

 
 光太の小学生時代だった。